ルイス・ガースナー ルイス ガースナー

精密

掲載時肩書米IBM会長
掲載期間2002/11/01〜2002/11/30
出身地アメリカ合衆国
生年月日1942/03/01
掲載回数29 回
執筆時年齢60 歳
最終学歴
米国ハーバード大学
学歴その他ダート マス
入社マッキンゼー
配偶者銀行員女性
主な仕事アメックス、RJRナビスコ社長、IBM、インテル、マイクロソフトと競争、network化、
恩師・恩人ジム・バーグ(J&J)
人脈大前研一、同期7人(一人がパートナーに昇格で残りは退社)、トム・ワトソン・シニア(創業)、槇原稔、椎名武雄、出井伸之,、サム・パルミサーノ
備考父運転手、母教育ママ、兄(IBM)
論評

1942年3月1日 – )は米国生まれ。アメリカン・エキスプレス会長兼最高経営責任者(CEO)、RJRナビスコ会長兼最高経営責任者(CEO)、IBM会長兼最高経営責任者(CEO)、カーライル・グループ会長を歴任したアメリカを代表する経営者の1人である。1993年4月、IBM初となる外部招請の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。1991年28億ドルに上る創業初の赤字を計上し、1993年までの3年間で累積赤字総額150億ドルに陥ったIBMを経営再建し、ネットワーク・コンピューティング(1995年)、e-ビジネス(1997年)を提唱した。

1.ハーバード大ビジネススクール(1963年秋)で学ぶ
ここは猛勉強を強いるところだった。特に1年目はきつかった。当時は土曜日も授業があり、週に6日授業に出なければならなかった。授業はすべてケーススタディーだった。具体的な事例を読んで議論する。それまで高校、大学では読書して事実を集め、分析して正解を考えるという古典的な教育を受けてきた。だがこうした事例研究では正解がない。最初はそれに戸惑い、ややイライラした。
 ハーバードは作文指導でも優れていた。隔週で事例研究のレポートが義務付けられ、土曜日午後5時までに郵便受けのような箱に投函しなければならなかった。レポートの枚数は8~10枚。簡潔に、かつ効果的に分析し要約する訓練になった。翌週には成績評価が発表された。
 もう一つ、ここで学んだ重要なことはチームで仕事をすることの意味だった。一人で作業することはまれで、大抵の事例は集団で議論した。少なくても2,3人、時には6人編成でやった。これによりチームメートのそれぞれの性格や気質が良く分かった。社会に出て、仕事上、最も重要だと思うのは人を見る目を養うことだ。人物を見抜いて、やる気を起こさせ、適材適所に配置し、適切な指示を与えることだ。そうした人物評価の基礎訓練を、大学院のチーム作業で学んだと思う。

2.IBMへの誘いと候補
同じアパートの最上階に住んでいるジョンソン&ジョンソンの会長ジム・バーグ氏から、1992年12月14日夜、「近いうちにIBMのトップの座が空くので、就任を考えて欲しい」と頼まれた。これには驚いた。翌93年1月26日、IBMはジョン・エイカーズ会長が引退し、後任候補を広く選考するための委員会を設置すると発表した。その委員長はバーグ氏。彼からは就任を促す電話がすぐに来たが、私は辞退し続けた。
 委員会は候補枠を広げ、全米の一流企業トップの名が次つぎに浮上した。マスコミにはGEのジャック・ウエルチ、アライド・シグナル社のラリー・ボンディ、モトローラ社のジョージ・フィッシャー、さらにはマイクロソフト社のビル・ゲイツの名前まで挙がった。

3.IBMの初日
1993年3月26日、ニューヨークのホテルで朝9時半に記者会見が始まった。私が登壇すると、40人近いカメラマンが押しかけ、会見中、絶え間なくフラシュを浴びながら、自分の人生が決定的に変わったことを実感した。今まで務めたアメックスやRJRナビスコでも注目はされたが、ここでは全く違い、私が公的な存在になっているのだ。IBMのCEOとは大統領や議員のような公職と同じようなのだとわかった。
 記者会見の後は社内会議だ。大会議室に案内され、そこで主要幹部50人ほどの経営会議メンバーと会った。私は自分の経営方針として「プロセスより原則重視」「悪い情報を隠すな」「敏速に急げ。急ぎ過ぎて間違えるのは、遅すぎて間違えるよりいい」「会議は最小限に減らせ」などを明示した。
 さらに最初の90日間の最優先事項と当面30日間の課題を提示した。各事業部門の責任者には「顧客の要望」「競争力の分析」「技術的な諸問題」「今後1,2年の展望と重要課題」などについて、10ページのレポートを提出するように求めた。

