掲載時肩書 | 第13代:陶芸家 |
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掲載期間 | 1980/06/03〜1980/06/30 |
出身地 | 佐賀県 |
生年月日 | 1906/09/20 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 74 歳 |
最終学歴 | 専門学校 |
学歴その他 | 佐賀県立有田工業 |
入社 | 家業手伝い |
配偶者 | 見合い |
主な仕事 | 焼き物(成形、絵付け、窯焼き)、窯焼き (素焼き900℃、本焼き1300℃、仕上焼き500℃)、にごし焼き:県→国の重要無形文化財 |
恩師・恩人 | 板垣中隊長 |
人脈 | 有田焼(古伊万里、色鍋島、柿右衛門)、 赤絵(本焼き絵800℃、別窯で)、横綱・常ノ花、十一代仁左衛門、鍋島県知事、小糸源太郎 |
備考 | 浄瑠璃、歌舞伎、特徴 にごし手 |
(1906年 – 1982年)は佐賀県生まれ。1947年頃から濁(にごし)手の復活を目標とし、1953年に初めて濁手の作品を発表した。柿右衛門様式は、主に大和絵的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴である。上絵の色には赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられる。また、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉が施されている例も多い。同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせる。濁手と呼ばれる独特の乳白色の地色は、赤色の釉薬との組み合わせによって非常に映えると言われる。しかし、原料となる土の耐火性が強いなど調合が困難である。さらに焼成時・乾燥時の体積変化が非常に大きいため、作製が困難であり歩留まりが良くない。この「履歴書」では先祖からの秘伝書を開示している。
1.有田磁器の窯温度と時間
色絵磁器ができ上るまでに、最低3回は、窯焼きをする。最初は素焼きで、12時間ぐらい、温度は900度、次が本焼きで、35,6時間、温度は1300度内外、最後が赤絵窯で、7,8時間、温度は800度である。
2.有田焼は分業
焼きもの作りは分業で、その一つ一つ、一人前になるまで年期がいる。土こね3年という。水簸(水に陶土を入れて、陶土の微細な粉末を求める方法)の後の土を、足で踏み、手でもんで練り、中の空気を出す作業が土こねで、これが満足にできるようになるまで、3年かかるのだ。ろくろも、座って引けるまでに3年、練った土を、手で真っすぐ延べるのにも1年、というふうに、それぞれどの技術も身につけるまで相応の年月がかかる。では、焼きもの作りでは何が最も年期がかかるか。成形、絵付け、窯焼きの分業3つだ。難しさはどれにも差がつけられない。一生かけてもなお終わりがない。
3.国の重要無形文化財・濁(にごし)手の復活(柿右衛門の特色)
昭和22年(1947)、23年、私の41,2歳の時、父に「にごし手」を復活させることを説いた。「にごし手」というのは、磁胎の白い肌合いの一洋式、「濁手」とも「米汁手」とも、また「乳白手」とも書く。即ち乳白色である。
有田焼の様式は、大別して、古伊万里、色鍋島、柿右衛門の3つがある。古伊万里も色鍋島も、磁胎いっぱいに絵模様が施されている。その線も太く強い。一方、柿右衛門は白いところが多い。器の白い地を画布に見立てて絵を付ける趣で、余白の部分を多く残している。絵の付け方は、繊細で、細かい線がとぎれとぎれであったりする。このことが、古伊万里、色鍋島との大きな違いであり柿右衛門の特色である。
4.柿右衛門手の絵柄
絵柄は時代によって変わってきている。山水、花鳥、草樹、岩石、動物等で、何でもある。絵柄を描く絵具に、赤、黄、青、紫、黒、緑があり、中でも、赤が難しく、微妙な性質がある。初代柿右衛門が、夕日に照らされた柿の実を見て、赤絵の赤を思いついたというが、赤の扱いは確かに工夫のいることだ。
赤の絵の具は、酸化鉄である。「たて分け」という方法で三様に分けて使う。家で代々行っている「たて分け」について言うと、酸化鉄の粉を大きなすり鉢で、良く擦り、水を注ぎ、さらにこれをかき回し、切りワラ4,5センチぐらいを浮かべる。水が回っている間これが回っていて、止まった時が水が静止した時で、この時上澄みを取る。これが絵の具の赤の一番良いところである。花を描くには、この絵具を用いると映りが最もさえる。次に取り出した中ほどの分が、柿の色、底に残った分が、線描き用、いわば三等品である。これは、微細な粒子を、水によって分離する方法で、上澄みが最も粒子が細かく、中ほど、底の順で、粒子が大きくなる。赤の発色は、粒子が細かいほど、いいというわけである。