掲載時肩書 | 作家 |
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掲載期間 | 1988/08/01〜1988/08/31 |
出身地 | 福井県 |
生年月日 | 1919/03/08 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 69 歳 |
最終学歴 | 立命館大学 |
学歴その他 | |
入社 | 中卒後 還俗、府庁 |
配偶者 | 2度同棲 |
主な仕事 | 相国寺入門(得度)、脱走、遊郭、満州・奉天、帰国・新聞社、結核、 |
恩師・恩人 | 宇野浩二 |
人脈 | 衣笠貞之助、川上宗薫、坂本一亀・飢餓海峡、中山義秀・雁の寺、 |
備考 | 次女(カリエス) |
1919年3月8日 – 2004年9月8日)は福井県生まれ。小説家。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。
1.出家(母との別れ)8歳
家が貧しくても母が、ぼくを京都へ出すのを嫌がっていた。当日は山盛松庵師が大雪の中を迎えに来た。
列車が動き出すとき、窓から母を探した。布製の蛇腹に穴が開いているのを見つけるとその穴から見た。蓑を着た母は猪のように見えた。改札口に手をつかえてペコペコと出てゆく汽車にお辞儀している。やがて、その姿が見えなくなった。あのお辞儀は、ぼくに向かってではなかっただろう。二人の和尚に、よろしくツトムをお頼みします、と叫んでいたのだろう。とにかく、列車の車輪に向かってお辞儀する母は悲しかった。ぼくはこの母の31歳の姿を今日も思い出すことができる。
2.書き物をする才覚(作家の入口:「人間」を書けと言われて)
ぼくにはまだ、物を書ける才覚はなかった。この世で生きる人々、みな己を映す鏡であるはずだが、利己主義のぼくには自分に都合のいいところだけ、人は優しく思え、そうして人を利用してばかりいた。好悪も激しいから、イヤならすぐその人を捨てる。容赦のない冷酷さ。人を傷つけておいて気がついておらぬ。それゆえ、文章を書いても、みな人真似だった。まことしやかなことをいっても、借り言葉だった。上手に、人の言ったことを自分の意見のように言うことが自分の才能だった。
3.作家として認められた時の妻
「霧と影」を河出書房の名編集長坂本一亀氏に見てもらうことができた。「見込みのある原稿なので書き直してください」と言われて書き直す。提出すると、「良くなりましたが、最後がもう一押し」で再度書き直す。
妻は、ぼくに収入がないため、神田のサロンMに勤めてくれるようになっていた。情けない話だ。またぞろ妻に水商売をさせるハメになってしまった。しかも子連れの失業者が夫である。妻には大きな荷物だった。
3回目も修正して2000枚近い原稿を、カサブタが痒い皮膚病と闘いながら書いて提出すると、刊行決定となった。この作品は諸所で評価を浴び、直木賞候補になった。坂本さんは見本の「霧と影」1冊をもって、ぼくをサロンMに連れて行った。そして家内を指定席に呼んでくださり、「奥さん、もう勤めはやめてください」といわれた。家内は、まだ信じないのか「もう少し様子を見てから・・・」と言った。
4.直木賞「雁の寺」で和尚未亡人にお詫び訪問
この本のモデルとなった京都・相国寺は少年時代にお世話になったところだった。そしてテーマの和尚殺しは実際とは違っている。「雁の寺」で有名になってしまったが、勝手な殺人小説にしてしまって、奥様やお嬢さまに申し訳ない気持ちでいると頭を下げ、冥界におられる松庵師にも謝りたい旨をいった。すると、
「うちは小説を読んでまへんからわかりまへんけど、せんどぶりに会って、つとむさんのお元気な顔が見られて、うれしおす」と奥さまは言われた。泣いておられた。この奥さまから「大正13年の梅干」を頂戴した。
大正13年は、奥さまがここにお嫁に来られた年。ぼくが5歳。若狭のカンナ屑だらけの家にいた頃である。50年も経った梅干は小さくて、干しブドウのようにひからびて、初めは塩からかった。だが、舌の上にのせてると、涙がいっぱい出てきて、口のはたから舌へ流れ、梅干は、甲府の巨峰よりも大きくなった。舌の上で甘くとろけた。
ぼくは、この世で、甘露というものを初めて手にした。塩辛い梅干も自分の涙でとろかせば自然に甘くなる。この当たり前のことを教わったのである。
河出書房新社『文藝』第2巻第10号(1963)より | |
ペンネーム | 水上 勉(みずかみ つとむ) |
誕生 | 1919年3月8日 日本・福井県大飯郡本郷村(現:おおい町) |
死没 | 2004年9月8日(85歳没) 日本・長野県東御市 |
墓地 | 駿東郡小山町の富士霊園文学者の墓 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 立命館大学国文科中退 |
活動期間 | 1947年 - 2004年 |
代表作 | 『雁の寺』(1961年) 『五番町夕霧楼』(1963年) 『越前竹人形』(1963年) 『飢餓海峡』(1963年) 『一休』(1975年) 『金閣炎上』(1979年) 『良寛』(1984年) |
主な受賞歴 | 日本探偵作家クラブ賞(1961年) 直木三十五賞(1961年) 文藝春秋読者賞(1965年) 菊池寛賞(1971年) 吉川英治文学賞(1973年) 谷崎潤一郎賞(1975年) 川端康成文学賞(1977年) 毎日芸術賞(1984年) 日本芸術院賞・恩賜賞(1986年) 文化功労者(1998年) 親鸞賞(2002年) 贈正四位・旭日重光章(2004年、没時叙位叙勲) |
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[1]、1919年3月8日 - 2004年9月8日)は、日本の小説家。福井県生まれ。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。禅寺を出奔して様々な職業を経ながら[2]宇野浩二に師事[3]、社会派推理小説で好評を博して[4]、次第に純文学的色彩を深め[5]、自伝的小説や女性の宿命的な悲しさを描いた作品で多くの読者を獲得[6]。その後は歴史小説や劇作にも取り組む一方、伝記物に秀作を残した[7]。作品の映像化も多い[8]。日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。
(みずかみ つとむ