掲載時肩書 | オリックス会長 |
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掲載期間 | 2013/09/01〜2013/09/30 |
出身地 | 兵庫県 |
生年月日 | 1935/09/13 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 78 歳 |
最終学歴 | 関西学院大学 |
学歴その他 | 関学高、米ワシントン大学大学院 |
入社 | 日綿実業 (双日) |
配偶者 | 留学時友 |
主な仕事 | 米留学、orientLease、海外進出、球団、事務機器、自動車、船舶、航空機、住宅、クレジット会社、保険等金融分野、環境分野に、規制改革、 |
恩師・恩人 | 乾恒雄 |
人脈 | 牛尾治朗、小林陽太郎、 |
備考 | グリークラブ先輩(山田耕筰、今東光、日野原重明) |
1.リース業から総合金融会社に
氏は日本の産業にとって未踏だったリース業という領域を切り拓き、徐々に業容を拡大し、他にみないユニークな企業グループに成長させた。具体的には、リース業を製造機械から始まり、事務機器、自動車、船舶、航空機、住宅へと発展させ、遂にはクレジット会社、生命保険会社、証券会社、信託銀行など金融分野に進出し、最近では資産運用会社も入れて総合金融会社にもなっている。現在は環境、新エネルギー、廃棄物などの分野にも事業を拡大させて、これを世界各地にグローバル展開している。
2.規制改革会議の苦悩
特に印象に残った文章は、規制改革会議(1980年代~2006年)議長で、不本意な中傷を受けた箇所だった。氏の「無念さ」がにじみ出ていた。「2008年12月、日本郵政は年間数十億円の赤字漬けだったかんぽの宿の一括譲渡先にオリックス不動産を選んだ。それを所管する総務相が「待った」をかけた。その理由は、「規制改革会議の議長だった宮内氏は郵政民営化を主導した。国民が出来レースと受け取る可能性がある」と横やりである。このかんぽの宿は不動産だけの売買ではなく、宿泊事業全体の譲渡である。しかも厳正な入札の結果だ。落札価格は約109億円。宿泊事業を継続するには施設改修に250億円の追加経費がかかる。600人を超える正社員も引き継ぐ契約だ。黒字転換は簡単ではない」と書いてある。経済人なら彼の言い分が良く解る。購入価格以上に改修経費が掛かり、なおかつ人件費(600名)を引き継いでの経営は大変だからだ。当時の鳩山邦夫総務相は経済が解らないのでないかと思った。
そして、「規制に守られた業界や、業界を応援する国会議員の攻撃に座長は体調を崩し退任することがしばしばある。航空なら運輸省OB,酒類なら大蔵省OB、農産物なら農林水産省OBが既存規制の必要性をとうとうと述べて反対する。規制改革をやろうとするなら、志と決裁権限を兼ね備えなければ無理だ。それは学者でも行政官でもない。政治家にしか改革を成し遂げることはできない」と述懐していたがこれが真情の吐露だと思われた。
3.2割司法への期待
社会に数多ある紛争やもめごとのうち、司法が解決はわずか2割程度にすぎないと言われる。あとは被害者が泣き寝入りしたり行政に駆け込んだり、はたまた闇の世界の人脈にたよったり。2割司法と揶揄される法曹界の機能を回復させ、社会から頼られるものにしたい。
みやうち よしひこ 宮内 義彦 | |
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生誕 | 1935年9月13日(89歳) 兵庫県神戸市 |
出身校 | 関西学院大学商学部 ワシントン大学大学院 |
職業 | オリックス シニア・チェアマン(元取締役、前代表執行役会長兼グループCEO、元社長) |
前任者 | 乾恒雄 |
後任者 | 井上亮 |
宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年(昭和10年)9月13日 - )は、日本の実業家。兵庫県神戸市出身。米ワシントン大学経営学部大学院修士課程修了。
オリックス社長、会長、グループCEOを歴任した[1]。プロ野球・パ・リーグに加盟するオリックス・バファローズの前オーナー。著書もいくつか書いており、『“明日”を追う【私の履歴書】』『グッドリスクをとりなさい!』『私の経営論』『私の中小企業論』『私のリーダー論』などがある[2]。