原文兵衛 はら ぶんべえ

政治

掲載時肩書参院議長
掲載期間1995/01/01〜1995/01/31
出身地東京都
生年月日1913/04/29
掲載回数30 回
執筆時年齢82 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他浦和高
入社内務省
配偶者町村敬貴娘
主な仕事警視庁、特高課長、終戦前夜、警察改革、東宝争議、安保騒動、警視総監、東京五輪、参議員、参院議長
恩師・恩人町村金五
人脈福田恆存、金田一春彦、伊藤正義、田中竜夫(浦同期)、小林与三次(省同期)、奥野誠亮、高橋義孝、舟橋聖一、池島信平
備考柔道部3段
論評

1913年(大正2年)4月29日 – 1999年(平成11年)9月7日)は東京生まれ。内務官僚、政治家。1961年、警視総監に就任する。4年間の在任中には吉展ちゃん誘拐殺人事件、草加次郎事件の陣頭指揮を執り、また1964年の東京オリンピックに際しては治安対策に尽力した。参議院議長(第20代)、環境庁長官(第13代)、自由民主党参議院議員会長(第17代)、女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)の理事長等を歴任した。妻の光子は町村農場創設者・町村敬貴の娘。元北海道知事の町村金五は妻の叔父、衆議院議員の町村信孝は妻の従弟にあたる。娘婿は参議院議員の中川雅治。

1.白バイ20台に送られて入営
昭和11年(1936)4月8日、内務省に採用され、同期の小林与三次君(読売新聞社長)ら27名が任地の言い渡しを受けた。警視庁に入り交通課交通係に配属されたが、間もなく徴兵検査を受け青森に入営が決まった。翌12年1月8日、青森に向かうため日暮里の家を出る私に交通課がフォードを差し向けてくれ、白バイ隊20台が見送りに来てくれた。私の乗ったフォードの前後に10台ずつ白バイが付き、堂々の隊列を組んで上野駅に向かった。駅周辺の人たちは「どこかの宮様のお出ましか」と囁いていたそうである。

2.警察制度改正
戦後GHQは内務省の解体とともに警察制度の全面的改革が日本の民主主義化に不可欠な課題であるとの認識を持っていた。この改革案は内務省の警察関係者には全く諮られず、曾禰益内閣官房次長を中心に作成された。このGHQ指令に沿った新しい警察法は昭和22年(1947)12月に公布され、翌23年3月7日施行されることになった。
 昭和22年末に廃止された内務省であったが、新制度発足とともに私は自治体警察になった警視庁の警部交通部長に発令された。この交通部長の初仕事は警視庁予備隊の創設であった。新警察制度発足から間もなくGHQは警視庁の警察官を5千人増やし、1万3千人にせよと通知してきた。私は田中栄一警視総監に「これからは集団警備力が必要になるので、5千人のうち相当数をこれに当てましょう」と提案し、採用されたのである。5月25日に2千5百人の警察予備隊が発足した。今の警視庁機動隊である。

3. 目白会(著名人との付き合い)

昭和36年(1961)2月24日、私は第65代の警視総監に就任した。就任して、私は少しでも警察のイメージアップのお役に立てばと思い、テレビや雑誌の対談などによく顔を出した。また、いろいろな会合のメンバーになって各界の有力者や著名人とお付き合いを広げるよう努力した。その一つに「目白会」がある。
 目白界隈に住む文士や学者の集まりで、独文学者の高橋義孝さんがメンバーに入らないかと誘ってくれた。そこには、高橋さんの他、舟橋聖一さん、十返肇さん、池島信平さんらがいて、メンバーが月に一度持ち回りで自宅に招き酒を飲み歓談するのであった。

4.東京五輪警備(延べ28万人の陣頭指揮)
昭和39年に東京五輪を迎えた。オリンピックの場合、警備、交通、防犯の任に当たる警察は、いわば裏方の仕事を受け持つようなものである。警視庁は35年3月にオリンピック準備委員会を設置し、4年半越しで準備に当たってきた。39年9月15日から11月5日までの大会期間を挟んだ50日間は、警視総監の私を本部長とする最高警備本部を設置して万全の体制を整え、延べ28万3千人の警察官を動員してこれに臨んだ。結果はすべてうまくいった。一番問題と思われた交通も、オリンピック関連工事が間に合い、交通規制への各方面の協力も円滑で、交通状態も平常よりずっとよくなり、選手輸送も整然と行われた。心配されたスリの横行や外国人客とのトラブルもほとんどなかった。多くの都民、国民の協力があったのが第一、それに天候などの運に恵まれたこともあるが、警視庁全職員も実によくやってくれたと感謝している。

原 文兵衛
はら ぶんべえ
1961年頃に撮影
生年月日 1913年4月29日
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市神田区(現東京都千代田区
没年月日 (1999-09-07) 1999年9月7日(86歳没)
出身校 東京帝国大学法学部(現東京大学法学部
前職 警視総監
所属政党 自由民主党
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
配偶者 妻・原光子
親族 義父・町村敬貴
娘婿・中川雅治

日本の旗 第20代 参議院議長
在任期間 1992年8月7日 - 1995年7月22日
天皇 明仁

日本の旗 第13代 環境庁長官
内閣 鈴木善幸改造内閣
在任期間 1981年11月30日 - 1982年11月27日

選挙区 東京都選挙区
当選回数 4回
在任期間 1971年7月4日 - 1995年7月22日

その他の職歴
第17代 自由民主党参議院議員会長
(総裁:海部俊樹宮澤喜一
1991年 - 1992年
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原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年大正2年〉4月29日 - 1999年平成11年〉9月7日)は、日本内務官僚政治家位階従二位勲等勲一等旭日桐花大綬章

参議院議長(第20代)、環境庁長官第13代)、自由民主党参議院議員会長(第17代)、女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)の理事長等を歴任した。

妻の光子は町村農場創設者・町村敬貴の娘。元北海道知事町村金五は妻の叔父、衆議院議員町村信孝は妻の従弟にあたる。娘婿は参議院議員中川雅治

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