木田元 きだ げん

学術

掲載時肩書哲学者
掲載期間2010/09/01〜2010/09/30
出身地新潟県
生年月日1928/09/07
掲載回数29 回
執筆時年齢82 歳
最終学歴
東北大学
学歴その他江田島海軍兵学校、山形県立農専
入社代用教員
配偶者下宿孫娘
主な仕事ドストエフスキー、キルケゴール、6か国外国語習得、ハイデガー研究33年後「存在と時間」、中大講師・教授、「現象学」
恩師・恩人父妹の雪叔母、斎藤真治教授
人脈金井務、古田惇二、三井聡、独訳17、仏訳26、英訳3、名編集者の存在(熊谷健二郎、大塚信一、三浦雅士、坂下裕明)
備考父:新庄市長、教育家
論評

1928年9月7日 – 2014年8月16日)は新潟県生まれ。哲学者。専攻は現象学の研究。モーリス・メルロー=ポンティ等の現代西洋哲学の主要な著作を、平易な日本語に翻訳した。マルティン・ハイデガー、エドムント・フッサールの研究でも知られる。哲学を学ぶならフランス哲学ならデカルト、ドイツ哲学ならカントと相場が決まっていたため、卒業論文はカントの『純粋理性批判』で書くことを決め2年生から読み始めた。また、哲学を学ぶためには古典ギリシア語とラテン語は必須だと考えていたため、2年生の4月から6月に古典ギリシア語、3年生の同時期にラテン語を習得した。中央大学名誉教授。

1.闇商人の手先
江田島の海軍兵学校を終戦で全生徒が帰郷となったが、親が満州にいるため17歳の私は東京に出てホームレス生活を始めた。昼は浅草に行って、何が入っているか分からない雑炊を食べたりしていたが、4,5日したらテキヤさんにスカウトされた。無給だったが、3食食べさせてくれ、寝る場所を提供してくれるだけで十分ありがたかった。露天商といっても売る商品は何もない。私たちの仕事は、隠匿されている軍需物資を摘発しカッパラッテくることだった。
 今考えると川崎あたりだったと思うが、旧陸海軍の倉庫に敷布や軍服の繊維製品が隠されていた。仲間内からそうした連絡が入ると、兄貴分が木炭を焚いて走るオート三輪車をどこからか調達してきて、現場に行く。私たち若い二人は電車でそこに行き、他の組織の連中と一緒に「隠し退蔵物資テキハーツ」など叫びながら扉を壊し、中の品物を車に積み込んで逃げるのだった。要するに、小人数では危険なので、衆を語らい、一般の主婦たちまで巻き込んで騒ぎを大きくし、混乱に乗じてカッパライを正当化する作戦である。

2.生きる道標探し
カッパライ人生では、こうしてはいられないという焦燥感から逃れようと読書好きからドストエフスキーの「罪と罰」「悪霊」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」など読みふけった。次いでその注釈のようにしてデンマークの思想家キルケゴールの「死に至る病」を読み始めた。この二人は19世紀中頃の比較的近い時代に生きて、思想的には深く通底するものがあった。キルケゴールの言う「死に至る病」とは絶望のことである。
 だが二人とも深い信仰心を持っているので、結局は神の話に行きつく。信仰のない私にはそれが不満だった。誰か神さま抜きで、絶望を分析し、そこから抜け出し方を教えてくれる思想家はいなかと探した。そのうち、現代ドイツの哲学者ハイデガーが、ドストエフスキーとキルケゴール二人の影響を受けながら「存在と時間」という本を書き、無神論の立場で人間の在り方を分析していることを知った。
 これだ!と思った。これさえ読めば生きる道筋が見えてくるに違いない。早速、古本屋に行き翻訳を買ってきた。当時1種類だけ翻訳があり、どこの古本屋にもころがっていた。だが、読んでもさっぱりわからない。

3.ハイデガー論
私が哲学に足を踏み入れたのはハイデガーの「存在と時間」を読みたい一心からなのだが、そのハイデガーについて書けたのは33年も後になってからのことだった。書けなかったのには理由がある。実はこの本、1927年に出されたのは全体の3分の一だけで、本論を含む残りの3分の二は結局書かれなかったのだ。その本論の見当がつかなければ、書かれた部分も分からなくて当然である。ところが、60年代に入るあたりから、「存在と時間」執筆前後のハイデガーの講義録が次々に出版され、75年からは彼の「全集」も刊行され始めた。それらを丹念に読むうちに「存在と時間」本論の狙いも見えてきて、これまでよく分からなかった基本的概念の意味も何とか捉えられるようになった。
 どうやら「存在と時間」は、当初私が期待していたように、ただ人間の在り方を分析してその生き方を論じる実存哲学ではなく、その分析を手掛かりに「西洋」という文化圏の歴史の根本の動きを洞察し、その文化形成を根本から反省しようと企てるものらしいことも分かってきた。そこで「ハイデガーの思想」(岩波新書)や『ハイデガー「存在と時間」の構築』(岩波現代文庫)などを書くことになった。

追悼

氏は’14年8月16日に85歳で亡くなった。登場したのが2010年9月の82歳だから、3年後となる。教育者、科学者は60名ほど登場しているが、哲学者は彼だけであった。

彼は幼少の頃、やんちゃ坊主で幼稚園を2回も追放された。海軍兵学校で終戦。17歳で路上生活者となる。闇商売で食いつなぎ、やっと農業の学校に入っても先が見えない。どうすれば不安と絶望から逃れられるか。小説でも救われずに悩んでいたとき、独哲学者ハイデガーの「存在と時間」に出遭う。原著を読めば、生きる道筋が見える。その一心で独学し、東北大哲学科に入る。

33年後に「存在と時間」の本質が理解できたので「ハイデガー」を書き上げた。これを契機に次々と「ハイデガーの思想」や「ハイデガーの【存在と時間】の構築」などを書いている。新聞の追悼文には、20世紀を代表する哲学者で、難解とされていたハイディガーを独自の視点を交えながら読み解き、分かりやすく紹介した人物とあった。

木田 元
(きだ げん)
生誕 (1928-09-07) 1928年9月7日
日本の旗 日本新潟県新潟市
死没 (2014-08-16) 2014年8月16日(85歳没)
千葉県船橋市
時代 20世紀の哲学
21世紀の哲学
地域 日本哲学
学派 大陸哲学現象学
研究分野 現象学形而上学存在論言語哲学哲学史
主な概念 反哲学
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木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月16日[1])は、日本の哲学者翻訳家。専攻は西洋哲学史、現象学研究中央大学名誉教授[2]

モーリス・メルロー=ポンティエドムント・フッサール等の、20世紀ヨーロッパ思想で著名な哲学者の代表作を平易な日本語に訳した。ハイデガーの研究でも知られる。

  1. ^ “木田元さんが85歳で死去 ハイデガー研究の第一人者”. ハフポスト. (2014年8月17日). https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/17/kida-gen_n_5685319.html 2020年2月28日閲覧。 
  2. ^ 木田元(2014)『わたしの哲学入門』講談社学術文庫 著者欄より
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