掲載時肩書 | 岩谷産業会長 |
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掲載期間 | 1989/07/01〜1989/07/31 |
出身地 | 島根県 |
生年月日 | 1903/03/07 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 86 歳 |
最終学歴 | 専門学校 |
学歴その他 | 大田農学校 |
入社 | 楫野海 隆運送 |
配偶者 | 郷里娘見合い |
主な仕事 | 神戸本店、熊本支店、岩谷酸素商会、海運業、岩谷産業、日本瓦斯、石油直接輸入、岩谷文庫、岩谷記念財団 |
恩師・恩人 | 大橋清蔵先生、村井宇三郎、清瀬一郎(弁護士) |
人脈 | 佐伯勇、松下幸之助、西山弥太郎、出光佐三、福井謙一、辰巳柳太郎、浜木綿子、岩谷時子、橋本明治 |
備考 | われ以外 皆師なり |
1903年3月7日 – 2005年7月19日)は島根県生まれ。実業家。 エネルギー商社、岩谷産業の創業者で名誉会長を務めた。1953年家庭用プロパンガスを日本で初めて市販。また1969年にはガスホースを使わないカセットボンベ式卓上型ガスコンロをやはり日本初の市販化。「プロパンガスの父」と慕われた。またプロパンガス以外の住機器、食品事業などにも取り組み、岩谷を生活総合産業企業へと一代で築き上げた。またNHK交響楽団に協賛したり、岩谷直治記念財団を立ち上げ、文化事業にも率先的に取り組んだ。エネルギー分野を中心に、優れた研究・開発を行った者を表彰する「岩谷直治記念賞」も設けられている。長男は日本瓦斯創業者の岩谷徹郎、親戚に竹下登(第74代内閣総理大臣)がいる。
1.私の知識習得法
私が受けた学校教育は島根県内の尋常小学校6年、農学校3年、合わせて9年間だけだ。今でいえば中学卒である。しかし、私が経済を理解するようになったのは、「経済日誌」をつけたお蔭だった。須磨にある楫野(かじの)さんの家に住み込んでいたころ、私は毎日の相場をノートに記録するように言いつけられた。堂島の米相場に始まって、金、銀、銅、綿など世界各地の商品相場、さらに東新・大新(現在の東証・大証だったころの新株)など、全ての国内上場企業株式相場を新聞から書き写す。仕事が終わって帰宅するのが夜の8時頃だから、全部つけ終わると夜中の12時をすぎることもしばしばだった。
そんなことを続けているうち、解説記事にも目がいくようになり、やがて世界の政治、経済の動きが相場に大きな影響を与えることが解ってきた。経済学の教科書など1ページも勉強したことはなかったが、この「日誌」によって、私は世界について基礎知識を得たように思う。
2.プロパンガス販売の着想
プロパンガスを知ったのは昭和27年(1952)、富山県で開かれた高圧ガスの業界団体の年次総会からである。その時の情報で、イタリアでは石油を精製する時に出るガスを加圧または冷却して液化し、ボンベに詰めて一般家庭の燃料として売っているという。LPG、つまり液化石油ガス「プロパンガスの缶詰」である。当時、岩谷産業は創業時の酸素ガス、カーバイド、溶接材料の他に、アンモニア、炭酸ガスから消火器、油圧ポンプなども扱い、工業用各種製品の商社の形をとりはじめ、従業員も260人に増えていた。
しかし、「会社をもっと大きくしたい」という夢にとりつかれていた私は、消費財をさらに大量に販売しなければ、と思い込んでいた。そこで「百聞は一見に如かず」として、早速イタリア視察に出かけた。ミラノやジェノバなどで、ガス事業の経営主体である公社を訪ねて話を聞くと、プロパンガスは家庭の炊事用に広く普及しているという。実際に街角でもプロパンを積んだタンクローリーが10数台連なって、白バイの先導で走っているのを見かけた。日本では炊事用にはまだ薪を使っている家庭が多かったころである。プロパンガスなら煙もススも出ないし、薪にとって代わるに違いないと考えた。
3.松下幸之助さんから学ぶ
松下さんの葬儀が平成元年〈1989〉5月25日に行われ、私も参列して最後のお別れをした。私より9歳年長で、私が神戸に奉公に出た大正7年(1918)に創業されている。おこがましいようだが、私も「経営の神様」の立志伝に影響を受けた一人で、事業の先輩として今もいちばん尊敬している。
幸之助さんの数ある経営哲学の中で、私が真っ先に学んだのは「分社経営」である。昔からある”のれん分け“もそうだが、その眼目は、経営者を育てることだと思う。分社すれば社長が必要だし、補佐する役員を必要だ。社員はポストによって大きくなる。たとえ小さかろうと、会社を任せるとなれば誰だって一生懸命になる。そこが幸之助さんの狙いだろうと私なりに理解した。
それを私が実践することで分社化が進み、今では関係会社の数が約380社。このうち最も多いのは全国各地のプロパン販売会社で、約140社ある。岩谷産業の直営もあるが、地元企業との共同出資の会社もある。また油圧機器や合成樹脂、住宅などガス以外の分野ではメーカーを次々に設立、これによって多角化を進めてきた。
私はよく「森の経営」という言葉を使う。岩谷産業が単独でいくら頑張って大木になっても、「野中の一本杉」では強い風が吹くと倒れることだってありうる。グループ企業がこんもりとした「森」を形成しておれば少々の嵐ではビクともしない。ようやく「林」くらいになった気がするが、「木」という文字をもう一つ足すには、まだまだ「植林」に励まなくてはならない。