樂直入 らくじきにゅう

芸術

掲載時肩書陶芸家、15代樂吉左衛門
掲載期間2020/02/01〜2020/02/29
出身地京都府
生年月日1949/03/26
掲載回数28 回
執筆時年齢70 歳
最終学歴
東京藝術大学
学歴その他ローマ芸術大中退
入社
配偶者父親友の姪
主な仕事楽焼祖師:長次郎、ローマ2年放浪、京都市工業試験場、長次郎400年忌記念展(分岐点)、牢獄茶室
恩師・恩人野尻命子、菊池智
人脈1先輩2女性、千玄室、欧州ぶらり学生旅、盛永宗興老師、中川一政
備考臨死体験
論評

氏は、陶芸家でこの「履歴書」に登場した富本憲吉(樂焼)、濱田庄司(民芸・益子焼)、荒川豊蔵(古志野・美濃焼)、酒井田柿右衛門(赤絵磁器・有田焼)、加藤唐九郎(織部焼)、藤原啓(備前焼)、辻清明(信楽焼)、藤田喬平(ガラス工芸)、加藤卓男(ペルシャ陶器)に次いで10人目である。氏は哲学的で常に前衛を心がけた陶芸家だと思った。大学前の浪人のとき南房総で溺れ海底に沈み、死の一歩手前の「臨死体験」を持つ。この臨死体験が人生や死を深く考える禅(哲学)の思想と結びついたように思える。

氏の文章で印象に残った個所は次の通り。
1.樂焼きは口では何も教えない。儀式を通して樂焼の根幹を、身体を通してたたき込む。儀式とは身体の無言の伝承だ。言葉や理屈には頼らない。心と感覚が全て一体となって、はじめて伝統は受け継がれる。能などの芸能は演じれば消えてしまう「時間芸術」。だから幼児から徹底して型を教え込む。巌に水がしみこむように、そこから本人の芸が生まれていく。樂焼は口伝は一切ない。学ぶのは先祖が残した茶碗そのものだけ。

2.樂歴代は皆、長次郎の茶碗と向き合い思索してきた。それぞれが生き抜いた時代を反映し、自らの人生の戦いを反映し、自らの長次郎をつかみ取った。だから不連続の連続。根っこは同じ。しかし、生まれるものは歴代己自身であり、常に新しい。

3.氏の初期の作品は可愛く、温かい。後の作品とは違い、優しさを持っている。決して相手に迫り説得する強引さはなくつつましさを備えている。それは、敬愛していた竜安寺の塔頭であり、花園大学の学長も務められた盛永宗興老師の死の間際の言葉が大きく影響している。「坊主も、ちゃわんやも、おなじだからなー」。この一言が深く心に残り、人にやさしく温かい作風に繋がっている。

4.黒樂と違って、赤樂は一人で窯が焚ける。ただし窯の蓋を開ける作業だけは手助けが必要だ。伝統的に女人禁制だった窯場に妻、扶二子が初めて入った。一、二、三で蓋を開ける。釉薬を掛ける工程も妻の手を借りた。扶二子は、夫婦水入らず時間を嬉々として手伝ってくれた。樂家は代々妻との二人三脚だ。

5.分岐点「歴代長次郎との出会い」:1988年「長次郎400年忌記念」展を開催した。ここには歴代長次郎の名品が集まった。「これらの茶碗は利休の死まで供した茶碗。いや、死そのものを用意した茶碗。一切の権力、武力、財力、世俗の価値をことごとく、黒々とした深い見込みの中に飲み込み、鎮め尽くす。美しいということも、醜いということも、力強いという風も、一切の表象を捨て闇々として端座する。この静かな茶碗の中に、これほど激しい否定性を、世俗を裁断する激しさを内包しているとは。私は長次郎茶碗に秘された恐ろしさを見た。それは世間に突きつけた抜き身の匕首」とある。この時から、優しかった氏の茶碗が、激しく牙をむきはじめたと書く。
*これらの文章は担当記者の力量とも相まってすばらしい。

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