掲載時肩書 | 東大名誉教授 |
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掲載期間 | 1972/04/17〜1972/05/12 |
出身地 | 新潟県 |
生年月日 | 1897/11/17 |
掲載回数 | 26 回 |
執筆時年齢 | 75 歳 |
最終学歴 | 東京大学 |
学歴その他 | 一高 |
入社 | 助手カビ |
配偶者 | 友人妹 |
主な仕事 | 東亜学生寮、日本中のカビ集め3,000種 、山梨ブドウ、食糧管理研究所、イノシン酸、グルタミン酸 |
恩師・恩人 | 高橋偵三 教授 |
人脈 | 桑原幹根・大佛次郎・松本俊一・内村祐之(一高)、鳥井信治郎、川上善兵衛、茂木和三郎、三島海雲 |
備考 | 酒の坂口、糞尿爆弾 |
1897年(明治30年)11月17日 – 1994年(平成6年)12月9日)は、日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。微生物の培養に用いられる坂口フラスコを発明した他、文化面では新春歌会始の召人も務め、歌人としても知られた。東京大学応用微生物研究所初代所長および同大学名誉教授、理化学研究所副理事長。
1.麹菌研究のお蔭で酒が飲めるようになった
麹菌の研究を始めるようになってから、私は日本中の麹菌を集めて回った。本州各地はもとより、四国、九州、沖縄にまで行った。もちろん一度に回ったのではない。昭和初年(1926)ごろから、7,8年ごろにかけてである。その間にほとんど全国の銘醸地はめぐっている。後年私は酒と関係づけて言われるようになったが、この頃の私は一滴も飲まなかった。学生時代は付き合い程度にたしなみはしたが、結核を患った際、医者から禁酒令を出されていたからである。最もこの禁酒令が全く無意味であったばかりか、私の体質にはかえってマイナスであったことが後で判明した。
判明したのは40歳になってからであるから、誠に遅きに失した感が強い。きっかけは、台湾で酒が専売になり、日本から出荷された酒の状態などを視察に行った時である。さしてすることもなく、こわごわ禁を破って毎晩チビチビやってみた。約1か月滞在し、東京に帰って体重を計ってみると、何と4キロ太っていた。これには家内も大喜びし、以後毎晩酒を勧められるようになり、飲まぬとかえって心配するようになった。
2.泡盛の麹菌など
酒を一滴も飲まぬ銘醸地めぐりで採集した麹菌(もちろん、みそ、しょうゆのものも集めた)は、約3千株ぐらいに上った。その中のエピソードを2,3紹介する。
沖縄で泡盛をつくるのに使っていた黒麹菌は、第二次大戦で100軒近い泡盛工場とともに壊滅したので、私が採集しておいた菌が非常に貴重なものになった。また私が「ウサミ」と命名した新種は、その後広く国内のアルコール工場や焼酎工場で使われたし、「サイト―イ」と命名した新種では、キッコーマンの財団法人野田産研の吉田次彦博士が、酸に極めて強い蛋白分解酵素を発見し、酵素剤として今では世界的な商品となっている。
3.糞尿爆弾づくりなどの研究
戦争中はどの分野でもそうであろうが、笑うに笑えぬ無理難題と取り組んだ。火薬、食料、燃料に関する奇抜な実験をかなりやった。
太平洋の孤島に孤立した部隊が火薬を自給する必要がある。直ぐ思い浮かぶのは糞尿を使ってつくる方法だ。これはフランス革命当時やインドにはかなり古くからあったようだ。土に糞尿をかけておくと、そのアンモニアが土地の中の硝化菌の作用で硝石つまり爆薬になるわけであるが、これをいかに効率的に、しかも簡便にするかである。私どもは酒屋の麹づくりの要領に改良を加えて、ウンと能率の高い方法を編み出した。兵一人一日分の糞尿から相当の爆薬が取れる勘定であったが、果たして実戦の方ではどうであったか。この研究は、今、理化学研究所の主任研究員である富金原博士がみごとにやってくださって、たしか軍から賞か何かを貰ったように思う。
また、食料の欠乏は大問題であった。木くずに硫安をかけて木材腐朽菌を生やしたものを家畜が喜んで食べたというので、酒屋の麹室を使って生産した。あるいは茸を増産して蛋白源にしようとしたり、その他いろいろな廃棄物から酵母をつくる研究もしたのだった。
生誕 | 1897年11月17日 新潟県高田(上越市) |
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死没 | 1994年12月9日(97歳没) 東京都目黒区 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 農芸化学(発酵醸造) |
研究機関 | 応用微生物研究所 |
出身校 | 第一高等学校 東京帝国大学 |
主な受賞歴 | 日本学士院賞、藤原賞、文化勲章、勲一等瑞宝章 |
プロジェクト:人物伝 |
坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年(明治30年)11月17日 - 1994年(平成6年)12月9日)は、日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。東京大学応用微生物研究所初代所長および同大学名誉教授、理化学研究所副理事長。日本学士院会員。愛称は「坂謹(さかきん)」。