その他
掲載時肩書 | 宇宙飛行士 |
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掲載期間 | 2025/09/01〜2025/09/30 |
出身地 | 群馬県館林 |
生年月日 | 1952/05/06 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 73 歳 |
最終学歴 | 慶應大学 |
学歴その他 | 慶應女子高校 |
入社 | 慶應大学病院入局 |
配偶者 | 向井万起男(医師先輩) |
主な仕事 | 宇宙飛行士、宇宙開発事業団、宇宙飛行1,2搭乗、宇宙短歌募集、米宇宙センター(NASA)、国際宇宙大学、宇宙医学生物学研究室、東京理科大、日本学術会議、社外取締役、こども科学館、 |
恩師・恩人 | 高比良信 |
人脈 | 石原裕次郎、井上正、毛利衛、土井隆雄、若田光一、ジョン・グレン、古川聡、森口泰孝、国分良成、 |
備考 | 医大生:スキー大回転優勝、 |
宇宙飛行士のこの「履歴書」登場は初めてなので、職業分類を「医師」「アスリート」「学術者」のどれにするか迷った。そして、その他の分類とした。氏は、「宇宙飛行士に採用されてから約20年間NASAで働いた。 2回宇宙へ行き、2回控えの宇宙飛行士を務め、コロンビアの副ミッション・サイエンティストも合わせると、5回のミッションに切れ目なく携わった」とある。凄い人生の経験者です。
1.私の性格
父の内藤喜久男は第二次世界大戦で疎開して群馬県・館林に移り住み、そこの中学校の理科と数学の教師となった。私は「なんで、なんで」と聞きたがる子供で、周囲の大人から迷惑がられたりもした。その中で父だけは、私が「なんで」と聞くのを勧めてくれた。小さい頃から動植物の区別なく生き物が好き。近所の仲間たちと神社の床下で捨て犬や猫を飼っていたこともある。雑誌の付録でついてきた顕微鏡を使ってミジンコや植物の葉を観察するのも楽しみだった。小中学校時代は運動と理数系の教科が得意で、運動ではリレーの選手を務めたりバスケットボール、ソフトボールなど様々なスポーツに参加したりした。
2.石原裕次郎さんが患者さん?
医師国家試験に合格し、1981年慶応大学病院で心臓外科医の道を歩み始めた。久しぶりの休みに妹と映画を見に出かけようとしていたときに、病院に戻れと電話が掛かってきた。チームを組む二人の医師の勤務日だったが他の患者で手が離せないので、緊急手術に出てこい、という呼び出しだった。
病院に着いてカルテを見ると名前の欄に「石原裕次郎」と書いてある。そばに居た看護師に「有名な俳優と同じ名前の人がいるんだね」と話すと「本人です」と答えが返ってきた。石原さんの病名は解離性大動脈瘤。心臓に近い大動脈が内側から裂けていき、血管が破れる。腰の痛みを訴えて入院した石原さんは危険な状態で、すぐに集中治療室(ICU)へと回された。心臓外科の井上正教授を主治医とするチームに私も加わり、緊急手術は7時間近くにおよんだ。
解離性大動脈瘤の手術は当時、成功率が3~5%といわれたが、無事に成功。手術後に関係者が話しを聞きたいと言っているというので、忙しかった井上教授の代わりに私が説明にいった。話が終わってから「あの人、見たことがある」と看護師に言うと、「それはそうでしょう」。石原軍団の渡哲也さんだった。
3.宇宙飛行士テストに合格
宇宙飛行士には533人が応募し、まず書類選考で64人に絞られた。続いて一般常識や英語などの筆記試験が実施されたが、大変だったのが一般常識の試験だ。直前の研修医時代は新聞やテレビに目を通す暇もない生活を送っていたので、準備はしたものの外務大臣のフルネームを書く問題などに四苦八苦。手ごたえは良くなかったが、なんとか次の選考に進むことができた。
医学検査では日大医学部附属板橋病院に1週間入院して検査漬けになった。レントゲンを何10枚も撮ったり採血を何回も繰り返したりして徹底的な検査が続いた。耳の中に水を注いで平衡感覚をつかさどる三半規管への影響を観察する試験もあった。普通の人はストレスを感じて次第にげっそりしてくる。しかし医師だった私は検査される立場になって、自分が診療に当たる際にこうしたところに気をつけなければいけないのだな、と考える機会になった。
さらに宇宙開発事業団(現JAXA)の筑波宇宙センター(茨城県つくば市)で宇宙酔いに耐えられるかといった宇宙飛行士の適性をみる検査を受け、最終候補に残ったのは7人。米航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センター(テキサス州ヒューストン)に向かい、あらためて医学検査や心理検査を受けた。応募を決めてから1年8か月が過ぎた1985年8月7日、合格通知を受け取った。
4.宇宙飛行搭乗決定
1992年9月12日、毛利衛さんを乗せたスペースシャトル「エンデバー」は宇宙へと旅立った。毛利さんが宇宙にいる1週間、私と土井さんはNASAのマーシャル宇宙飛行センターで実験などの後方支援にあたった。宇宙にいる宇宙飛行士と交信し、宇宙飛行士と地上の専門家との意思疎通を受け持つのが私たちの役割だ。一緒に同じ訓練を受けてきた仲間だから、的確に宇宙飛行士の状況を専門家にも伝えられる。分刻みで決まっているスケジュールに従って実験の手順を確認し、トラブルが起きると専門家に交って解決策の議論に加わることこともあった。
