掲載時肩書 | ファッションデザイナー |
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掲載期間 | 2021/09/01〜2021/09/30 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1943/10/03 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 78 歳 |
最終学歴 | 慶應大学 |
学歴その他 | |
入社 | 文化服装学院 |
配偶者 | 文化服装学院生 |
主な仕事 | 学生世界放浪、装苑賞、パリ遊学、自店、パリ出店、(自作音楽・オペラ・舞踏・空手・映画)ショー |
恩師・恩人 | 宮崎政男、操上和美、山本礼二郎 |
人脈 | 峰岸徹、林五一・立夫、高田賢三、コシノ・ジュンコ、山本寛斎、川久保玲、蜷川幸雄、三宅一生、3外人、北野武 |
備考 | 音楽バンド |
氏は、この「履歴書」に登場したファッションデザイナーとして、森英恵(1994.4)、ピエール・カルダン(1996.4)、芦田淳(2009.8)、高田賢三(2016.12)、コシノ・ジュンコ(2019.8)に次いで6人目である。氏が他のデザイナーと違っているところは、自作の曲でファッションショーを開き、ドイツ人のヴィムとは映画作り、ハイナーとはオペラ衣装で、ピナとは舞踏と空手のデザインショーで、北野武監督とは映画でファッションショーを行うなど、国際的にも前衛的で異色ぶりを発揮していたことだった。
1.既製服メーカー「ワイズ」の設立理由
パリから帰国して母親の店で、顧客の好みや要望に応じてデザインや素材、色などを決め、体形に合わせて1点ずつ手作業で仕上げるオートクチュール(高級注文服)の仕事を始めると多くの注文が来た。しかし、ジレンマも感じ出した。来店客の多くが女らしさを強調するセクシーな洋服を注文してくるのだ。ウェストの部分をきつく締めあげ、バストやヒップの膨らみをできるだけ目立たせようとする。男に自分をセクシーに見せたいという女心も分からないではない。接客のたびに客の前でひざまずき、裾上げする時間が嫌で嫌でたまらなかった。男に媚びて身体を締め上げる婦人服がどうしても好きになれなかった。
「女性にもっと男らしい洋服を着せたい。働く女性が自分のお金で自分のために買う意地のある洋服を作ってみよう」。これが既製服メーカー、ワイズを設立した理由である。1972年4月、歌舞伎町で開店した。
2.黒の衝撃(パリ・モード界に挑戦)
1981年4月、日本的な匂いを消そう、私はパリデビューではこう決めた。欧州風の構築的なデザインや裁断だけで勝負し、素材はビニールやウレタンなどを使った。黒、穴あき、左右非対称・・・西洋の服作りでタブーとされた伝統を根底から覆すような作風を実験するかのように繰り返し、ショーで披露した。これが「黒の衝撃」と呼ばれる激しい論争を巻き起こし、モード界全体を揺さぶる。私と川久保玲さんが同じタイミングでパリに出たことが強烈なインパクトを与え、注目を集めることになった。
しかし、当初は「こじきルック」「ボロック」と酷評され、「黄禍」などと露骨に不快感を示す論調もあった。中には私と川久保さんとの作品の写真に大きなバツ・マークを描き、「Good Bye」と見出しを付けた辛辣な記事も目にした。異質性ばかりが強調され、私と川久保さんは「モード・ジャポネ」とレッテルを貼られた。
3.川久保玲さんと私の違い
私のワイズと川久保玲さんのコム・デ・ギャルソン(仏語:少年のように)と同じ「前衛」としてくくられているが、コインの表と裏のような関係かも知れない。最大の違いは作り手の私が男であり、川久保さんが女であること。私は女を「格好良く」するために男の目線から服を作るが、一方で川久保さんは女の目線から服を作る。
服作りの手法も違う。私は文化服装学院で縫製や裁断、パターンメークなどの基礎を一通り学び、さらに母の洋装店で仕立ての修業を積んできた。だが川久保さんはスタイリスト出身。服飾の専門教育は受けていない。だから川久保さんの方が自由で潔くて大胆なのだ。こうした視点の違いがあるからこそ、お互いに刺激を受けるし、切磋琢磨できる。二人は新たな概念や手法を構築しては破壊することを繰り返してきた。
4.東京コレクションを世界に
パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドンの世界4大コレクションに東京も仲間入りさせる機運が盛り上がった。三宅一生さんの呼びかけで私や川久保さんと一緒に食事をした。1985年7月8日、東京・内幸町で「東京ファッションデザイナー協議会(CFD)」発足の記者会見が行われた。代表幹事に三宅さんが就任。発起人として森英恵さん、松田光弘さん、山本寛斎さんの他、川久保さんと私が名を連ねた。同年5月には東京商工会議所の五島昇会頭が「東京ファッション協会」も結成。財界も後ろ盾となり、東コレの運営体制が整ってきた。
やまもと ようじ 山本 耀司 | |
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生誕 | 1943年10月3日(81歳) 日本 東京都新宿区 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 文化服装学院卒業 |
職業 | ファッションデザイナー |
団体 | 株式会社ヨウジヤマモト |
著名な実績 | 「ヨウジヤマモト」のデザイン等 |
受賞 | 日・装苑賞(1969年) 日・遠藤賞(1969年) 仏・芸術文化勲章(1994年・2005年・2011年) 日・紫綬褒章(2004年) 日本ブランド創造貢献企業表彰(2005年) 英・ロイヤル・デザイナー・フォー・インダストリー(2006年) |
山本 耀司(やまもと ようじ[1]、1943年10月3日[2] - )は、日本のファッションデザイナー。ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開している。
長女の山本里美(英: Limi Feu )(りみ)も、自身のブランド「LIMI feu」(リミフゥ)のデザイナー。