追悼

氏は2025年12月27日、死去した。83歳だった。この「履歴書」に登場は2002年11月の60歳のときでした。IBMが赤字転落し危機に陥るなか、複数企業で経営経験を持つ社外出身者として1993年からCEOに迎えられた。ハードウエアの生産から顧客向けサービス事業へと方向転換し、IBMの経営を再建した。かつて大型汎用コンピューター「メインフレーム」の製造で成功したIBMでしたが、90年代にはパソコンなど小型機への需要シフトで苦境に直面していた。氏はそうした環境でCEOに就き、2002年まで約10年間にわたりトップを務めた。氏は米マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、米アメリカン・エキスプレス社長、米RJRナビスコ会長兼CEOを歴任し、1993年にIBMのCEOに就任した。IBM退任後には米カーライル・グループの会長も務めた。著書に「巨象も踊る」がある。

9・11事件への対応
 IBMの九年間、私は社員に数百通のメモや手紙を出してきた。特に2001年9月11日の悲劇的な事件のような緊急事態が発生した際には、たくさんのEメールを出した。

(9月11日午後5時7分送信)
  「同僚の皆さんへ。本日の破局的な事件に対して個人として、組織として、できることはたくさんあります。個人としてはまず献血の呼びかけ応えられるでしょう。ですが、最も重要な貢献は会社としての行動です。この種のテロ攻撃の目的は社会を混乱させ、マヒ状態に陥れることです。これまで数時間、主要な顧客から業務上の支援を求める声がたくさん寄せられ、担当チームがその対応に大車輪で動いています。私たちは破壊されたインフラを復旧・整備するという重要な組織的役割を担っているのです。私たちにできる最善の方策は、要請があれば直ちに応じられるよう準備を整え、手際よく敏速に行動することです。数時間前にも書き送りましたが、職務を果たすには注意深く、しかも最良の判断を下すよう心がけてください。最後に、私たちは被災地にいる同僚の安否の確認作業を全力で続けています。私たちの仕事は24時間態勢で続きます。その進展状況は逐次、連絡します」

(9月13日午後1時17分送信)
  「顧客支援の状況を伝えます。世界貿易センターと周囲2区画四方にはIBMの顧客が千二百社以上あり、そのうち数百社はすでに私たちと接触しています。現在、二十件は非常事態を脱し、業務再開を果たしています。私たちは大容量のデータ処理センターを提供し、破壊されたデータ処理施設を再構築し、顧客の業務部門をIBMで肩代わりする応急措置をとっています。……世界中の社員から何百通ものメモが私の所に来ています。その全部には返事できませんが、全部ちゃんと読んでいます。皆さんが事態を憂慮して何か自分にできることはないかと言っていることに私は深く感動しています。社員が心配して自己犠牲の精神を発揮していることを私は誇りに思っています。集中して、共に行動しましょう」

(9月21日午前H時41分送信) 
IBMは9・11救済基金に5百万ドル寄付したのに加え、基金のインターネット上の管理運営を直ちに引き受けました。これまでの寄付総額は1億ドルを超えています。この10日間、IBMは100万ドル単位の金と数千時間の労力を投じて大惨事からの復旧作業に取り組んできました。95年の阪神大震災のときもそうでしたが、IBMが顧客からも同僚からも地域社会からも最も必要とされる時に、社員の皆さんは常に雄々しく立ち上がっています。私は今ほど皆さんの同僚であることに誇りを感じるときはありません」
   ×  ×  ×
 私は企業が成功するのは、社会が健康で生き生きしている時だけだと信じている。顧客や社員たちが丈夫でいられる地域社会が企業に必要だからだ。同時に企業には単に寄付金を出すだけではない重要な役割があるし、社会のために他の誰よりもうまくできるものがある。だからこそIBMの構造改革を進める中で慈善事業の哲学も見直し、社会問題を解決するのにわが社の技術を活用しようとするように努めてきたのだ。

ルイス・ガースナー
1995年頃
生誕 (1942-03-01) 1942年3月1日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ミネオラ
死没 (2025-12-27) 2025年12月27日(83歳没)
出身校 ダートマス大学工学部卒業
職業 アメリカン・エキスプレス元会長兼CEO
RJRナビスコ元会長兼CEO
IBM元会長兼CEO
カーライル・グループ会長
配偶者 あり
子供 あり
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ルイス・「ルー」・ガースナー(Louis V. "Lou" Gerstner, Jr. 1942年3月1日 - 2025年12月27日[1])は、アメリカ合衆国実業家アメリカン・エキスプレス会長兼最高経営責任者(CEO)RJRナビスコ会長兼最高経営責任者(CEO)、IBM会長兼最高経営責任者(CEO)、カーライル・グループ会長を歴任したアメリカを代表する経営者の1人である。

  1. ^ IBM (2025年12月28日). “Remembering Lou Gerstner” (英語). www.prnewswire.com. 2025年12月28日閲覧。
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