小田島雄志 おだじま ゆうし

学術

掲載時肩書東大名誉教授
掲載期間2011/07/01〜2011/07/31
出身地中国瀋陽
生年月日1930/12/18
掲載回数30 回
執筆時年齢80 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他福岡高校
入社英語講師アルバイト
配偶者輪読会戦友
主な仕事国学院大、津田塾、東大、舞台観客、シエクスピア劇37完訳、文学座、アングラ、演劇評論家、東京芸術劇場
恩師・恩人五十嵐明先生、小津次郎先生(仲人)
人脈戸板康二、森繁久彌、澤地久枝(同級)、木村光一、唐十郎、岸田今日子、宇野重吉、出口典雄、大河内豪、円地文子、吉行淳之介、村松友視
備考ユーモア解答(父はわがママです)
論評

1930年(昭和5年)12月18日 – )は中国瀋陽の生まれ。英文学者、演劇評論家。東京大学名誉教授、東京芸術劇場名誉館長。日本演劇協会(理事)。豊島区芸術顧問[2]。駄洒落を得意とし、シェイクスピア作品に頻出する言葉遊び(パン)を「皇太子だろうが明太子だろうが」(ヘンリー六世より)といった調子で訳して話題を呼んだ。様々に訳されてきた『ハムレット』の有名な台詞「To be, or not to be」 を「このままでいいのか、いけないのか」と訳したことも知られる。テレビのバラエティ番組などにもしばしば出演、駄洒落を連発する飾らない人柄が愛された。姉の阿部明子(あかし)は東京家政大学名誉教授。妹の松村紀代子は、『文藝春秋』(文藝春秋)の編集者をへて、エッセイスト。次男の小田島恒志も英文学者、早稲田大学教授。恒志の妻の小田島則子も英文学者、翻訳家。

1.芝居好きのぼく(人間の喜怒哀楽、発見)劇評論家
「ぼく」を一言でいえば、「芝居好き」ということだろう。シェイクスピアの全戯曲の翻訳を終えて以降、ここ十数年は、毎月30本以上の舞台を見てきた。なぜそんなに見るの?と訊かれると、人間が好きだから、と答えていた。ぼくには、人間とはこのように愛したり憎んだり、喜んだり悲しんだり、誇ったり悩んだりする存在であるのか、と発見ないし再発見させてくれるのは、芝居が一番なのである。それには一挙手一投足、セリフの一言半句でもよかった。芝居のお蔭で人間を見つめ、人間を好きになってきたぼくは、劇評論家になった。

2.シェクスピア輪読会の戦友にプロポーズ
昭和32年(1956)3月、3年前シェクスピア輪読会で戦友だった平林若子さんは大学卒業後、教科書会社に勤めていたが、今は都立八丈高校英語教師になっていた。平林さんには3月3日から6日までちょっと旅に出る、とだけ伝えておいた。竹芝桟橋から黒潮丸へ。途中、もみくちゃになるほど大揺れ。16時間の航海を終え、はしけに飛び移り、島の波止場に着く。数十人の島人たちの出迎え。すると、なんと、その中に平林さんの顔も!「誰かお迎え?」、「あなたよ、もちろん」。3日に発って6の日に帰る、といえば、5日に一度の八丈島の船便と察知されても仕方なかったのである。
 島を案内してもらう。驟雨がきて、去る。たくましい虹が立ち上がる。その中に彼女を立たせて写真を撮る。田舎道を歩く。言い出しにくくって父の手紙を差し出す。「おまえの選んだ人なら父も賛成だ」と書いている。「いま即答しなくてもいいけれど・・・」、「即答していいわ」。彼女は路傍に咲いていたスミレの花を一本摘んで渡してくれた。それが返事だった。フランス映画みたいだ、と一瞬、思った。
 若子(とここから急に日記の中の呼び名が変わった)の下宿の応接間に泊めてもらい、マグロとトビウオの刺身、セロリとトマトなどの夕食をご馳走になる。これから何年続くかわからない夫婦の第1回の食事、と思って噛みしめた。それにはまず、食べられるように稼がなければ・・・。

3.ユーモアのある学生
1961年4月、東京大学教養部専任講師として、懐かしの駒場に通うことになった。10年を経て教えてみる側に立ってみると、学生たちはおしなべておだやかな満ち足りた顔つきをしていた。
 期末試験の答案に、いまでもその女子学生のT・Yという名前まで覚えているのだが、「私たちだけテストされるのはシャクなので、こちらからも先生に問題を出します。次の英文を和訳せよ。考える時間は5分。正解裏」とあって、「My father is my mother」と英語で書かれていた。ぼくは正直に5分考え、ハムレットの「父と母は夫と妻、夫婦は一心同体」(第4幕第3場)というセリフまで思いついても、裏の正解をみると、「私の父はわがままです」。まいったなァ。とにかくのんびりしたキャンパスだった。

小田島 雄志(おだしま ゆうし、1930年昭和5年)12月18日 - )は、日本の英文学者、演劇評論家。東京大学名誉教授、東京芸術劇場名誉館長。日本演劇協会理事[1]豊島区芸術顧問[2]

姉の阿部明子(あかし)は東京家政大学名誉教授[3]。妹の松村紀代子は、『文藝春秋』(文藝春秋)の編集者をへて、エッセイスト[4]。次男の小田島恒志も英文学者、早稲田大学教授[5]。恒志の妻の小田島則子も英文学者、翻訳家[5]

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  3. ^ 『ぼくは人生の観客です』(日本経済新聞社)P.21
  4. ^ 『ぼくは人生の観客です』(日本経済新聞社)P.21
  5. ^ a b 『ぼくは人生の観客です』(日本経済新聞社)P.94
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