掲載時肩書 | 漫画家 |
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掲載期間 | 2025/02/01〜2025/02/28 |
出身地 | 岡山県玉野市 |
生年月日 | 1949/09/19 |
掲載回数 | 27 回 |
執筆時年齢 | 75 歳 |
最終学歴 | 商業高校 |
学歴その他 | デッサン教室 |
入社 | 漫画作品寄稿 |
配偶者 | 7歳下の編集者(37歳時) |
主な仕事 | 「りぼん」準優勝18歳、デッサン教室、「デザイナー」「有閑俱楽部」「コーラス」「プライド」 |
恩師・恩人 | 弓月光 |
人脈 | 里中満智子、新谷かおる、聖悠紀、松苗あけみ、内田善美、大矢ちき、吉野朔美 |
備考 | 腱鞘炎(左手でペン描き)、連載ではイラスト漫画が満載 |
氏は漫画家として「私の履歴書」に登場した横山隆一(1971.12)、田河水泡(1988.10)、水木しげる(2003.8)、里中満智子(2022.5)に次いで、5番目である。「私の履歴書」タイトルに自分のイラストを入れ、写真挿入箇所に漫画をふんだんに挿入されているので、目新しく興味深く読むことができた。
1.作品を自由に描ける大胆な提案をする
私が若手の頃、1970年代はじめの少女漫画界で編集者が喜ぶ代表的なストーリーは、ロマコメ(ロマンチック・コメディ)だった。確実に読者が選ぶとアンケートで分かっている、安全パイなのだ。こうしたものも描きながら、私は自分にしか描けないものを探していた。そんなとき「リボン」から4回連載の話があった。そこで私は大胆な提案をした。「この連載は、打合せはしません。『リボン』の規定は知っているし、私もプロなので最低限の良識は持っています。連載途中でダメだと思ったら、切られてもいいです。私は一度ぐらい誰にも邪魔されず、描きたいものを好きに描きたいんです」。そこまで言ったら、担当さんは「わかりました。好きにしていいですよ」。やったぁ!
漫画家は、ネームと呼ばれるプロットを担当編集者に見せて、直されて、OKが出たらペン入れするのが普通だ。打合せもなく「自由に描く」というのは私が知る限り、聞いたことがない。これでダメなら辞めてもいい。そんな覚悟で74年に連載を始めたのが「デザイナー」だ。
2.嫌いなタイプを描いてこそプロ
漫画家のプロというのは、自分の好き嫌いにかかわらず、高いクオリティを維持する。本音では嫌な企画であっても、読者に「この世界がお好きなんですね」と勘違いされるほどのモノを作る。そういう技術を「プロ」と呼ぶべきなんじゃないか・・。試しに自分が嫌いなヒロインを考えてみた。一応ヒロインなのだから、普通の女子に同調される性格にせねば。そう、私は自分が普通の女子規格から外れている事を自覚していた。
お金持ちの世間知らずで、お嬢様気質のかたくなな女。エネルギーが少なくて、周囲が見えず内に内に入っていくタイプ。相手役は、誠実で真面目な男にしよう。この二人の間にある障害は「身分」と、私の好みである「年齢」にした。女性の方が16歳上で、ゆえに悩み続けるヒロインである。
タイトルは「砂の城」。何度作っても波に壊されるのに、人間は同じものを作る。同じことを繰り返す。そんなイメージだ。77年7月号の「りぼん」で連載が始まった。
3.漫画家開眼
ゴージャスな高校生の話である「有閑俱楽部」では、主人公の高校生に負けないくらい、親のキャラクターづくりが重要だった。初回の時、悪役キャラを、思い切って気持ちの悪いドスケベオヤジに描いてみた。そうしたらアシスタントが「このオジサン見たくない」と嫌がって、絵が見えないように、原稿の上にティッシュを置いてバックを描いていた。ちょっと面白くなってきて、どんどん下品な方向に走り出し、どんどん少女漫画から脱線してしまう。
私自身もこの作品で「開眼」した。中でもエポックになった回は、万作が肥桶の中身を悪者にぶちまけるシーンだ(香港より愛を込めての巻)。これを描いた時、何かが壊れて目の前がパアァと広がって「いける!もう何も怖くない!」。とうとう自分は無敵で恥知らずの少女漫画家になってしまった、という気持ちになった。
