掲載時肩書 | 作家 |
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掲載期間 | 1978/05/31〜1978/06/29 |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1899/12/25 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 78 歳 |
最終学歴 | 早稲田大学 |
学歴その他 | 早高 |
入社 | 文筆寄稿 |
配偶者 | 内縁離婚、再婚 |
主な仕事 | 「主潮」、雑誌社に投稿、奈良・鷺池浮見堂(自殺寸前の悟り)、志賀文学から一人立ち |
恩師・恩人 | 志賀直哉 |
人脈 | 大岡昇平、丹羽文雄、夏目漱石、河野一郎(中学同期)、尾崎士郎、三島由紀夫、浅見淵 |
備考 | 父は神宮皇学館の神官 |
1899年(明治32年)12月25日 – 1983年(昭和58年)3月31日)は三重県生まれ。小説家。早稲田大学国文科卒。志賀直哉に師事。生活苦の中で執筆し、短編集『暢気眼鏡』で芥川賞受賞。その後大病を患い、療養生活の中で自然や生き物への観察眼を深め、身近に迫る死を見つめた心境小説を発表して高い評価を受けた。昭和期の代表的な私小説作家であり、『虫のいろいろ』や『美しい墓地からの眺め』などの作品は、作者のみならず心境小説の代表的作品として知られている。
氏の「私の履歴書」では、志賀直哉と本人との描写に終始していた。
1.志賀直哉の発見
大正元年(1912)9月発行の「中央公論」第9号秋期大付録号の目次に、「岩石の間」島崎藤村、「青蛙」正宗白鳥、「大津順吉」志賀直哉など6篇が並んでいた。すでにその頃、「中央公論」「文章世界」「新潮」など読んでいた私は、藤村、鈴木三重吉、白鳥、徳田秋声などの名はよく知っており、作品も読んでいた。ただ一人、志賀直哉というのが初見であった。私は「大津順吉」を読んだ。感動した。小説というものによって、これほどの感動を与えられることがあるのかと驚いた。
理由は、中学4年の後期頃、父に将来の志望を尋ねられ、早稲田の文科に入って文学をやりたいと答え、全面的に拒否された私である。父との間が気まずくなるのは当然であった。気まずさはだんだんと深まって、5年生の夏休み頃には、明らかな父子の反目といえる形になっていた。そういう時に「大津順吉」を読んだ。自分の臆病さに嫌気がさした。父に不服があるのなら、なぜ勇敢に打ち出さないのか、この順吉のように。が、そうはいかなかった。父を尊敬していたから。しかし、「大津順吉」によって、鞭打ちされたのである。
2.自殺寸前の悟り
昭和4年(1929)12月、私は殆ど倒れこむような気持で、志賀直哉のすむ奈良へ遁れた。2月、極寒のある夜中、私は宿を出て浅茅ヶ原を歩き、鷺池の浮見堂に行った。午前1時か2時か。雲を透して薄い月の、光ともいえぬ光で池面がぼんやりと眺められる。その池面に、縁の方からだんだんと氷が張って来る。ピシ、ピシと微かに耳に来るのは、あれは氷の張る音なのか、やがてこの浮見堂の下まで氷は押し寄せるだろう、それを見届けてやろうー。黒くうずくまる春日、高円の山々と向き合って、どのくらいの間そうしていただろう。そうして考えたのは、自分は何もかも失った、自分は無一物なのだ、ということだった。
家産を破り、郷里の者とは音信を絶ち、内縁の妻を東京に置き去りにした。難破船が港によろけこむのとそっくりな形で志賀直哉の元へ投じたのだが、その港はあまりに美しすぎて、薄汚れたボロ船が身を置くすべもない場所だった。一口で言えば、資質と環境の違いを無視して、闇雲に志賀直哉の後を追っかけた自分の愚かさにはっきりと気づいたのであった。鵜の真似をする烏がどうなるかを、3年も4年ものあがきの末、漸く悟ったのである。この迂遠さは、我がこと乍ら呆然自失ものではないか。10年にも及ぶ志賀直哉追跡が無駄ごとだったとは。
無一物!底の底へ尻餅をついてしまえば、どう転んでも、もう堕ちるところはない。大きな諦めと共に、一種のすがすがしさが胸の奥に湧いた。自分は、どこまでも自分らしく生きればいいのだと。
3.志賀直哉の魅力
志賀直哉の魅力にどこまでも惹かれて、私は滅びの一歩手前まで行った。一歩手前で気づいて脱出を図った。「志賀直哉は人殺しだ」と、昭和7年(1932)、「改造」に懸賞当選で戯曲「馬」を発表した阪中正夫が叫んだ。私も弱かったが、前途を嘱望された木村庄三郎や阪中らはもっと弱かったのだ。強い人々がいる。瀧井孝作、小林秀雄、小林多喜二、網野菊など。彼らは若くから志賀直哉を深く敬愛しつつ、しかもなお独自の世界を保って動じなかった。大多数の人はそうはいかなかった。志賀直哉の周辺は死屍累々の有様なのだ。
尾崎 一雄 (おざき かずお) | |
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誕生 | 1899年12月25日 三重県宇治山田町 |
死没 | 1983年3月31日(83歳没) |
職業 | 小説家 |
最終学歴 | 早稲田大学文学部国文科卒業 |
代表作 | 『暢気眼鏡』(1933年) 『虫のいろいろ』(1948年) 『すみっこ』(1955年) 『まぼろしの記』(1961年) 『虫も樹も』(1965年) 『あの日この日』(1970年 - 1973年) |
主な受賞歴 | 芥川龍之介賞(1937年) 野間文芸賞(1962年・1975年) 文化勲章(1978年) |
尾崎 一雄(おざき かずお、1899年(明治32年)12月25日 - 1983年(昭和58年)3月31日)は、日本の小説家。三重県生まれ。早稲田大学文学部国文科卒。志賀直哉に師事。生活苦の中で執筆し、短編集『暢気眼鏡』で芥川賞受賞。その後大病を患い、療養生活の中で自然や生き物への観察眼を深め、身近に迫る死を見つめた心境小説を発表して高い評価を受けた。昭和期の代表的な私小説作家であり、『虫のいろいろ』や『美しい墓地からの眺め』などの作品は、作者のみならず心境小説の代表的作品として知られている。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。