掲載時肩書 | 地球環境産業技術研究機構理事長 |
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掲載期間 | 2018/12/01〜2018/12/31 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1934/05/18 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 84 歳 |
最終学歴 | 東京大学 |
学歴その他 | 麻布 |
入社 | 東大講師 |
配偶者 | 恋愛 |
主な仕事 | MIT留学、ローマクラブ、温暖化対策、茅恒等式、読書・音楽、 |
恩師・恩人 | ゼロエミッション |
人脈 | 中西宏明(学生)、「すべき」→「したい」 |
備考 | 父・誠司東大総長 |
氏(84歳)の父親は茅誠司氏である。父親はこの「履歴書」に1959(S34)年1月に61歳で登場し、物理学者として国内外でも活躍し、東大総長や文化勲章なども受賞した人物である。陽一氏は若いころ、学者としてロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」型の「すべき」追求型人生とサマセット・モーム「人間の絆」の主人公医師・フィリップの「したい」型人生追求のいずれにすべきかを考え、後者「したい」型の人生を歩むことにした。このことが、電気制御システムの道を歩み始めながら、30代半ばから「ローマクラブ」会員に引き込まれたことで、グローバルなエネルギー・環境・産業システムが未来社会にどうなるのかといった総合的な問題を数量的な分析手法で国や国際社会に貢献する生き方となった。
父親の茅誠司氏は金属を専門とする物理学者で、金属の残留磁気に関する「茅の法則」を公式化にしたので有名であるが、氏も二酸化炭素(CO2)排出を抑制する「茅恒等式」を発明し公式化した。これは1989年、国連が気候変動に関する政府間パネル(IPCC)を発足させたのに伴い、氏がこの公式を使って会議で参加者に温暖化対策のポイントを説明した。この数式は、CO2排出の人為的原因はほとんどが化石燃料の消費であるから、この排出を①エネルギー消費あたりのCO2排出量、②国内総生産(GDP)あたりのエネルギー消費量、③GDP、(CO2=C/E*E/G*GDP)の3つの要因の掛け算として振り分け、それぞれの要因の時間的な変化をみれば、今後CO2排出を抑制するにどうしたら良いかが推定できるものだった。
いま氏は、パリ協定による平均気温の上昇を2度以下、できれば1.5度に抑制するためにCO2排出を30年度に現在より45%減、50年ごろは100%減というのは実質、非現実的とみる。そこで山口光恒氏とともに提唱するのが「ゼロエミッション」である。これは、人類は温度上昇抑制目標ではなく、最終的にCO2を排出しない行動を追及するものである。これを実現すれば、地球温度の上昇はやがて止まる。従って最終的に気温が何度であろうと、行動の方向を変える必要はなく、精一杯の努力をするだけでよい。しかしながら、この達成手段も厳しいものだ。それは3つ。
1.最も厚い壁はCO2を排出しない脱炭素の電力が大量に必要となり、特に乗用車は電気自動車に供給する電力がゼロエミッションでなければならないからだ。
2.産業でも最も排出が多い鉄鋼業では、石炭による鉄鉱石の還元を脱却し水素を用いた直接還元が将来必要だ。これも水素を脱炭素で生産するため、水の電気分解が必要となる。
3.原子力発電は適しているが、放射性廃棄物の処分や国民の合意面で課題が多い。太陽光や風力など再生可能エネルギーは近年世界で成長が著しいが、天候による出力の変動が大きいので、蓄電池の大規模な導入が必要となる、などである。
氏は、一つの専門技術に集中してそこで大きな業績を上がるより、グローバルな大きな目標に向けた総合的な仕事に取り組んだ日本の頭脳財産である人物だと思った。
茅 陽一 かや よういち | |
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生誕 | 1934年5月18日(90歳) 日本 |
研究分野 | エネルギー環境システム工学 |
研究機関 | 東京大学 慶應義塾大学 地球環境産業技術研究機構 |
出身校 | 東京大学工学部 |
主な業績 | 地球温暖化対策で活動 |
プロジェクト:人物伝 |
茅 陽一(かや よういち、1934年5月18日 - )は、日本の環境工学者。東京大学名誉教授。専門はエネルギー環境システム工学。日本における地球温暖化問題の第一人者[1]。工学博士[1]。
地球環境産業技術研究機構理事長。元ローマクラブ本部会員[2]。IPCC国内連絡会座長[3]。