掲載時肩書 | CPグループ会長 |
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掲載期間 | 2016/07/01〜2016/07/31 |
出身地 | タイ |
生年月日 | 1939/04/22 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 77 歳 |
最終学歴 | 高等学校 |
学歴その他 | |
入社 | 家業手伝 |
配偶者 | 23歳で近所娘と |
主な仕事 | 野菜種子、中国語、英語、30歳CP総裁、ブロイラー一貫事業、深セン特区1号、コンビニ、携帯電話、 |
恩師・恩人 | 陳詩馥、チャムナン・ユバムーン |
人脈 | ロックフェラー、伊藤萬、鄧小平、ジュディ・オング父、伊藤忠、華僑人脈、ブッシュ父、ジャック・マー、岡藤正広 |
備考 | 畜産・コンビニ・携帯多国籍企業 |
1939年4月 – )はタイ生まれ。欧米またアジアの数十か国の企業数百社を傘下におさめ年間総売上高数兆円を数えるCP(チャロン・ポカペン)グループ(本社・タイ)の会長兼CEO。総計数百億香港ドルとも言われる一族全体の資産ゆえにタイきっての富豪として知られるほか、中国では外資企業(正大集団)を率いる華僑として最初期の中国進出に成功した第一人者とみなされている。
アジアから「履歴書」に経済人で登場したのは、インド・タタ財閥のラタン・タタに次いで二人目である。他は、政治家でマハティール(マレーシア)、スハルト(インドネシア)、リー・クアンユー(シンガポール)、孫平化(中国)の4人である。
氏は、タイに生まれた華僑であるが、国境を越えて事業を広げる華僑とそれを受け入れるタイ国で一大国際企業に育て上げた。氏はタイ語、広東語、香港語、北京語、台湾語、英語、マレ-シア語など苦労しながら身に着け、各国に散らばっている華僑との人脈、米国(ロックフェラー家、ブッシュ父)、台湾のジュディ・オング父、シンガポール、オランダ、中国(鄧小平、アリババの馬雲)などとの信頼関係を築いた。語学と人脈で当初野菜の種の販売から出発し、農業と餌、鶏・豚のブロイラー、肥料などの一貫体制を各国に拡げていった。その販路がコンビニ展開、携帯電話事業へと発展するのだから経営のスケールは人物のスケールと一体化していると痛感した。
1.CP(チャロン・ポカパン)グループの事業内容
CP(チャロン・ポカパン)はタイで一番大きな民間企業グループであり、①畜産など農業・食品、②コンビニなどの小売り、③携帯電話などの通信の3事業を主に営んでいる。CPグループは100ケ国以上で商品を販売し、2015年の売上高は約4兆6千億円に達している。事業拠点は東南アジアから、中国、欧米に広がっている。日本ではコンビニの総菜コーナーで鶏肉や豚肉のパック裏にCPと記したマークがそれで、CPは日本の食卓を変えた企業とも呼ばれている。それは1973年にタイから鶏肉を、80年代にはエビの養殖にタイで成功し、日本に輸出し始めた。日本の消費者に鶏肉やエビを手ごろな価格で提供し、鶏の空揚げやエビフライを気軽に食卓に乗せられるようにしたからだった。
実はCPグループにはもう一つの名前がある。正大集団だ。中国が78年に対外開放政策を始めると、CPは真っ先に中国に進出した。広東省の経済特区の深圳に登記した第一号の外資系企業がCPだ。以来、中国では正大集団の名前を使っており、正大という名前を知らない中国人はいないほどだ。
2.父の教育
創業者である父、謝易初は中国広東省生まれの華商だ。父はタイなど東南アジアと中国を行ったり来たりしながら、事業を大きくした。CPは中国とビジネスや人脈で結ばれてきた。
