日経「私の履歴書」に登場した男優は今まで12名いますが、彼のように国内外の映画の主演賞受け、かつ文化勲章も受けている人はいません。彼が「日本映画の黄金時代」　PHP新書（春日太一著）に映画や舞台の思いや内情を語ってくれています。私が知らない情報を下記に抽出しました。彼は日活から専属契約を要請されたとき、「日活の専属になると、俳優座をやめなければいけない。でも、芝居もやりたい、映画もやりたいという欲望があって、それで、どこの映画会社の専属にならない選択をした。これにより、年間の半分を映画、半分を芝居ができ、すばらしき監督や女優、作品に恵まれることができたのでした。

１．俳優座養成所の人たち
ここは東京・六本木にあった。同期の四期生には佐藤慶、佐藤允、中谷一郎、宇津井健らがいた。一年上の三期生には安井昌二さん、愛川欽也さん、穂積隆信さん、渡辺美佐子さんらが並ぶ。恭子や小沢昭一さんらがいた二期生は養生所では最上級生で雲の上の存在だった。

２．黒澤明監督の　「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」などの思い出
黒澤さんは、時代劇映画に不満がありました。人を斬るのに奇麗に舞うようにでは、斬れないと。当時の時代劇の所作をもっと生々しいものにしたのは黒澤さんでした。人を斬ったら血は出るんだ。（「椿三十郎」のラストで三船に仲代が斬られ、心臓の血が噴き出すシーン）
「本番。半兵衛が素早く刀を抜いて振り下ろそうとした刹那、三十郎の白刃が光る。と同時に半兵衛の血しぶきが長く空を染めた。三船さんの居合は０．３秒という一瞬の技だった。刀を下にして左手で抜きながら右手の拳を刀のミネに添えて切り上げたのだ。三船さん自身が思いついた殺陣だった。
斬られた瞬間、ドスンという衝撃を受け、倒れそうになるのを懸命にこらえた。そばにいた加山雄三、田中邦衛ら若侍役たちは、私の体から血が噴き出したので「事故か」と思った。映画の中の、口を半開きにして青ざめた彼らの表情は演技ではない。
　容器から伸びるビニール管が着物の裾を通って地下に埋められ、２０ｍほど離れた酸素ボンベに繋がっていた。立ち合いの瞬間にボンベの空気が送り出され、容器の中の血を５ｍも飛ばしたのだった。その仕掛けを撮影が終わってから知らされた。」

３．萬屋錦之助、三船敏郎、勝新太郎の殺陣の見どころ
華麗に舞うようにチャンバラがうまかったのは萬屋さん。三船さんは実際、バツン、バツン、バツンと斬っていて、そのスピード感（10秒で10人）がすごかった。勝さんは座頭市で真骨頂を見せましたけど、斬った後の余韻がうまかったですね。彼の場合、斬った後、それをスッと鞘に納めるまでが立ち回りなのです。だから、その余韻が残るんです。
「あるとき中村（萬屋）錦之助さんの新婚家庭に招かれた。いい機会だと思って、苦手にしてる立ち回りについて助言を求めた。すると錦之助さんはあの高い声で言った。「モヤ、来る奴から斬りゃいいんだよ。米という字の書き順を変えて刀を振り回したらどんどん斬れる」。
そうだろうか。こちらは映画と舞台の真剣勝負。黒沢映画の迫力も知っている。「お役者様」のチャンバラと同じようにはいかない。気が付くと殴り合いになっていた。原因はやはり演技論だった。」

４．三島由紀夫の切腹
１９６９年８月公開の五社英雄作品に幕末を舞台にした「人斬り」というのがある。物騒なタイトルだが、それもそのはずで「土佐の人斬り以蔵」こと岡田以蔵が勝新太郎、土佐勤王党のリーダー武市半兵太が私、石原裕次郎の坂本龍馬、薩摩の人斬り田中新兵衛が作家の三島由紀夫という顔ぶれで、人きりが二人も出てくる。それにしても思い切った配役だった。
　「人斬り」の撮影現場がある京都に向かう大阪行きの飛行機で、たまたま三島さんと一緒になった。７０年安保闘争を前に学園紛争が燃え盛っている時期だった。三島さんは母校の東大で全共闘の学生と討論するなど、右からの政治的発言を続けていた。同時にボディビルで身体を鍛えている様子も週刊誌などで報じられていた。私は尋ねた。「作家なのにどうしてボディビルを？」「僕は切腹して死ぬからだよ」。三島さん演じる田中新兵衛は映画の中で奸計にはまって切腹することになっていたが、そのことではなかった。「本当に切腹するとき脂身が出ないよう、腹筋だけにしようと思っているんだ」。返す言葉がみつからなかった。名古屋で俳優座公演「オセロ」が初日の幕を開けた70年11月２５日、あの割腹自殺の報を聞いた。

