掲載時肩書 | ジャズ演奏家 |
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掲載期間 | 1999/08/01〜1999/08/31 |
出身地 | 栃木県 |
生年月日 | 1933/02/01 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 66 歳 |
最終学歴 | 米国バークリー音楽大学 |
学歴その他 | 宇都宮工業 |
入社 | 高校2 進駐軍出演 |
配偶者 | 音楽 好き娘 |
主な仕事 | クラリ、サックス、フルート、ジャズ、ボサ ノバ、ジャズ教室、(米国、ブラジル、アフリカ、チベット)音楽、 |
恩師・恩人 | 秋吉敏子、林リリ子 |
人脈 | 松尾和子、宮沢昭、守安祥太郎、big4(J・川口、中村八大、松本英彦、山下洋輔)、日野皓生 |
備考 | 父:薩摩琵琶師 |
1933年2月1日 – )は栃木県宇都宮市うまれ。サックス奏者・ミュージシャン・作曲家。「ナベサダ」の愛称でジャズ・フュージョンのサックスプレーヤー・フルート奏者として活動。父親は薩摩琵琶奏者。ビング・クロスビー主演の映画「ブルースの誕生」を観て、クラリネットを始める。1962年に、アメリカボストン市のバークリー音楽院に留学した。在学中にチコ・ハミルトン、ゲイリー・マクファーランド、ガボール・ザボ等と共演。ゲイリー・マクファーランドを通じてボサノヴァの魅力を知る。1965年に帰国後、多くの内外ミュージシャンと共演し、日本ジャズ界で活動する一方、ボサノヴァをジャズの世界に紹介した。アート志向、職人気質が多いジャズ奏者の中では珍しく、CMやテレビ番組などメディア出演も積極的に行っている。
1.恩人・秋吉敏子さんとの出会い
1953年ごろ、当時日本に兵役で来ていた優秀なアメリカのミュージシャンが集まり、ハイレベルな演奏を続けていた。僕は拍手するだけだったが、アメリカ人に交じってモダンなピアノを弾きまくっている日本人女性がいた。現在も第一線で活躍の秋吉敏子さんである。
秋吉さんと僕とは3歳しか違わなかったが、既に雲の上の存在だった。ピアノの守安祥太郎さんと共に、若手ナンバーワンと目されていた。53年といえば、ドラムのジョージ川口さんらが活躍し、ジャズブームに沸いていたころだ。ブームに背を向けて、ひたすらモダンジャズを追求していたのが、秋吉さんだった。
2.バークリー音楽院に入学
秋吉敏子さんの推薦で彼女に次ぐ二人目の日本人留学生として、米ボストンのバークリー音楽院に入学した。演奏技術などのテストがあり、僕はすべての分野で一番レベルの高いクラスに編入された。
バークリーの看板は、ハーブ・ポメロイによるジャズ理論の講義だ。彼の授業は極めて合理的で明快だった。「ああ、そういうことだったのか」の連続である。それまで僕がアメリカのレコードを聴き、漠然と感じ取って実践していたことを、一つ一つ理論づけてくれた。日本でやってきたジャズは間違っていなかったのだ。
もちろん、理論の授業ばかりではない。「ジャズの演奏は譜面にしがみついていてはダメだ」。ポロメイはいつもそう言っていた。先生が演奏するテーマを、学生が何回も繰り返し演奏して覚えるから、演奏のフィーリングまで伝わるのである。
3.ブラジルのサンバ
僕のLP「ジャズ&ボッサ」が1967年にヒットして、ボサノバ・ブームが巻き起こる。それで「日本にボサノバを紹介したのは渡辺貞夫だ」といわれるようになった。しかし、僕が実際に本場ブラジルに行ったのは1年後だった。68年7月、アメリカでニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した僕は、そのままブラジルのサンパウロへ向かった。僕を招いてくれたのは、サンパウロで「クラブ一番」を経営していた小野敏郎さん。当時まだ幼かった彼の娘が、ボサノバ歌手の小野リサである。
4.チベット賛歌
1997年春、チベット自治区から国境を越えてインドに入り、さらに奥地に分け入って、ある集落にたどり着いた。モンゴル系で日本人に似た顔をしている。テレビはおろか電気さえない。しかし、そこには本物の笑顔があった。その集落で僕がサックスを取り出して吹き始めると、わーっと何十人もの子供たちが集まってきた。やがて演奏に合わせて元気よく歌い始める。僕の周りは、かわいい笑顔でいっぱいになった。
翌朝、子供たちと別れを告げ、僕らは細い山道を降りて行った。ふと前を見ると、先回りをした子供たちが、向こうで手を振って待っていた。またサヨナラをして別れると、ワーッと下に走って行って待っていてくれる。そんなことを4回ほど繰り返しながら、別れを惜しんでくれる。もう僕の目は涙でいっぱいになってしまった。あの子供たちの純朴さは忘れられない。
わたなべ さだお 渡辺 貞夫 | |
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基本情報 | |
生誕 | 1933年2月1日(91歳) |
出身地 | 日本 栃木県宇都宮市 |
学歴 | 日本栃木県立宇都宮工業高等学校 アメリカ合衆国 バークリー音楽院中退、名誉博士 |
ジャンル | ジャズ・ボサノヴァ・フュージョン |
職業 | ミュージシャン・作曲家 |
担当楽器 | サックス・フルート |
活動期間 | 1951年 - |
レーベル | ビクター音楽産業 CBS・ソニー ワーナーミュージック・ジャパン |
公式サイト | Sadao Watanabe Official Site |
著名使用楽器 | |
H.SELMER Jubilee SERIE III Staring Silver[1] |
渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watanabe、1933年〈昭和8年〉2月1日 - )は、日本のジャズサクソフォーン奏者・ジャズミュージシャン・作曲家。栃木県宇都宮市出身。
「ナベサダ」の愛称でサックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。
ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。