安井誠一郎 やすい せいいちろう

行政・司法

掲載時肩書東京都知事
掲載期間1957/09/11〜1957/09/28
出身地岡山県
生年月日1891/03/11
掲載回数17 回
執筆時年齢66 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他一高
入社内務省
配偶者記載なし
主な仕事地方に出向、独留学、議員落選、東京市、朝鮮総督秘書、新潟知事、厚生次官、都知事
恩師・恩人犬養木堂、後藤文夫
人脈田中耕太郎、松本烝治、青木一男、星野直樹、石渡荘太郎、山本有三、菊池寛、東竜太郎、加屋興宣、賀川豊彦
備考黒住教信仰、代々地主、弟:謙(参議院)
論評

1891年(明治24年)3月11日 – 1962年(昭和37年)1月19日)は岡山生まれ。内務・厚生官僚、政治家。富山県・兵庫県・福岡県の警察部長を経て、東京市保健局長兼社会局長に就任する。1931年には同郷で朝鮮総督の宇垣一成に請われて秘書官となり、朝鮮総督府専売局長を務めた後、1936年、京畿道知事に就任した。更に、拓務省拓務局長なども務め、植民地経営のポストを多く歴任した。帰国後、1940年から新潟県知事、退任後東京市電気局長を務め、1946年に幣原内閣で厚生次官となる。同年7月には官選では最後となる東京都長官に就任、歴任した。元自治大臣及び参議院議長の安井謙は弟。

1.朝鮮総督秘書官
昭和6年(1931)、宇垣一成大将が朝鮮総督に任官されたので、私は秘書官として赴任した。宇垣総督の功績は、何といっても農地解放と産業資源の開発、それから教育の普及である。①農地解放は、本来から言えば、地主はほとんど日本人であるし、普通の人ではなかなかできるものではない。各方面から強い抵抗もあったが、強い実行力と政治力で押し切った。②そのころの朝鮮の教育程度は非常に低く、宇垣さんは最初に学童教育の組織化に手を付けられた。それまでは田舎で塾のようにやっていたのを学校制度に切り替えた。③さらに産業開発は、港湾の整備をやられた。
 最初は朝鮮の人も冷たい顔で行政を見守っている風だったが、だんだん趣旨が徹底するにつれ、皆、進んで心服するようになったのであった。

2.朝鮮人参は専売品
総督秘書官を2年半ほどやり、それからしばらく専売局長をやった。朝鮮の専売局は大蔵省の専売局のように、塩、タバコ、酒も扱ったが、そのほかに朝鮮人参も専売品だった。朝鮮人参は大変高価なもので、この栽培は許可制だった。この人参が、なるほど高いなぁと思ったのは、一本の人参が使い物になるまでに4年もかかる。しかも4年間使っていた畑は、次には、人参の畑としては使えないのである。

3.宇垣内閣流産の内幕
昭和12年(1937)1月末、宇垣大将に組閣の大命降下があった。私は前年から拓務省の拓務局長になっていたが、朝鮮時代からの関係もあり、お手伝いをすることになった。深夜、宇垣さんは宮中に参内して組閣の大命を受けるとその日の午後、陸海軍の大臣に挨拶に回った。
 当時、海軍大臣は永野修身大将、次官は山本五十六さんだった。宇垣さんが永野さんと会っている間、私は山本さんに会って話をしていたが、山本さんは「しっかりおやりなさい。海軍は応援しますから」と激励してくれた。陸軍大臣は寺内寿一大将、梅津美治郎さんが次官だった。宇垣さんが陸相に会っていると、若い少佐、中佐級の課長などが、あまり話が長引いているというので時々様子を見に来ていた。皆、反宇垣グループの将校で、海軍省の空気とはおよそ対照的であった。この時は結局、陸軍大臣が出来ないので流産ということになった。

4.公選第1回の東京都知事に当選
昭和22年(1947)4月、55歳で都知事に選ばれた。私の都知事としての前半は、占領政治下の行政でもあり、家も食料も着るものもない困難な時代だった。「復興」そのものに終始したわけである。つまり、住宅、道路、水道、ガスの復興など、ことごとくいわゆる建設的な行政施策の再建に全力を挙げた。こういう仕事をするのに、私が若いころ自費でドイツに行った時の経験がどのくらい役に立ったかしれない。第一次大戦でドイツが無条件降伏して天文学的な賠償金を押し付けられ、牛乳は一日、小さいコップに1杯、パンも黒い小さな塊が一つ配給という時代のドイツへ行き、その時分の法律や制度、施策の推移を2年半の間、じっくりと見てきているため、私は、慌てず、着実に、信念をもって自分の構想を実行に移せたのである。

安井 誠一郎
やすい せいいちろう
安井誠一郎(1960年頃)
生年月日 1891年3月11日
出生地 日本の旗 日本岡山県御津郡伊島村
(現:岡山市北区津島)
没年月日 (1962-01-19) 1962年1月19日(70歳没)
出身校 東京帝国大学独法科
所属政党 無所属)→
自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章
名誉都民
親族 安井謙(弟)

選挙区 旧東京1区
当選回数 1回
在任期間 1960年11月21日 - 1962年1月19日

東京都の旗 初-3代 東京都知事
当選回数 3回
在任期間 1947年5月3日 - 1959年4月18日

新潟県の旗 官選第34代 新潟県知事
在任期間 1940年4月9日 - 1941年1月7日

東京都の旗 第6・8代 東京都長官
在任期間 1946年7月23日 - 1947年3月13日
在任期間 1947年4月14日 - 1947年5月3日
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安井 誠一郎(やすい せいいちろう、1891年明治24年)3月11日 - 1962年昭和37年)1月19日)は、日本内務厚生官僚政治家

東京都長官(第6・8代)、東京都知事(初・2・3代)、衆議院議員(1期)を歴任した。元自治大臣及び参議院議長安井謙は弟。

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