福田赳夫 ふくだ たけお

政治

掲載時肩書元首相
掲載期間1993/01/01〜1993/01/31
出身地群馬県
生年月日1905/01/14
掲載回数30 回
執筆時年齢88 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他一高
入社大蔵
配偶者友人の妹
主な仕事英国駐在、汪兆銘・顧問、新円発行、派閥 解消提唱、40日間抗争
恩師・恩人
人脈前尾繁三郎(同期)、津島寿一、堤康次郎、岸―佐藤ー福田
備考代々庄屋
論評

1905年〈明治38年〉1月14日 – 1995年〈平成7年〉7月5日)は群馬県生まれ。官僚、政治家。総理大臣としての在任期間は短かったが、長年に渡って保守政界の一方の雄として期待され続け、閣僚としても党幹部としても、そつなく仕事をこなした。60年代の高度成長期には水田三喜男と共に数度に渡って蔵相を務め、また70年代のオイルショック後の転換期にもほぼ一貫して経済運営の中心にあった。「60年代〜70年代の経済危機はいずれも福田によって収拾された」という指摘もあり、とくに田中・三木内閣でオイルショック後の官民挙げた総需要抑制政策を指揮し、成功させたことは高く評価されている。

1.福田メモ(40年余の記録)
私の書架に100冊以上、幅にすると1m以上にもなる小さなノートが並んでいる。1952(昭和27)年に政治家になってから、折々につけてきたメモだ。朝、起きて前日のことを忘れぬようにと思いたったとき机に向かう。「福田メモ」はその時々冷静になって考えをまとめるためにつづった文字通りの覚書だ。
 原敬、芦田均両氏のような克明な日記形式とは違って抜けているところも多いが、今回履歴書を執筆するにあたって、ノートを読み返してみると簡単な走り書き程度のものがあるかと思えば、会談の相手がどんなことをしゃべったのか自分でもびっくりするほど克明に記しているところもある。公開を目的にしたものではないので、自分でも解読しにくい字や、ちょっと意味不明の部分があったりする。しかし、読んでいるうちに往時が走馬灯のように私の脳裏をよぎる。

2.銀行局長時代(政治家の資金源も手に取るように分かる)
1946年(昭和21)2月16日に新円発行と預金封鎖の「金融緊急措置令」を公布した。月給も500円以上は強制的に封鎖預金にいれるという、いわゆる「500円生活」が始まった。
 一方、企業については本当に必要な事業資金については封鎖されている預金を解除できる体制をとり、銀行局の中に監査課を新設した。しかし、「本当に必要な事業資金」の判断が難しく大変な騒ぎになった。
大蔵省には封鎖預金の解除を求める人が列をなして、監査課長が殴り飛ばされることもザラで次々に交代した。六尺ふんどし一つになって次官室の前に座り込む者まで現れた。
 私は7月に銀行局長になったので、封鎖預金の動きを全て知りうる立場になり、主な政治家の資金源も手に取るようにわかった。すでに第一次吉田内閣だったが、ある時、吉田茂総理大臣から「すぐ官邸に来るように」と緊急の呼び出しがかかった。行ってみると、某建設会社の社長を紹介され、「この人の会社の資金封鎖を解除してもらいたいんだ」とおっしゃる。特段問題のない案件で解除を決めたところ、えらく総理から感謝された。

3.池田首相との経済政策の違い
岸総理のあとを継いだのは池田勇人氏だった。池田総理の月給2倍論と私の生産力倍増論にみられるように二人の間には経済政策についての根本思想が異なっていた。池田氏は消費重視の超高度成長の考えだったのに対し、私は生産に重点を置く安定成長論だった。
 私は1961年(昭和36)6月に京都で「国際収支の赤字は一時的ではなく、継続的なものだ。消費が盛んになって生産と需要に不均衡が生じないか問題だ。経済政策は安定成長路線に切り替えるべきだ」と述べ、池田総理の高度成長路線を批判した。
 自民党三役の一人が、総理の一枚看板である経済政策を痛烈に批判したことから、大きな反響を呼んだ。私と池田総理の関係は緊迫したものとなり、翌7月の内閣改造に合わせた党役員人事で私は政調会長の地位を去った。

福田 赳夫
ふくだ たけお
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 1905年1月14日
出生地 日本の旗 日本群馬県群馬郡金古町(現・高崎市足門町)
没年月日 (1995-07-05) 1995年7月5日(90歳没)
死没地 日本の旗 日本東京都北区(東京女子医科大学附属青山病院)[1]
出身校 東京帝国大学法学部法律学科卒業
前職 大蔵省主計局長
所属政党無所属→)
自由党→)
自由民主党
称号 正二位
大勲位菊花大綬章
法学士(東京帝国大学・1929年)
群馬県名誉県民
配偶者 福田三枝
親族 福田善治(父)
福田平四郎(兄)
福田宏一(弟)
福田康夫(長男)
越智通雄(娘婿)
越智隆雄(孫)
福田達夫(孫)
サイン

内閣 福田赳夫内閣
福田赳夫改造内閣
在任期間 1976年12月24日 - 1978年12月7日
天皇 昭和天皇

内閣 三木内閣
三木改造内閣
在任期間 1974年12月9日 - 1976年11月6日

日本の旗 第70・73-74・78代 大蔵大臣
内閣 第1次佐藤第1次内閣
第1次佐藤第2次内閣
第2次佐藤第2次改造内閣
第3次佐藤内閣
第2次田中角栄第1次改造内閣
在任期間 1965年6月3日 - 1966年12月3日
1968年11月30日 - 1971年7月5日
1973年11月25日 - 1974年7月16日

内閣 第2次田中角栄内閣
在任期間 1972年12月22日 - 1973年11月25日

日本の旗 第94代 外務大臣
内閣 第3次佐藤改造内閣
在任期間 1971年7月5日 - 1972年7月7日

その他の職歴
日本の旗 第27代 農林大臣
第2次岸改造内閣
1959年6月18日 - 1960年7月19日
日本の旗 衆議院議員
旧群馬3区
当選回数 14回
1952年10月1日 - 1990年1月24日
第8代 自由民主党総裁
1976年12月23日 - 1978年12月1日
自由民主党最高顧問
総裁:鈴木善幸中曽根康弘竹下登宇野宗佑
海部俊樹宮澤喜一河野洋平
1980年 - 1995年
第5・12代 自由民主党幹事長
総裁:岸信介
1959年1月 - 1959年6月
総裁:佐藤栄作
1966年12月 - 1968年11月
第4・8代 自由民主党政務調査会長
総裁:岸信介
1958年 - 1959年
総裁:池田勇人
1960年 - 1961年
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福田 赳夫
ふくだ たけお

在任期間 1947年9月2日 - 1948年9月24日
大蔵大臣 栗栖赳夫
北村徳太郎
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福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年明治38年〉1月14日 - 1995年平成7年〉7月5日)は、日本政治家大蔵官僚位階正二位勲等大勲位

大蔵省主計局長衆議院議員(14期)、農林大臣第2次岸改造内閣)、大蔵大臣第1次佐藤第1次改造内閣第1次佐藤第2次内閣第2次佐藤第2次改造内閣第3次佐藤内閣第2次田中角栄第1次改造内閣)、外務大臣第3次佐藤改造内閣)、行政管理庁長官第2次田中角栄内閣)、経済企画庁長官三木内閣)、自由民主党総裁(第8代)、内閣総理大臣福田赳夫内閣)を歴任した。

  1. ^ 上毛新聞社『群馬の20世紀 上毛新聞で見る百年』上毛新聞社、2000年、400頁。ISBN 978-4880587653 
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