掲載時肩書 | 作家 |
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掲載期間 | 1976/06/27〜1976/07/25 |
出身地 | 富山県 |
生年月日 | 1912/04/19 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 64 歳 |
最終学歴 | 商業高校 |
学歴その他 | |
入社 | 住友合資 |
配偶者 | 事実婚 |
主な仕事 | 会計係→住友不動産「3等重役」25年間 、サンデー毎日、東宝監査役、長編94,短編37,随筆18 |
恩師・恩人 | 阿部兵長、百瀬結 |
人脈 | 次年入社(長谷川周重、日向芳斉)、 川田順(総務部長)、山口誓子(住友)、車谷弘、丹羽文雄、森繫久彌 |
備考 | 住友株買戻し㊙ |
1912年(明治45年)4月19日 – 1985年(昭和60年)9月12日 )は富山県生まれ。小説家。住友合資会社勤務の傍ら小説を書き始め、『英語屋さん』ほか2編で直木賞受賞。『三等重役』『停年退職』『天上大風』など、長いサラリーマン生活からの体験に基づいたユーモア小説で人気を博した。戦後の昭和を代表するベストセラー作家の一人である。映画化された作品も多い。晩年は幽霊物を多く書いた。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」と「『鶏』という字が好きで、『鶏太』とすると、昔の武士の名前のようになる」という理由。
1.総務部長川田順氏の訓示
昭和5年(1930)4月、私は大阪市の住友合資会社に入社した。総務部会計課用度係を命ぜられた。月給は35円、別に手当てが1割ついた。ついでに書いておくと、国立大学出は75円、私立大学出が65円、高商出が55円だった。私が入社した時の総務部長は、川田順氏であった。私たちが入社の挨拶のため総務部長室へ入っていくと、「これから君たちに必要なことは、とにかく勉強することである。鉄に関することでもいいし、石炭や林業に関することでもいい。英語でもいい。そのことについては、あの男は、オール住友で第一人者と言われるようになることだ。今の僕はどんなことでも君たちには絶対に負けないだろう」と言われた。
私は、密かに何という自信家であろうと思った。富山で詩を書いていた私は、しかし、詩を書かしたら負けませんでしょう、と思った。この後、この川田部長が有名な歌人川田順氏と同一人物だとわかり、すっかり恐れ入ってしまった。
2.ペンネーム・源氏鶏太の由来
昭和10年(1935)、私が23歳のとき、「サンデー毎日」大衆文芸に応募し、「あすも青空」が佳作入選し、活字になっていた。その時に初めて、今のペンネームを使った。たいした意味がなく、平家より源氏が好き、次に鶏という字の感じが好き、更に今の自分が下級サラリーマンであるように、源平時代の下級武士にあったような名として、一番下に太の字を持ってきたにすぎない。これが生涯のペンネームになろうとは考えもしなかったし、今でも、ふっと大いに照れてしまうことがある。
振り返ると、私の文壇的処女作は、「オール読売」昭和22年(1947)2,3月合併号に投稿された「たばこ娘」ということになっている。この「たばこ娘」は確か会社から帰って、3晩ぐらいで書き上げた。そのペンネームをどうしようかと迷い、そこで思い出したのが、前述の源氏鶏太の名であった。どうもあのペンネームが縁起が良いようだとそれに決めた。これには理由がある。私は「たばこ娘」を書きあげる前に、少なくとも10篇以上の小説を書いて東京の雑誌に投稿していた。しかし、何れも没であった。すると私は、そのつどペンネームを変えた。言い直せば、私にはすでに10以上のペンネームがあったことになる。
3.三等重役の由来
昭和26年(1951)、私が直木賞を貰ったとき、すでに「サンデー毎日」に「三等重役」の連載を始めていた。名付け親は私の会社の重役高橋淡氏であった。一等重役は資本家重役のこと、二等重役は、いわゆる出世街道を歩いてなるべくしてなった重役のこと、そして三等重役は、戦後のパージによって会社の上層部に空白が出来、昔ならとうてい重役になれなかったであろうにわか重役のこと。そういう意味では、当時、右を向いても左を向いても三等重役ばかりであった。
直木賞をもらう2か月ぐらい前に、「サンデー毎日」の編集長辻平一氏から、「三等重役」を書かないかとの要請があった。サラリーマンである私が、重役をバカにしたような名前の連載小説を書くなんて恐れ多いことであった。が、私はいろいろ迷った挙句、とにかく書いてみようと決心したのだった。
源氏 鶏太 | |
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誕生 | 1912年4月19日 富山県富山市 |
死没 | 1985年9月12日(73歳没) 日本 東京都新宿区津久戸町 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 富山商業学校 |
代表作 | 『英語屋さん』(1951年) 『三等重役』(1951-52年) 『天上大風』(1956年) 『停年退職』(1962年) 『口紅と鏡』(1970年) |
主な受賞歴 | 直木三十五賞(1951年) 吉川英治文学賞(1971年) 紫綬褒章(1976年) 勲三等瑞宝章(1983年) |
デビュー作 | 「村の代表選手」(花田春樹名義)(1934年) |
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源氏 鶏太(げんじ けいた、1912年(明治45年)4月19日 - 1985年(昭和60年)9月12日)は、日本の小説家。富山市出身。旧制富山商業学校(現・富山県立富山商業高等学校)卒。本名、田中富雄。
住友合資会社勤務の傍ら小説を書き始め、『英語屋さん』ほか2編で直木賞受賞。『三等重役』『停年退職』『天上大風』など、長いサラリーマン生活からの体験に基づいたユーモア小説で人気を博した。戦後の昭和を代表するベストセラー作家の一人である。映画化された作品も多い。晩年は幽霊物を多く書いた。
ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」と「『鶏』という字が好きで、『鶏太』とすると、昔の武士の名前のようになる」という理由[1] 。長男の田中継根はロシア文学研究者で東北大学名誉教授。