庭野日敬 にわの にっきょう

宗教

掲載時肩書立正佼正会会長
掲載期間1982/04/27〜1982/05/26
出身地新潟県
生年月日1906/11/15
掲載回数29 回
執筆時年齢76 歳
最終学歴
小学校
学歴その他尋常小学校
入社薪炭店奉公
配偶者縁戚娘(また従妹)
主な仕事漬物行商、霊友会、立正佼成会創設、家族断ち13年、バチカン公会議、アジア会議、世界宗教者平和会議(WCRP)、プリンストン会議
恩師・恩人新井助信
人脈長沼 政(妙佼・副会長)、御木徳近師、大谷光照師、山田惠諦師、額賀大興味師、黒住宗晴師、中村元、宮本留吉
備考シュバイツ アー賞、宗教界のノーベル賞、
論評

1906年(明治39年)11月15日 – 1999年(平成11年)10月4日、改名前は庭野鹿蔵)は新潟生まれ。宗教家で仏教系新宗教の在家教団立正佼成会の開祖(初代)会長。彼は立正佼成会を創立し、一代で一時期は信者公称約170万世帯700万人以上を擁する大教団に育てた。他宗派との宗教協力にも取り組み、日本宗教連盟理事長などを歴任。1965年(昭和40年)仏教徒はもとより異教宗教者として初めて第2バチカン公会議に招聘された。その際、当時のローマ教皇パウロ6世から諸宗教の宥和を説かれたことをきっかけに、国際的な諸宗教の対話による平和の実現を決意。世界宗教者平和会議(WCRP…国際連合経済社会理事会の専門部会の一つ)アジア宗教者平和会議(ACRP)を創立し、1970年(昭和45年)京都で開催された第一回世界宗教者平和会議(WCRPⅠ)を皮切りに宗教者が宗教協力と対話からもたらす平和活動を推進した。1979年(昭和54年)「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞の日本人初の受賞者でもある。

1.立正佼成会創設
昭和13年(1938)3月5日、結成式は長沼さんの家であげ、本部は私の店の狭い二階に置いた。私は庭野日敬、長沼さんは妙佼と名を改めた。31歳の時であった。前年に日中戦争が起こり、国を挙げて戦時体制に入っていた。当時は、病気に苦しみながらも経済的な理由で満足に医者にかかれない人が沢山いた。
 朝3時ごろ起きだして牛乳を配達し終え、お経をあげているころには、もう信者さんがどこそこに夫婦喧嘩が起きたとか、病人が出たと迎えに来る。帰ってから妙佼さんと二人でお導きに出かける。帰宅するのは夜の12時ごろ。毎日3、4時間しか眠らず、3,4時間が商売の時間、残りの16時間は人助けに歩くという日々であった。

2.バチカン公会議に招聘される
昭和40年(1965)8月、突然、バチカン教皇庁から、私に招聘があった。バチカン公会議は全世界のカトリック司教が集まって百年に1回開かれる最高会議である。初め、私は辞退した。問い合わせると、2つの理由からだという。立正佼成会が教団創立以来僅かな年月の間に300万人余信者と著しく伸びたこと、会の創始者が現存していること。それで私を選んだという。
 9月14日、サン・ピエトロ大聖堂の礼拝堂に世界各国の枢機卿、司教、神学者2千5百余人が会した。異教徒は仏教徒の私だけであった。公会議は教皇パウロ六世の挨拶で始まったが、その中で教皇は、「キリスト教が分派を生んだ罪は歴代の教皇の罪であった。いまや宗教が分裂しているときではない。互いに手を取り合って一つの平和に進むべき時である」と語られたのだった。
 私はカトリックへの長年の疑問はいっぺんに吹き飛んだ。宗教は自分の教団の勢力を伸ばすことが目的ではない。人々の心に平安をもたらし、世界に平和をもたらすために存在するものである。私の信念が証明された感じがして、パウロ六世に「世界平和のために精一杯の努力をする」とお約束したのでした。

3.第1回世界宗教者平和会議(WCRP)の開催
昭和45年(1970)10月、京都国際会館に世界の39か国から300人を超える宗教者が集った。米国、英国、仏国、西独国、スイス、カナダなど自由主義国の宗教代表。ソ連、東独、ポーランドなどの共産圏諸国の宗教代表。インド、イラン、ベトナム、タイ、イスラエルなどアジア、中近東諸国の宗教代表。ケニア、ウルグアイ、南アフリカなどの発展途上国の宗教代表である。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、神道、シーク教、ゾロアスター教・・・と、国の違い、民族の違い、宗教の違いを超えて世界の宗教代表が一堂に会したのである。これは世界の宗教史上未曽有の「まさに現代の奇跡」と称えられた。私は前年の日本宗教連盟の理事長に選出されていたので、日本の宗教界の支援の賜物でもあった。

庭野 日敬
『神々多忙 新宗教教祖列伝』(新夕刊新聞社、1956年)より
肩書き 立正佼成会開祖
個人情報
生誕
庭野 鹿蔵

1906年11月15日
死没 (1999-10-04) 1999年10月4日(92歳没)
墓所 一乗宝塔、佼成霊園
宗教 仏教
国籍 日本の旗 日本
配偶者 庭野直子(サイ)
子供 庭野日鑛 庭野欽司郎 庭野皓司 庭野知子 泉田佳子
両親 (父)庭野重吉
宗派 立正佼成会
新井助信
法名 開祖日敬一乘大師
地位
新井助信
次代 庭野日鑛
過去の地位 日本宗教連盟理事長
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庭野 日敬(にわの にっきょう、1906年(明治39年)11月15日 - 1999年(平成11年)10月4日、改名前は庭野鹿蔵)は、日本の宗教家で仏教系新宗教の在家教団立正佼成会の開祖、初代会長。立正佼成会を創立し、一時期は信者公称約170万世帯700万人以上を擁する大教団に育てた。 また、1979年(昭和54年)には「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞を日本人として初めて受賞した[注 1]
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