掲載時肩書 | 元プロ野球投手 |
---|---|
掲載期間 | 2017/12/01〜2017/12/31 |
出身地 | 奈良県 |
生年月日 | 1948/05/15 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 69 歳 |
最終学歴 | 高等学校 |
学歴その他 | |
入社 | 阪神タイガース |
配偶者 | 奈良料亭娘 |
主な仕事 | 王から奪三振345記録、球宴9連続三振、401・年間三振、日本S21球、MVP2、大リーグ挑戦、 |
恩師・恩人 | 林義一、野村克也 |
人脈 | 加藤、福本、門田、鈴木、村山・吉田監督、王、長嶋、古葉・大沢・広岡監督 |
備考 | 覚醒剤違反 |
氏はこの「履歴書」に登場したプロ野球の川上哲治、鶴岡一人、別所毅彦、西本幸雄、杉下茂、稲尾和久、野村克也、長嶋茂雄、吉田義男、広岡達朗、王貞治に次ぐ12人目でした。
読んでいて、氏はアウトロー、ローンウルフ(一匹狼)の性格そのものを担当記者とバッテリーを組んで独り舞台を楽しく読ませてくれました。
1.現役引退後に覚せい剤違反で有罪となり、2年間の服役生活をおくる。
2.年棒180万円、契約金一千万円、手取り契約金800万円を唐草の風呂敷に包み阪急電車で帰宅する。半分はお袋に、残り半分は何かと面倒を見てくれた近所の鉄工所のおやじさんに渡して恩返しをした。
3.藤本監督から、氏が投手1年目で本塁打を打ったので「バッターに転向するか?」と問われ、いつもはやさしい「おじいちゃん」だったが、この言葉はグサッと来た。くそじじいが、何ぬかすんや!
4.奪三振記録345個を王から取るにこだわり、残り8人を打たせて取る。年間401個の新記録を樹立。
5.氏の理想は1試合を全部三振の27奪三振、81球で終えることだった。評論家から「三振ばかりだと1インニングで9球はかかる。もっと少ない球数で済ませるようにしたらどうか」と言われた。全く「余計なお世話」だ。人が何球投げようが放っといてくれ!である。
6.年間試合数134のとき、投手2年目、49試合に登板、37試合に先発し、8完封を含む26完投、25勝12敗で最多勝を獲得。人一倍遊び、人一倍野球に取り組んだ。しかしその後、肩を痛め現役生活18年のうち、五体満足で投げられたのは最初の2年間だけだった。
7.阪神から放出されて南海の野村監督に「ストッパーで野球界に革命を起こせ」とやる気に。古葉監督に「いくら遊んでも良い。グランドで結果を出せ」と自分を大人扱いにしてくれた。大沢監督は、打たれても「使った俺が悪い」と庇ってくれる親分肌に感動するが、「管理野球」で固い規律を強制した広岡監督とは肌が合わなかった。
8.夢の球宴で3インニング9人を連続三振奪取の新記録、前年からとこの後の登板で14連続三振奪取の記録を持つ。
9.日本シリーズで9回無死満塁、逆転サヨナラの状況のとき、古葉監督はブルペンに池谷と北別府を走らせた。「ここで誰かにマウンドを譲る以上の屈辱はない。なんなら、今ここでユニホームを脱いでやる」という気持ちだった。(ここには交際していた女性が来て、死ぬの生きるのという修羅場だったとも)。
いやぁー、投手はみんなこんなに傲慢でお山の大将の性格を持つのかと思った。彼の剛速球を担当記者は受け止め、氏の素材を生かし読み易く魅力ある楽しいものにしてくれた。
「CARP Legend Game 2022」に出場した江夏豊 (2022年3月21日、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県尼崎市 |
生年月日 | 1948年5月15日(76歳) |
身長 体重 | 179 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1966年 第1次ドラフト1位 |
初出場 | 1967年4月13日 |
最終出場 | 1984年7月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について |
江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵庫県尼崎市出身(奈良県吉野郡生まれ[1][2])の元プロ野球選手(投手)、解説者・評論家・タレント。
2023年現在でも日本記録であるシーズン401奪三振を達成したほか、NPB最多タイ記録となる最優秀救援投手(現在の最多セーブ投手)を6回獲得している。プレーそのものについても「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など多くのエピソードを持つ。