毛利さんの宇宙飛行が終わって帰国していた92年10月の土曜日の朝。久しぶりの休日に夫とくつろいでいると、自宅に宇宙開発事業団(現JAXA)から、第二次国際微小重力実験室(IML2)の宇宙飛行士に選ばれたとの知らせがあった。IML2には13か国が参加して82件の実験テーマが決まっていた。搭乗するスペースシャトルの打ち上げは94年7月ごろで、2年足らずしか余裕がない。シャトル搭乗訓練だけでなく実験のための準備を急ピッチで進めなければならない。
実験で大変なのは計画通りに行かないときだ。予定が狂ったときにどう対応するかが訓練のキモで、考えられる限りの異常事態を想定して対応する訓練を繰り返した。訓練の途中で不測の事態が発生したことを知らせる「グリーンカード」が差し入れられると、時間内に対策をとらねばならない。打ち上げ前の2年間はこうした訓練をぶっ続けでやった。もうぐったりしてしまった。
5.いよいよ宇宙で実験
1994年7月、スペースシャトル「コロンビア」の打ち上げ当日、ケネディ宇宙センターは快晴に恵まれた。Sシャトルが宇宙に到達すると、7人の乗組員は2班に分かれて12時間交代で働く。実験スケジュールは5分刻みで決められていて息をつく暇もない。宇宙に着くと直ぐに仕事を始める順番だった私はさっそく実験の準備に取り掛かった。コックピットからトンネル状の通路をくぐって広い実験室に入った途端に上下左右が分からなくなった。気持ちが悪くなって通路に戻り、用意していた袋に吐いた。「宇宙酔い」と言われる状態だが、慣れると次第に収まった。
搭乗した第二次国際微小重力実験室(IML2)の宇宙飛行では82の実験が予定され、3分の2ほどが生命科学関連だった。日本からもメダカやイモリを使って宇宙での繁殖が可能かを調べる実験や、粘菌を使って宇宙の強い放射線や無重力が生物に与える影響の実験などが採用されていた。私自身が被験者になった実験もあった。下半身をドラム缶のような装置に入れて気圧を下げていき、反応を見る「下半身陰圧負荷試験」だ。地上では重力に引かれて血液が下半身に集まるが、重力のない宇宙ではそれがないので心臓が送り出す血液が減少する。そのため地上に戻ると血圧が下がって立ち眩みが起きる。気圧を下げて下半身に血液を集めれば、地上と同じ効果があるのではという仮説を確かめる実験だった。
6.宇宙に住む研究・開発
2017年に立ち上げた「スペース・コロニー研究センター」は、宇宙で生活するために必要な様々な技術を産業界と協力して開発するする狙いで設立した。宇宙開発で先行する米国やロシアに対抗するには、「衣食住」という日本が強みを持つ分野の研究・開発で勝負することが大切だと考えていたからだ。
そのためには「宇宙のために」開発するのではなく、宇宙でも地上でも使える「デュアルユース技術」の取り込みが求められる。宇宙開発をきっかけに地球を良くする、という視点が大切で、これが持続可能性のようなSDGsの問題解決につながる。衣食住の技術はエネルギーや水や空気、食料、生活の質向上など幅広い。宇宙で快適に暮らす技術は、災害時の避難施設などでの生活にも応用が利く。例えば研究センターでは、清水建設やJAXAなどと月面基地用テントの開発に取り組んでいた。小さく折り畳んで月面まで運び、月に着くと膨らませて居住空間や実験施設に使うのだ。テントは月面の洞窟などを想定しているので、気密性に優れた素材を使っている。
向井千秋 | |
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元・宇宙飛行士 | |
国籍 | 日本 |
生誕 | 1952年5月6日(73歳)![]() |
他の職業 | 東京理科大学副学長 |
宇宙滞在期間 | 23日15時間39分 |
選抜試験 | 1985 NASDA Group |
ミッション | STS-65、STS-95 |
記章 | ![]() ![]() |

向井 千秋(むかい ちあき、旧姓:内藤、1952年(昭和27年)5月6日 - )は、日本人女性初の元宇宙飛行士。学位は、医学博士(慶應義塾大学、1988年)[1]。1994年にスペースシャトル・コロンビア号、1998年にスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗した。
2015年4月から東京理科大学特任副学長 兼 スペース・コロニー研究センター長(野田キャンパス)[2][3]。これまでに国際宇宙大学客員教授、宇宙航空研究開発機構特任参与、宇宙医学研究センター長、日本学術会議副会長を歴任している。
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」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ 向井千秋特任教授の東京理科大学副学長就任について
- ^ http://www.rs.tus.ac.jp/rcsc/greeting/index.html センター長挨拶] 東京理科大学スペース・コロニー研究センター