中村富十郎 なかむら とみじゅうろう

映画演劇

掲載時肩書歌舞伎俳優
掲載期間2001/04/01〜2001/04/30
出身地東京都
生年月日1929/06/04
掲載回数29 回
執筆時年齢72 歳
最終学歴
慶應大学
学歴その他
入社4歳で舞台
配偶者再婚は女優
主な仕事女形→立役、武智歌舞伎、吾妻歌舞伎、扇鶴時代、外国巡演、菊五郎劇団、映画出演、矢車会
恩師・恩人武智鉄二、安宅英一、尾上松緑
人脈高砂(梅玉)、高麗(幸四郎)、紀伊国(宗十郎)、芝(菊五郎)、播磨(吉右衛門)、大和(三津五郎)、錦之助、雷蔵、杉村春子、歌右衛門
備考母:吾妻徳穂、父:再婚:初代鴈治郎娘・芳子
論評

1929年(昭和4年)6月4日 – 2011年(平成23年)1月3日)は、歌舞伎役者。父は四代目中村富十郎、母は日本舞踊吾妻流家元の吾妻徳穂。生前は随一の立方、踊りの名手として知られた。若年時、上方を中心に活躍した際には、二代目中村扇雀とともに、その美貌から「扇鶴コンビ」と呼ばれ人気を博した。この時期には武智歌舞伎にも参加し、ここで積極的に実験的な手法に触れ、古典の品格や解釈を学んだことは大きい。加えて、終戦後母と共にアヅマ・カブキとして日本舞踊の欧米公演を行ったことは、富十郎自身が語るように、その芸に有形無形の影響を与えている。一方で東京に出てからは、十五代目羽左衛門系の颯爽とした芸系とともに、二代目尾上松緑に師事して六代目尾上菊五郎の写実的な世話物の系統、また松緑が得意とした荒事や舞踏にいたるまで広く学んだ。平成に入ってからは四代目中村雀右衛門との名コンビを謳われて『二人椀久』などの傑作を残している。

1.武智歌舞伎
武智鉄二先生は、戦争中に能や狂言など伝統演劇を守ろうと自主公演の「断絃会」を主宰し、古典演劇界では大勢の人と知り合いだった。晩年にはポルノ映画を撮ったりもしたが、広く芸術を理解し、日本文化にも独自の思想を持っておられた。先生は、今の若手に歌舞伎とは何かを改めて考え直さなければいけないと「歌舞伎の再検討」をかねておっしゃっていた。仲の良かった八代目三津五郎おじさまの協力を得て幹部俳優の子弟を集め、歌舞伎の演技はどのように伝承されてきたか、能や文楽からどのように入ってきたか、歌舞伎の流れのもとはどういう形式か、などを長期間勉強させながら稽古をしようと、非常に学術的な考えから実行されたのだ。これが、中村扇雀さんや私たち後になって、ほんとにありがたいことだと実感したのでした。

2.映画出演
私も昭和28年(1953)に「次郎長一家罷り通る」で桶屋の鬼吉役で映画に初出演した。堺正章さんのお父さんの堺俊二さんが全盛時代だった。そのほか松竹の「忠臣蔵」など主演も入れ、合わせると本数もそこそこなのだが、一本もヒットしなかった。何でもそうだが、世の中にはそう甘いものではない。中村錦之助君や市川雷蔵君は映画に入り大成功した。その代わり二人は歌舞伎をあきらめた。私みたいに歌舞伎も出たい、映画にも出たいというのはダメなのだ。

3.恩人・安宅英一さん
私を安宅さんに預けるよう父を説得したのは八代目三津五郎おじさんと武智先生だった。安宅さんは、東京上野の芸術大学に昭和15年(1940)安宅賞奨学資金(現安宅賞奨学基金)を設立、音楽、美術分野で学業優秀な方々を支援してきた。安宅さんは物静かで、お行儀のいい上品な方であった。
 公演が休みの時、安宅さんは私を呼んで、朝から晩まで6,7か所お稽古に回らせるのだ。踊りの先代尾上菊之丞先生、能楽の桜間道雄先生、鼓の望月初子さんら一流の方々に教えを受けた。私が歌舞伎で「一本刀土俵入り」をやるといえば、時津風親方の双葉山道場に連れていき、頭突きとかいろいろ勉強しなさいとお相撲さんの稽古を見学させてくれたのです。私にとって最大の恩人でありました。

4.多くの女優との共演(母・吾妻徳穂と有吉佐和子さんとの縁)
昭和41年(1966)に山本富士子さんと共演したころから、淡島千景さん、小暮実千代さんら多くの女優の方とご一緒する芝居が増えてきた。初代水谷八重子おばさまとも何回か共演し、昭和50年(1975)には「華岡青洲の妻」で杉村春子先生とも共演した。これは作者の有吉佐和子先生が「富十郎を出したい」と言って、出していただいたものだった。有吉さんは母の吾妻徳穂のところに一時居たことがあり、秘書兼雑用係のように使った、とのこと、大変恐縮したご縁でした。

ごだいめ なかむら とみじゅうろう
五代目 中村 富十郎
屋号天王寺屋
定紋八本矢車 
生年月日1929年6月4日
没年月日 (2011-01-03) 2011年1月3日(81歳没)
本名渡邊わたなべはじめ
襲名歴1. 四代目坂東鶴之助
2. 六代目市村竹之丞
3. 五代目中村富十郎
俳名慶舟・一鳳
別名吾妻あづま徳隆とくたか吾妻流五代目家元)
出身地日本の旗 日本東京府
四代目中村富十郎
初代吾妻徳穂
市村録太郎
中村鷹之資
渡邊愛子[1]

五代目 中村 富十郎(ごだいめ なかむら とみじゅうろう、1929年(昭和4年)6月4日 - 2011年(平成23年)1月3日)は、歌舞伎役者屋号天王寺屋定紋八本矢車日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。

本名は渡邊 一[2](わたなべ はじめ[3])。父は四代目中村富十郎、母は日本舞踊吾妻流家元の初代吾妻徳穂正四位旭日重光章追贈[4]

  1. ^ “歌舞伎の中村富十郎さん長女、渡邊愛子が本格的に日本舞踊の道へ 初代「芳澤壱ろは」襲名 きょうお披露目”. スポーツ報知. https://hochi.news/articles/20240920-OHT1T51358.html?page=1 2024年9月21日閲覧。 
  2. ^ 1994年(平成6年)6月27日文部省告示第91号「重要無形文化財の保持者を追加認定する件」
  3. ^ 歌舞伎立役 - 文化庁
  4. ^ 2011年(平成22年)1月25日閣議決定。
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