市川崑 いちかわ こん

映画演劇

掲載時肩書映画監督
掲載期間1989/02/01〜1989/02/28
出身地三重県
生年月日1915/11/20
掲載回数27 回
執筆時年齢74 歳
最終学歴
小学校
学歴その他高等小
入社京都撮影 JOスタジオ
配偶者和田夏十再婚
主な仕事ディズニー、アニメ原画、助監督、東宝映画、「ビルマの竪琴」日活、大映、「東京オリンピック」、テレビ映画、映画70本(40年間)
恩師・恩人伊丹万作
人脈榎本健一、高峰秀子(の護衛)、横山隆一・泰三、谷崎潤一郎(鍵)、船越英二(野火)、三島由紀夫、松岡功、
備考晩年クリスチャン
論評

1915年(大正4年)11月20日 – 2008年(平成20年)2月13日)は三重県生まれ。映画監督。アニメ、人形劇制作者。娯楽映画からドキュメンタリー、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、長期間映画制作に取り組んだ。ドキュメンタリー映画の代表作に『東京オリンピック』、映画の代表作に『ビルマの竪琴』『炎上』『野火』『鍵』『股旅』の他、『犬神家の一族』を始めとする金田一耕助シリーズ、テレビ・ドラマの代表作に中村敦夫主演の『木枯し紋次郎』などがある。

1.映画作法を漫画作製で学ぶ
昭和8年(1933)、京都に新しく開設された撮影所のJ・Oスタジオ漫画部に入社した。最初の仕事はアニメの漫画を描くアニメーターの助手だった。やがて私もアニメーターとして原画を描くようになった。
 昭和10年(1935)ごろになると大沢善夫社長は自社で劇映画を製作する態勢を整え始めた。そのために漫画部は縮小され、メンバーは他の部門に移ってアニメーターは私一人になった。昭和11年に完成した「新版カチカチ山」は、音楽だけは専門家に頼んだが、脚本、演出、作画、撮影、編集を私一人で担当して作った。上映時間7,8分のものだが製作に半年かかった。私が一人前の監督になれたのは戦後のことだが、今考えると「新版カチカチ山」をほぼ一人で完成させたことは、映画作法を学ぶ貴重な体験だった。

2.撮影機も自分で買う
本格的な撮影機を個人で持っているような物好きは、日本の映画監督の中でも私ぐらいではないだろうか。そのカメラは西ドイツ製のアリフレックスで、ニュース映画とか記録映画の撮影用に開発されたらしく、持ち運びに便利だし、即応性があるのでいろいろな使い方ができるのだ。
 かねて私はジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督のように、自分の作品を自分で撮影したいと思っていたので、このアリフレックスが欲しくてたまらなかった。レンズ一式を含めて、当時三百万円以上だったが買った。

3.「野火」の役者魂
この映画主役の船越英二君には撮影に入る2,3か月前から、飢餓状態の感じを出すために、4,5キロ減量して痩せておいてほしいと言っておいた。
 いよいよ撮影開始となると、彼は坂道を上る体力もなく動けなくなっていた。彼は減食をしていたが撮影の10日ほど前から絶食をしてしまい、いくら奥さんが食べなさいと言っても頑として何も口に入れなかったらしい。船越君の仕事熱心なのはいつものことだが、そこまでやるとは。私は半分叱って、半分敬服した。勿論、演技ができる程度に体力が回復するまで製作は中止した。

4.東京オリンピック映画作製の思い出
昭和39年(1964)4月末、銀座のビル一室にあるオリンピック協会本部に行った。25坪ほどの殺風景な部屋に簡素な応接セットと事務机が2.3あって、会長と経理担当者と連絡係の女性の3人がいるだけだった。私は一瞬、「これでオリンピック映画が作れるのかな」と茫然とした。しかし、「人類は4年ごとに平和の夢を見る」、この言葉をテーマに、競技を通して人間の理想と現実をフイルムに描こうと思った。
 全競技の全種目をまんべんなく撮影するのは物理的に不可能だし、内容的にも面白くない。それでスポーツに精通した監督部や撮影部の人たちに重点を置く種目、そうでないもの、その中間と3ランクに分けてもらい、撮影計画や人員配置を決めて行った。私のアリフレックス撮影機もお役に立つことになった。
 こうして最終的には561名のスタッフと104台のカメラが集結して、10月10日、アジアで最初のオリンピック大会の開会式を迎えた。撮影したフイルムは約40万フィート、休まず映写して70時間。それを3時間に編集する仕事が私には待っていた。

いちかわ こん
市川 崑
市川 崑
『サンケイグラフ』1955年4月10日号より
本名 市川 儀一
別名義 大川新之助(録音技師・大橋鉄矢との共同筆名)、市川秋六、市川根作、久里子亭
生年月日 (1915-11-20) 1915年11月20日
没年月日 (2008-02-13) 2008年2月13日(92歳没)
出生地 大日本帝国の旗 日本三重県宇治山田市
(現・伊勢市
死没地 日本の旗 日本東京都
職業 映画監督
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1936年 - 2008年
配偶者 和田夏十(脚本家)
主な作品
ビルマの竪琴』(1956年)
炎上』(1958年)
野火』(1959年)
おとうと』(1960年)
東京オリンピック』(1964年)
犬神家の一族』(1976年)
細雪』(1983年)
受賞
カンヌ国際映画祭
審査員賞
1960年
ヴェネツィア国際映画祭
サン・ジョルジョ賞
1956年ビルマの竪琴
ベルリン国際映画祭
功労賞
2000年
東京国際映画祭
審査員特別賞
1994年四十七人の刺客
黒澤明賞
2005年
英国アカデミー賞
ドキュメンタリー賞
1965年東京オリンピック
国連賞
1965年東京オリンピック
ゴールデングローブ賞
外国語映画賞
1959年
日本アカデミー賞
会長特別賞
2009年
ブルーリボン賞
監督賞
1959年』『野火
1960年おとうと
1962年私は二歳』『破戒
企画賞
1962年私は二歳
特別賞
2008年
その他の賞
エディンバラ国際映画祭
グランプリ
1956年ビルマの竪琴
紫綬褒章
1982年
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日本映画撮影監督協会『映画撮影』第6号(1963)より市川崑(右)と宮川一夫(左)

市川 崑(いちかわ こん、幼名:市川 儀一[1]1915年大正4年)11月20日[1] - 2008年平成20年)2月13日)は、日本映画監督

娯楽映画からドキュメンタリー、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、長期間映画制作に取り組んだ。主な監督映画に『ビルマの竪琴』『炎上』『おとうと』『』『東京オリンピック』『股旅』の他、『犬神家の一族』を始めとする金田一耕助シリーズなどがあり、主なテレビドラマの演出作品に『木枯し紋次郎』がある。

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