藤原啓 ふじわら けい

芸術

掲載時肩書陶芸家
掲載期間1982/09/15〜1982/10/11
出身地岡山県
生年月日1899/02/28
掲載回数27 回
執筆時年齢83 歳
最終学歴
早稲田大学
学歴その他英文科聴講生
入社小学代用教員
配偶者郷里で見合い
主な仕事俳句、和歌、「文章世界」、詩集上梓、「博文館」、絵、音楽、落語、日活、下野新聞、39歳(陶工)
恩師・恩人西条八十、金重陶陽、川喜多半泥子、北大路魯山人
人脈片岡鉄平、賀川豊彦、林芙美子、横光利一、荒畑寒村、サトーハチロー、桂又三郎、山本陶秀、小山富士夫、荒川豊蔵、今泉今右衛門、平櫛田中
備考正宗白鳥・竹久夢二・柴田錬三郎・生家近く
論評

1899年2月28日 – 1983年11月12日)は岡山県生まれ。陶芸家。同じく陶芸家の藤原雄は長男、藤原敬介は次男。1937年、文学を断念し帰郷。翌1938年、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の敦夫の勧めで、三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始める。当時39歳という遅いスタートであるが、1948年に国認定の技術保存資格者(丸技)の資格(備前焼では他に金重陶陽、山本陶秀のみ)を受けたのを機に作陶への生涯を決意する。金重陶陽や北大路魯山人らからも指導を受け、技術向上に邁進した。特に金重陶陽が先駆となった古備前復興の継承に尽力。桃山古備前の技法を基礎にしながらも、窯の中での自然の変容を生かした近代的な造形が特徴である。師である金重とは対照的で素朴で大らかな作品が、古くから受け継がれた備前焼の新たな展開を示し、後進へ大きな影響を与えた。

1.林芙美子さんの思い出
関東大震災の前後に東京・飯田橋にいた。このころ作家として名を成す前の林芙美子が下宿に転がり込んできたこともある。林の1回目の上京の折で、恋人との同棲生活が破綻するかして行くところがなくなり、私のところに来たのである。林とは「文章世界」の投稿欄で知っていた。下宿は四畳半一間きり。間に衝立を立てての厳粛な生活だった。もちろん、愛情関係はないのだから、手を握ったことさえない。
 林芙美子でもう一つ忘れられないことがある。近松秋江先生に「だれか女中を」とかねて頼まれていたので、彼女を世話したのである。ところが、二週間ほどしかたたないうちに先生が「引き取って欲しい」という。事情を尋ねると、書斎に入って本を読むばかりで、女中らしい仕事をしなかったらしい。林らしいな、と私は一人で笑った。

2.金重陶陽氏
氏は、備前焼中興の祖と称される。桃山期ごろから続く備前窯元六姓の一門、金重家に生まれ、江戸から明治にかけて衰退の道をたどった備前焼に新しい生命を吹き込み、桃山期に劣らぬ隆盛に導いた立役者である。備前焼に関するあらゆることを熟知し、生前は備前焼の生き神様とも称えられた人である。
 陶陽は私より3つ上。年齢ではこれだけの差だが、焼きものの上でははるかに大先輩である。私とはそれまでたどってきた道程も、境遇もまるで異なる。彼には窯元6姓としての誇りと責任があった。一致しているのは、ともに酒好きということぐらいだったろうか。まるで違う私たちは奇妙に気が合い、陶陽はオイ、コラの付き合いを許してくれた。だからここでも、敬称抜きで記す。
 陶陽に会ってからは、私の作陶の師匠は彼になった。わからないことがあれば、伊部に住む彼のもとに走り、それさえもどかしい時は相手の都合も考えず電話をかけた。彼は私にいろいろなことを教えてくれた。「火にはその通り道がある。それをよく呑み込んで窯をたかなくてはいけない」。また、やみくもに轆轤を回し、それを次から次へと窯に入れていた私には、「火の性格を知れ」との単純な言葉が天啓の如く響いた。

3.備前焼との因業
これは釉薬を一切用いない。その点で特異な焼き物である。それでいて褐色や紫、緋色に焼き肌が変化し、ゴマが流れる。これすべて土の持ち味と炎の変奏によるものである。土と炎だけで、これだけに表情豊かな焼きものに仕上げるには、相応の手間と暇がかかる。
 田んぼの底から土を掘り出してから、轆轤の上に乗せられるようになるまでにざっと4年。轆轤で形を整え、窯に詰めるまでが三か月から半年。窯詰めに1週間を要し、窯焚きは2週間かけてじっくり焼き上げる。そして窯焚きと同じくらいの時間をかけて窯が自然に冷えるのを待って、作品を取り出す。なんと息の長い作業であることか。それで満足のいく仕上がりになるとは限らない。よりによってかくも困業な窯と付き合わないでも、と自分を呪ってみたこともあるけれども、これも放蕩三昧の前半生の報いだろうか。

藤原 啓(ふじわら けい、1899年2月28日 - 1983年11月12日)は日本の陶芸家。本名は敬二。同じく陶芸家の藤原雄は長男、藤原敬介は次男。岡山県名誉県民[1]1970年人間国宝に認定。

  1. ^ 岡山県名誉県民 - 岡山県ホームページ(総務学事課)
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