我々謝家の兄弟姉妹はタイで生まれたが、父は子供たちに中国名を授けた。長男の中国名は正民、次男は大民、三男が中民、そして私が国民だ。4人の名前の最初の漢字を並べると「正大中国」になる。さらに父は子供たちにタイだけでなく中国でも教育を受けさせた。だから12人の兄弟姉妹は、タイ語はもちろんのこと、中国語は自由に操れる。経営者として父の後を引き継いだ我々は華人華僑や中国人と自然に付き合え、中国圏での事業は素早く展開できた。
3.経営の基本方針
25歳でCP会社の社長職を次兄から引き継いだ。200人規模の所帯だった。華人華僑の企業では二代目、三代目になっても家族が直接経営に関与するが、家族の対立から事業が傾くことが少なくない。私は家族を経営から遠ざける決心をした。姉たちが事業に関わっていたが、「お金は今よりも払うから、もっと人生を楽しんで欲しい」と話して事業から身を引いてもらった。
少し厄介だったのは兄嫁だった。長兄が飼料事業を興してから長兄の妻、兄嫁がお金の出し入れを担当していた。兄嫁は人柄もよく、夫の会社に携わり続けたいという気持ちが強かった。兄嫁に財務から手を引かせるのは忍びなかったが、会社のためと心を鬼にした。「お姉さんがどれだけ自分を犠牲にして働いても、お姉さんは会長の奥さんなのだから、他人に不信を持たれてしまうのです」。私は次々に家族を説得して退出させ、新規に採用した若い専門家らに替えていった。
さらに一族の子女がCPの中核事業(農業・食品)に入ることを禁じた。もちろん私の息子も含めてだ。経営チームがしっかりしていれば事業はうまくいくものだ。
4.テレビ事業に進出・・ジュディ・オングさんの父に協力依頼
中国を頻繫に訪れるようになったが、テレビ番組は面白く感じなかった。台湾の友人にジュディ・オングさんの父(翁炳栄さん)がいた。台湾テレビ界の草分け的な存在だ。ラジオ局の幹部として出世し、台湾のテレビ局「中国電視」の創設にかかわった。台湾メディアの東京代表として長期間、日本に滞在した。
この翁炳栄さんはテレビ番組のプロデューサーとして辣腕を振るった。私は1960年代から台湾に投資を始め、仕事で足しげく通っており、経営者仲間から翁さんを紹介された。すぐに意気投合し、親友となった。80年代、華人社会で翁さんほど外国の番組に詳しい人はいなかった。私は番組制作会社を香港と上海につくり、翁さんを会長に迎えた。企画・制作した番組を中国の公共テレビ局、中央電視台にスポンサーとして提供することにした。こうして始まったのがテレビのバラエティ番組の「正大綜芸」だ。
スタジオに観客を集め、トークショーを交えながら世界の出来事を紹介する内容だ。日本や米国なら当たり前のスタイルだが、当時の中国人には衝撃だった。初放送は90年4月。毎週1回の放送だ。番組のテーマソングは翁さんが自ら作詞し、娘のジュディ・オングさんが歌った。ジュディさんが歌ったテーマソングの「愛的奉献」は大ヒット。誰もが口ずさむ曲となった。
タニン・チャラワノン ธนินท์ เจียรวนนท์ 謝国民 | |
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生誕 | ก๊กมิ้น แซ่เจี๋ย 1939年4月19日(85歳) サイアム王国プラナコーン県サムパッタウォン郡 |
住居 | タイバンコク |
国籍 | タイ |
民族 | タイの華人 |
職業 | 実業家 |
純資産 | 30億ドル(2019年) |
肩書き | |
配偶者 | テーウィー・チャラワノン |
子供 | 5人 |
親 | エクソー・セーチャラ |
受賞 | 旭日重光章 |
タニン・チャラワノン(タイ語: ธนินท์ เจียรวนนท์、1939年4月 - )は、欧米またアジアの数十か国の企業数百社を傘下におさめ年間総売上高数兆円を数えるCP(チャロン・ポカペン)グループ(本社・タイ)の会長兼CEO。総計数百億香港ドルとも言われる一族全体の資産ゆえにタイきっての富豪として知られるほか、中国では外資企業(正大集団)を率いる華僑として最初期の中国進出に成功した第一人者とみなされている[1][2][3]。