５．自宅に無名塾を誕生させる
１９７５年秋に俳優座でストリンドベリ作「令嬢ジュリー」を公演することが決まった。主演のジャンが私、ジュリーが栗原小巻という配役だ。私は恭子に演出をやらせたいと思い、千田是也先生の了解を得て関矢幸雄・隆巴（妻：恭子）の共同演出になった。
　劇団の中には面白くない人がたくさんいただろう。「女房の演出で主役か？」そんな蔭口があったことを知るのは後のことだ。恭子が演出をするという話を聞いた恭子の後輩たちが世田谷の自宅に訪ねてくるようになった。若い役者が芝居をする。恭子がアドバイスしている。その様子を庭でゴルフの素振りをしながら眺めているうちに、つい声が出た。いつの間にか本気で芝居を教えていた。演技指導が終わってみんなで一升瓶を囲む日々続くうち、目の前で瞳を輝かせて芝居に打ち込んでいる小川真司や神崎愛たちを、一人前の俳優に育ててみたいと思うようになった。
　７５年３月、私と恭子は自宅の敷地に建つ小さな稽古場で「無名塾」を始めた。俳優を一から養成すると同時に、すでに舞台に立っている役者も無名に戻って演技を見直す場にしよう。「役者が役者を育てるの無理」とか「追い越されて手をかまれるぞ」という声も聞こえた。だが、私たちにとって無名塾は単なる私塾ではない。演劇人、いや人間としての「死の準備」だった。

６．女優の性格
「女優」は「女」とは違う。例えば、衣装合わせをする場合、監督が「この役だからこの衣装だ」というと、「私その柄が気に入らない。私の好み、こっち」というのが女優。人の迷惑を考えずに自己主張をしていく。いい意味でわがまま放題です。だから、いくら女優として魅力的であっても、女性としては魅力的ではなくなってしまう。こういうのを見ていると女優さんは、やはり別の生き物のような気がします。
そして彼は、今はプロダクションの時代だと言います。今の芸能界は、吉本、ジャニーズ、ホリプロ、これが芝居まで進出してきている。昔は俳優座、民藝、それから文学座が占めていました。しかし、今はもうチョッとテレビで売れたのをホリプロさんなんかはかき集めてきて、芝居の主役に使ってしまう。「でも、声が通らないから、舞台でもマイクを付けて上がってね」と。発声の訓練、時代劇や現代劇の立ち振る舞いなどの初歩的な所作をじっくり勉強する時間がないので即席となってしまう。これでは立派な舞台俳優や映画俳優は育たないという。へぇー、こういう時代になっているのだと驚くことばかりでした。

氏は２０２５年１１月８日、９２歳で亡くなった。この「履歴書」に登場は２００５年１１月の７３歳のときでした。履歴書の冒頭はつぎの記述ですが、妻・恭子さんとの思い出を８回にわたって書いています。それだけ恭子さんへの感謝と愛情の深さが感じられるもので、追悼文でした。

１．亡き妻におくる「恋文」
　人生は、演じる役者も筋書きを知らない芝居だと思えばいいのだろう。突如、虚を突いて暗転する。１９９５年１１月１３日の深夜、妻恭子の主治医から電話があった。「奥様に口止めされていたのですが、精密検査の結果、膵臓がんの疑いがあります」
この年、恭子は無名塾の演出家として例年通り役者やスタップとともに全国巡演の旅を続けた。私たちが監修した能登演劇堂が、いまは合併して七尾市になった石川県中島町に完成し、柿落としの公演があったため確かに忙しかった。そのせいか旅公演の間中、恭子が大儀そうにしていたのは知っていたが、まさかがんだったとは。

受話器を握り、心臓が耳元にあるような激しい動悸を聞いていた。手術は２９日午前１０時半に始まった。同じ時刻からＮHＫの大河ドラマ『秀吉』の収録。病院に行くと恭子は「今日は大事な撮りでしよ？手術で死ぬわけないから大丈夫よ」とほほ笑んだ。千利休を演じていた私はスタジオに向かった。
夕方、病院で執刀医は切除したピンクの肉塊を見せて「うまくいきました」と言った。そして「あと２年はもつと思います」と語を継いだ。人間はいつか死ぬ。しかし、いつ死ぬかわからないから生きていられる。「たっだの２年！」。叫んだつもりだったのに声にならなかった

