掲載時肩書 | 作家 |
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掲載期間 | 1998/05/01〜1998/05/31 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1921/02/09 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 77 歳 |
最終学歴 | 九州大学 |
学歴その他 | 大阪外大 |
入社 | 大竹海兵入隊 |
配偶者 | 手塚山学院後輩 |
主な仕事 | 今宮中教師、朝日放送、作家、東京転居、 |
恩師・恩人 | 伊東静雄、佐藤春夫 |
人脈 | 島尾敏雄、井伏鱒二、中山義秀、林富士夫、藤沢桓夫、阪田寛夫、吉行、安岡(の仲人)、河上徹太郎 |
備考 | 父:帝塚 山学院校長 |
1921年(大正10年)2月9日 – 2009年(平成21年)9月21日)は大阪府生まれ。小説家。『愛撫』で認められ、『プールサイド小景』で芥川賞受賞。「第三の新人」の一人と目され、『静物』『タべの雲』『絵合せ』など、都市生活者の不安定な日常を、穏やかな描写と叙述で深く彫り上げた作品を多く発表した。
1.文学の師・伊東静雄先生
私の文学の師である詩人の伊東静雄先生は昭和28年3月に肺を病んで、国立病院長野分院で3年半の療養後に亡くなった。私が芥川賞候補に名前が2度ほど出た頃だった。
先生はカーテン一つで仕切った部屋に寝ておられた。見舞いに行ってそのカーテンに手をかける時、長い間お見舞いに来なかった自分を責める気持ちと、その間に先生の病状がひどく悪くなっているのではないかという不安とで、きまって足がすくんだものであった。
先生は、「あなたは独自のいいものを持っているのだから、自信を持って、それを大切に育ててくださいよ」といつも言われた。一時間ばかり話をして病室を出るとき、先生は寝たまま、本当にありがとう、よく来てくれましたという気持ちを目にたたえて見送ってくださった。お見舞いに行きながら、いつでも先生の方から慰められ、喜びを与えられて帰るのであった。
2.善意に囲まれた引越し
私は昭和28年の夏に90坪足らずの土地に、三間の小さな家を建てた。ここは西武線石神井公園に隣接していたが、麦畑の中の家に住むことになる。
市谷の吉行夫人がエプロンとぞうきん持参で来て、家の中の拭き掃除をしてくれた。真鍋呉夫夫人も手伝いに来てくれた。私の引越しのために会社を休んで阪田寛夫が、高知高校以来の友人で力持ちの三浦朱門を連れてきて、庭先に積み上げてあった引っ越し荷物をばらしては、家の中に運び入れてくれた。皆さんのおかげで私たちは練馬区南田中町453番地のこの家で暮らすようになった。私はこの家から西銀座にある朝日放送東京支社へ通勤することになる。
3.古備前がめの思い出(井伏鱒二氏紹介)
私の書斎に大きなカメが置いてある。古備前の水ガメで、今の家に引っ越してくる前に井伏さんの口利きによって手に入れたものである。ある日、井伏さんのお宅へ行くと、玄関に大きなカメが置いてあった。井伏さんがその前、馴染みの小林旅館が所蔵していたものを譲ってもらい、その日通運便で送らせたものが、その日着いた。「誰か来ないかなぁ」と思っていたところだという。「いいですねぇ」と言うと、「小林旅館にはもう一つ、これより大きく良い色をしているものがある。買いませんか」と言われた。
家内にも相談して、井伏さんに電話でカメを手に入れたいと申し上げ、小林旅館に手紙を出した。すると、
カメが届いた。木箱の中に縄で縛って宙吊りにしてある。大きいのに驚いた。旅館の手紙が翌日届いた。
「ご挨拶申し上げます。私こと小林旅館でございます」という見出しであった。
「このカメは私ども長い間、家族のように思っておりましたので、どうかこれからはお宅のみなさまで可愛がってください」と書いてあった。
私は折り返しカメの代金と一緒に、「立派なカメを譲っていただいて、家族一同喜んでおります、家族の宝として大切にしたい所存ですからご安心ください」という意味のお礼状を送った。
庄野 潤三 (しょうの じゅんぞう) | |
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誕生 | 1921年2月9日 大阪府東成郡住吉村 |
死没 | 2009年9月21日(88歳没) 神奈川県川崎市 |
墓地 | 長泉院(神奈川県南足柄市) |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 文学士 |
最終学歴 | 九州帝国大学法文学部東洋史学科 |
活動期間 | 1953年 - 2006年 |
ジャンル | 小説 |
文学活動 | 第三の新人 |
代表作 | 『プールサイド小景』(1955年) 『静物』(1960年) 『夕べの雲』(1965年) 『絵合せ』(短編集,1971年) 『明夫と良二』(1972年) |
主な受賞歴 | 芥川龍之介賞(1955年) 新潮社文学賞(1960年) 読売文学賞(1966年) 芸術選奨(1969年) 野間文芸賞(1971年) 毎日出版文化賞(1972年) 赤い鳥文学賞(1972年) 日本芸術院賞(1973年) 勲三等瑞宝章(1993年) |
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庄野 潤三(しょうの じゅんぞう、1921年(大正10年)2月9日 - 2009年(平成21年)9月21日)は、日本の小説家。位階は従四位。
大阪府生まれ。庄野英二の弟。九州大学東洋史学科卒。『愛撫』で認められ、『プールサイド小景』で芥川賞受賞。「第三の新人」の一人と目され、『静物』『夕べの雲』など、都市生活者の不安定な日常を、穏やかな描写と叙述で深く彫り上げた作品を多く発表した。晩年は、老夫婦の生活や孫とのふれあいをテーマに連作を書き継いだ[1]。日本芸術院会員。