岡田卓也 おかだ たくや

商業

掲載時肩書イオン名誉会長
掲載期間2004/03/01〜2004/03/31
出身地三重県
生年月日1925/09/19
掲載回数30 回
執筆時年齢78 歳
最終学歴
早稲田大学
学歴その他早大予
入社家業「岡田屋」
配偶者姉推薦(金城学院)
主な仕事学生社長、人の流れで店舗・県内移転、ジャスコ、イオン、ビジネススクール、ミニストップ、海外進出、1%クラブ、植樹
恩師・恩人姉千鶴子、五島昇
人脈二木一一、井上次郎、岩田孝八、倉本長治、渥美俊一、石原慎太郎(社歌)、伊藤雅俊(監査役)
備考祖父創業、家訓「大黒柱に車をつけよ」
論評

1925年〈大正14年〉9月19日 – )は三重県生まれ。実業家。イオングループ名誉会長。四日市岡田家の7代目当主である。イオングループを子会社約300社、連結売上高8兆1767億円、従業員数約52万人(2016年2月期)という日本の小売業を代表する企業に育て上げた。1989年(平成元年)9月にグループ名称をジャスコグループからイオングループに変更した。ジャスコは平和産業・人間産業・地域産業であり続けることを基本理念として、革新を続ける流通企業グループを目標としていた。イオン取締役兼代表執行役社長の岡田元也は長男であり、衆議院議員である岡田克也は次男、2010年(平成22年)より東京新聞政治部部長を務めている高田昌也は高田家の跡継ぎとして養子となり改名した三男である。ジャスコで取締役として活動した小嶋千鶴子は次姉。

1.家訓「大黒柱に車をつけよ」
家業の岡田屋にはこの家訓がある。不思議に思われることがよくあるが、不易なものだと確信している。分かり易く言うと、「お客の変化に柔軟に対応すべし」ということだ。出店戦略もそうだ。
三重県の四日市は戦前と戦後で繁華街の場所が大きく移動した。戦前は、陣屋跡だった辻を中心ににぎわいが出来上がった。終戦直後は近鉄諏訪駅から市役所へ行く新道に商店街ができた。市役所で配給切符を求める多くの人が通ったからだ。戦後、復興した辻の店をわずか3年で閉鎖して、1949年(昭和24)、新道に移設、開業した。
今度は、近鉄四日市駅が移転した。再び、人の流れが大きく変化したので、ためらいなく新道の店を閉鎖し、新しい近鉄四日市駅前に出店した。その店とて、また人の流れが変わってきたので閉店した。店は時代の流れと共に、場所やその姿をどんどん変化させた。商業立地は社会・経済環境で大きく変わる。

2.姉・千鶴子の貢献
3社で合併したシロ出身の井上副社長が1969年(昭和44)4月、心筋梗塞で亡くなった。合併への方針はゆるぎなかったが、同年10月13日、私のところにシロの社員が3人やってきた。ジャスコ労働組合の結成を通告してきた。これで2つの組合が生まれてしまった。これから一丸となって合併に進む大切な時期で、これまでの努力が水の泡になりかねない。この最大の危機の全面に立ち、時間をかけて説得したのが姉の千鶴子だった。
 ジャスコで人事を担当した千鶴子は、シロの従業員との信頼関係を粘り強く築いていった。徐々に、ジャスコ労組の組合員が全ジャスコ労組へ加入するなどして組合活動は収まった。同時に提携・合併前に公平を期すために登用試験を実施したり、3社間の人事交流、仕事上の用語の統一などに取り組み、3社融和の環境を整えた。
 その後60歳まで、人事部門を受け持った。「教育は最大の福祉なり」の考えのもと、岡田屋時代に制定した「人事5原則、公正・人間尊重・変化即応・合理性・能力開発」にのっとり、大卒女子の積極採用や一般大学の教養課程や経営を学ぶオカダヤ・マネジメント・カレッジを設けるなど人材教育に並々ならぬ力を注いだ。現在もイオン・ビジネススクールとして受け継がれている。

3.イオンモールで街づくり
モータリゼーションが進むと商業立地も大きく変わる。インターチェンジができ、道路網も整備されれば、従来の発想では思いもつかない場所でも充分に成り立つ。それはまさに「立地革命」といえる。ただ、郊外であればあるほど魅力のある大きな商業施設をつくらねばならない。その典型が青森県下田町に1995年に開業したイオン下田SCだ。敷地面積18万7千㎡)。東京ドーム4個分にあたる。グループのもう一つのデベロッパー、イオンモールが開発した。
 下田町のケースもそうだが、大型の商業施設ができると、そこには新たな雇用が生まれる。その規模は千人、二千人単位だ。現在イオンモールが運営する商業施設は16あるが、どの場所もその市町村の人口は増加し、地域の活性化に役立っている。国内のSC(ショッピングセンター)に出店している専門店は、地元の小売店も含めて数万店。さらにSCは本格的なレストラン、金融機関、映画館はもちろん、行政サービスの拠点まである。まさに新しい「街」となっている。

4.1%クラブとイオン環境財団
1989年(平成元年)9月、ジャスコ誕生20周年を記念して「イオングループ1%クラブ」を設立した。これはイオングループ優良企業の税引き前利益の1%を拠出し、活動を始めた。柱は「環境保全」「国際的な文化・人材交流」「地域の文化・社会振興」とした。海外の高校生を日本に招く「小さな大使」事業、地域のお子さんの参加するエコロジーミュージカル、開発途上国の学校建設支援など、小売業の特性を生かし、お客さんと一緒に活動を進めている。
 1991年には財団法人イオングループ環境財団を設立した。私が所有するジャスコ株式8百万株(設立時3百万株)と二木社長の百万株等を寄付して基本財産とし、1%クラブからも毎年運用財産に寄付している。植生学の権威、宮脇昭横浜国立大学名誉教授に「鎮守の森」のお話をお聞きし、木を植えることにした。毎年、公募方式で草の根の環境NGO(非政府組織)に助成しており、助成団体は約千4百になる。
 イオンは91年から新店を作るたびに、地域の方々と木を植えてきた。既に4百か所、5百万本になる。最初はマレーシアのマラッカ店。イポー店の時は元国王もご参加いただいた。お子さんと一緒に植樹した方は、お子さんの成長と同じように木の成長を見て下さる。

岡田卓也(おかだ たくや)

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