掲載時肩書 | コマツ相談役 |
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掲載期間 | 2014/11/01〜2014/11/30 |
出身地 | 広島県 |
生年月日 | 1941/01/07 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 73 歳 |
最終学歴 | 大阪市立大学 |
学歴その他 | |
入社 | コマツ |
配偶者 | 浜田市娘 |
主な仕事 | クレーム対応、全国キャラバン隊、米国 社長(±)、コムトラックス、無人ダンプ、小松ウエ イ(bad-news、後継者指名) |
恩師・恩人 | |
人脈 | 河合良成社長、 |
備考 | ダントツ経営、 |
1941年1月7日 – )は広島県生まれ。日本の実業家。小松製作所代表取締役社長、産業革新投資機構取締役会議長、武田薬品工業取締役会議長、日本経団連副会長、経済産業省総合資源エネルギー調査会会長、公立大学法人大阪名誉特別顧問等を歴任。小松製作所からは中興の祖と言われた河合良成が昭和32年7月に書いているので、二人目となる。
1.全国をキャラバン隊で現場熟知に
氏は入社後、ブルドーザーのクレーム対応や全国キャラバン隊を率いて、ユーザーのニーズを知り、製品改良に取り組んだのが現場の熟知となった。また、米国の合弁会社(小松ドレッサー)社長となり、米国経営の長所と短所を知ったことが本社の社長就任の経営に生かされた。具体的には、米国長所では業務システムの外注化、雇用政策であり、短所は技術改革の現場対応力であった。世界展開にはこれらを応用することで大発展する。
2.ダントツ経営に取り組む
コマツのダントツ経営は有名であるが、平均主義を打破し、優れた技術やサービスを他社より突出させた営業力の展開は目を見張る。その代表がコムトラックスであり、機械の居場所・稼働状況・燃料の残量把握などの情報を本社で一括管理できるシステムである。また、3階建てのような大型無人ダンプが米国、中国、豪州などの資源開発や建設現場でフル稼働しているのも頼もしい。これが小松の原動力となっている。
3.コマツウエイの実践・推進
しかし、最後の章にあったが、コマツウエイ(企業文化で世界に共通化している)も素晴らしい。
1.レポートのトップにはバッド・ニュースを書くこと(良いニュースでなく、会社にとって悪いニュースを一番に知らせろ)
2.常に後継者を考えること(事業責任者には毎年1回、自分の次、次の次、の二人を推薦・提出し話し合おう)である。
企業の永続性、公共性を考えた場合、誠に素晴らしい企業文化だと感心しきりだった。