漫画は毎回、美術や宝石、日本文化など何かしらの雑学を盛り込む工夫もしている。読者の人気キャラは世代によって傾向がある。小中学生は頭が良くて頼りになりそうな清四郎。その上の世代は一緒に遊ぶと楽しそうな魅録。そして結婚、離婚などを経験し酸いも甘いもかみ分けた大人は、豪華で安全なホストキャラ美童の魅力に気づく。余談だが、今年1月3日「有閑倶楽部」がX(旧ツイッター)でトレンド一位になった。うっそ~23年前の作品なのに!と、想像もしなかったお年玉に驚いた。
4.仕事の習慣病
75歳になった今も接骨院に通っている。腱鞘炎を発症する前から、肩や背中はバリバリだった。20代半ばで、ハリ治療が効かなくなっていた。腕を真っすぐ上に伸ばせなくなった。エアロビスク行って鏡を見たら、自分だけ背中が一直線で驚いたこともある。背筋は緩やかなS字の曲線になっているはずなのに・・。
月刊誌の仕事が中心で、一か月の半分を描く仕事にあてていた。週刊誌より楽だと思われそうだが、締切り前の10日間は睡眠時間が2時間くらいで、最後の2日は徹夜はザラ。描き始める前には打合せに取材や資料集め、ネーム(シナリオ)作りなどがあるので、純粋な休みは殆どないに等しい。120ページ超の読み切りを6か月連続で描いた時など、徹夜で原稿を上げて、そのまま次の号の打合せに出かけた。
こうした無理が重なった末の腱鞘炎だろうが、私は高校生の時も毎日2~3時間の睡眠で漫画を描いていた。仕事のつらさは、労働時間よりもむしろ、責任の重さからくるのではないだろうか。
5.ペンネームでオンとオフ
本名は藤本典子だ。漫画家にこの名前は堅苦しくて辞書でも作っていそうなので、集英社での漫画家デビューが決まった頃にペンネームを付けた。誰にでも読めて、字が美しく発音が綺麗で覚えやすい名前。画数が少ないと、名前がずらっと並んでもいても目立つ。そんなことを考えながら決めた。結果としてペンネームがあってよかった。私の中に「藤本典子」「一条ゆかり」の二人がいることでオンとオフを分けられる。互いに良い影響も与えあえたと思う。
藤本典子は本来、大家族で育った末っ子の甘えん坊で、結構だらしがない。上京したての頃は、「こんな甘ったれの私が編集者と交渉したり、アシスタントを雇って指示を出したりするなんて無理だ」と焦ったものだ。一条ゆかりは、藤本典子がプロデュースする女優のようなもの。一条はこのプロデューサーの指示に従って、欧米のオシャレな文化が香る、ゴージャスな漫画を描く人を演じる。自由人で、お酒も強く、少々非常識なところもあるけれどカッコいい、そんな女性像である。
仕事をさぼりたくなることも多いが、そういう時はプロデューサーが「あなたはプロでしょうが!」と厳しく制する。仕事が終わるとプロデューサーは休みに入るらしく、解き放たれた私は遊びほおける。だから私は、漫画を描いている最中と遊んでいる時は人格が変わる。
6.運命共同体のような弓月光
漫画家仲間の中でも付合いが長くて、運命共同体のような、家族のような存在なのは弓月光だ。「りぼん」の第一回新人漫画賞で一緒に準入選した。賞金は10万円だった。同い年で、たまにしか会わなくても、すぐに昔からの関係に戻れる。デビュー間もない頃は、よくアシスタントをしてもらった。朝の5時に原稿を上げて、そのまま当時の新宿コマ劇場の前にあったボーリング場に繰り出して、マイボールでガンガン投げて、そのまま夜遊びに直行・・・アホですか、寝なさいよ、である。
仕事では新谷かおる、聖悠紀とともに私の「メカ3兄弟」で、大概のメカを描いてもらってきた。自分でも描けるようにならねばと車のデッサンを練習してみたが、頑張る私の後ろを弓月が通ってフッと笑ったことがある。ムカッとして描くのをやめた。弓月の描く、大福のように柔らかそうな少女の絵を私は描けない。でもそうした絵柄から、若い頃の弓月は、少年誌では少女漫画風と言われ、少女誌では少年漫画みたいと言われた。