掲載時肩書 | ロイヤル創業者 |
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掲載期間 | 1999/05/01〜1999/05/31 |
出身地 | 福岡県 |
生年月日 | 1923/03/25 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 76 歳 |
最終学歴 | 明治大学 |
学歴その他 | |
入社 | 米軍基地 見習いコック |
配偶者 | 医師娘 |
主な仕事 | 電気工事、基地PX仕事、ロイヤル、JAL機内食、脱税摘発受、大阪万博(陸・海・空)、上場、コック養成学校 |
恩師・恩人 | 義母、佐田正人、村瀬泰敏 |
人脈 | 大槻文平(父部下)、小島直記、四島一二三・司、伊藤佐太郎、真木小太郎、佐田増美、茅野亮、盛田昭夫 |
備考 | 父剣道9段、脚下照顧 |
1923年〈大正12年〉3月25日 – 2005年〈平成17年〉4月13日)は福岡県生まれ。実業家。ファミリーレストランの草分け的存在である外食チェーン店・ロイヤルホストなどを展開するロイヤル株式会社(現在のロイヤルホールディングス)の創業者。1953年、福岡市の中洲に、フランス料理店「ザ・ロイヤル」(後に「花の木」と改称)を開業する。オープンして3か月後、新婚旅行で来日したマリリン・モンローとジョー・ディマジオが来店して気に入り、3日続けて通ったといわれている。「私の履歴書」に外食産業では初登場。
1.日本一のレストランづくり着手
JALの機内食と福岡空港レストランこそ、ロイヤル飲食業の原点だが、ここから日本人相手の事業を、という思いが、日本一のレストランづくりの夢へと広がっていった。店づくりには資金調達が必要で福岡無尽(現福岡シティ銀行)社長の四島一二三氏に日参し、ご理解を得て500万円の融資を得ることができた。
店づくりでは、銀座で有名なレストラン「コックドール」を経営する月ケ瀬社長の伊藤佐太郎氏の教えを乞うた。伊藤氏は懇切丁寧な指導をしてくれた。そればかりか、レストラン店舗設計の第一人者と言われた岡田哲朗氏や、支配人、チーフコック、ヘッドウェイターなど店の中核スタッフも一流の顔ぶれを紹介していただいた。今も深く感謝している。
1953年11月に開店した福岡での初の本格的なフランス料理店「ロイヤル中洲本店」(後に「花の木」に改名)は、地元著名人の人気を集めた。評判を聞いて東京や大阪からも客が訪ねてくるほど。あまりの忙しさに私も日中の米軍基地内での仕事を終えると、夕方から服を着替えて客の接待にあたった。1階は喫茶、2階はフランス料理を提供。夜9時から午前2時まではバンド入り、話題のナイトクラブになった。オープンから3か月後、女優のマリリン・モンローと大リーグ、ヤンキースの大打者、ディマジオが新婚旅行と米軍基地の慰問を兼ね福岡を訪れた。店を気に入ってくれた二人は、滞在中の3日間連続、ディナーに来店した。
2.外食産業のシステム化を支えた集中調理工場
外食産業のパイオニアとしてロイヤルはいくつもの「日本で初めて」を切り開いてきた。産業、システム化を支えるセントラルキッチン(集中調理工場)もその一つだ。これは思いがけない発想から生まれた。
1962年4月に、福岡市の繁華街天神に新設の大型ビル「福岡ビル」にレストランを開いた。西日本鉄道の本社が入るこのビルテナント料は、敷金、家賃ともどこよりも高額だった。土地の安い別の場所で、他の店の分も合わせて芋や玉ねぎなど下準備を一本化して加工調理すれば、もっとムダが省け、店のスペースも有効に使えると思った。そのうちに冷凍することを思いつき、これがセントラルキッチンの原点となった。
導入したばかりのアイスクリーム工場の冷凍設備を使って、まず試したのがケーキだった。カチカチに凍ったケーキを解凍して試食してみた。すると、味は少しも変わらない。私は自信を深めた。次にカレーを冷凍すると、風味と辛さが飛んでしまう。試行錯誤を繰り返し、ようやく実用化にこぎつけた。一括調理した食材を小出しに各レストランに配送。店で解凍し、仕上げの調理を店のコックがしてお客に出すやり方だった。
しかし、料理を冷凍加工するという方式を実現化するまでは、平坦な道とはいかず、社内外の強い反発にあった。身内の反対の中心はコックだった。「冷凍食品を使った料理など料理ではない。お客さんに出すことはできない」と強硬に言う。料理専門誌からも「味を画一化するとは、客をバカにしている」と散々に叩かれた。みんなを集め、夜を徹して説得したが、結局、半数近いコックが辞めていった。1969年9月、そのスタートはそれこそ薄氷を踏む思いだった。
3.陸・海・空に多角化展開
大阪万博での成功をバネに、1970年代のロイヤルは、陸(自動車)、海(カーフェリー)、空(飛行機)の3つで多角的に展開した。
まず「陸」では、急速なモータリゼーションを予測した郊外型ファミリーレストランとハイウェーレストランの出店だ。1971年暮れ、その先駆けとなるロイヤルホスト第1号店を北九州市黒崎に開店した。関西地区は、75年7月に大阪ガスと共同出資で「オージー・ロイヤル」を設立。12月は神戸市灘区にも開店した。
「海」では、万博のカフェテリアの方式を利用して、カーフェリーの船内レストランを手掛けた。1970年代初めには大型フェリー時代が到来したころ、1,2万トン級の船が続々と就航していた。そこで日本カーフェリー、関西汽船など各社と相次いで契約を交わし、最盛期には15隻となった。
「空」では、機内食、空港レストランの拡充強化に努めた。飛行機も次第に大衆化、日本人の海外渡航自由化や国内旅行者の急増で、機内食や空港レストランも急成長した。68年の福岡空港ターミナルビル完成を皮切りに、熊本、鹿児島、沖縄と新築された九州各地の空港ターミナルビルにレストランを出店した。前後して成田空港への出店が決定した。