　日課の早朝ジョギングは祈りの行に変わった。走りながら自分を責めていた。結婚して以来、ずっと恭子に生活全般を任せきりにして亭王関白を通してきた。几帳面でしっかり者の彼女は嫌な顔ひとつ見せず、舞台や映画に没頭させてくれた。そんな苦労がひょっとしてがんの原因になったのではないかと。
　暮れも押し詰まって恭子は退院し、正月の膳を家族でにぎやかに囲んだ。それは張りぼてに似たにぎやかさだった。私は主治医に告げられていた。がんは転移しているらしい。余命は半年。２月末、無名塾の入塾試験が始まった。１０日間にわたって八百人以上の受験生全員と面接する。今年は休むようにと言ったのだが、恭子は「これが私の生き方なの」と譲らず笑顔で面接に臨んだ。

　試験が終わって恭子は精密検査を受け、肝臓への転移が確認された。一人で病院に行った彼女は「千鳥ヶ淵の桜がきれいだったわ」とさらりと話した。体力は日を追って衰え、次第に横になることが多くなった。ある日、階段で転んでそのまま再び入院した。病床で娘の奈緒と妹の総子に「頑張ることの中心は愛なのよ」と言ったそうだ。頑張って病気を治さなければ、頑っていい仕事をしなければ。そう考えた末に行き着いた結論だったのだろう。

　９６年６月２７日、恭子は眠るように６５年の生涯を閉じた。通夜、葬儀、告別式と現実感のない時間が過ぎていった。自宅に戻ると誰にもいなくなったことを知った。涙によってしか埋められない空洞ができていた。この「履歴書」は亡き妻への恋文なのかもしれない。

＊評伝　日本経済新聞　2025年11月12日　一部抜粋
演劇と映画、ふたつの領域でスターになった役者といえば、仲代さんをおいてほかにない。眼光鋭い精悍（せいかん）な顔、屈強な身体。恵まれた容姿はシェークスピア劇や時代劇映画の悪役で輝き、筋を通す愚直な男を演じさせても余人にない強さを印象づけた。

父を8歳で失い、青少年時代は極貧だった。東京で空襲に遭い、ともに逃げた少女の手を握っていたが、いつのまにか手だけになっていた。軍国少年の価値観がひっくり返って、信じるものを失う。競馬場で闇の予想屋を摘発する危ない稼業をしていて「こっちにこい」とヤクザから誘われたこともある。飢えた野生児のようだった仲代さんが生きる道として見いだしたのが演劇だった。

師は俳優座創設者の名優、演出家の千田是也さん。人間とは何か。その探究を重んじる新劇の精神がたたきこまれ声の高低などの「もの言う術」を学ぶ。養成所の先輩、宮崎恭子さんと出会って結婚し演劇の同志となる。戦後の日本映画黄金時代にあたり、名監督から声がかかった。小林正樹監督の大作「人間の條件」は満州（中国東北部）を舞台に、ソ連の捕虜となった不屈の男が脱走し雪中で力尽きるまでを描く。雪原で倒れ、体が雪で埋まるシーンを北海道で撮影した際、雪が積もるまでじっと耐えた。

舞台では自分の演技を見られないが、映画はまずさもわかる。編集で切り取られる映画は監督のものだが、舞台は幕があけば役者のもの。双方を行き来することが役者修業と考えた。「用心棒」「椿三十郎」で黒澤明監督に抜てきされ、後の「影武者」や「乱」でも舞台の蓄積を生かす重厚な演技でうならせた。
演劇と映画に橋をかける生き方を若者に示す場が１９７５年に始めた無名塾だった。役所広司さん、若村麻由美さんらが薫陶を受け巣立った。妻亡きあとも役者の卵をライバルにみたて、日々の鍛錬を欠かさなかった。能登演劇堂が演劇公演のホームだった。無名塾の合宿地だったことから交流が生まれ、95年に公共ホールとしては珍しい演劇専門劇場まで建てられた。映画と演劇が一体になったような「仲代演劇」は忘れがたい。生涯修業の言葉を胸に刻んでいた。
（編集委員　内田洋一）