掲載時肩書 | 俳優 |
---|---|
掲載期間 | 2005/11/01〜2005/11/30 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1932/12/13 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 73 歳 |
最終学歴 | 高等学校 |
学歴その他 | |
入社 | 俳優座 養成所 |
配偶者 | 宮崎恭子 |
主な仕事 | フリー宣言、「人間の条件」(小林)、無 名塾、「乱」(黒沢) |
恩師・恩人 | |
人脈 | 月丘夢路(井上)、同期(佐藤慶・充、中谷一郎、宇津井健)、三船・錦之介(喧嘩)、役所広司、 |
備考 |
日経「私の履歴書」に登場した男優は今まで12名いますが、彼のように国内外の映画の主演賞受け、かつ文化勲章も受けている人はいません。彼が「日本映画の黄金時代」 PHP新書(春日太一著)に映画や舞台の思いや内情を語ってくれています。私が知らない情報を下記に抽出しました。彼は日活から専属契約を要請されたとき、「日活の専属になると、俳優座をやめなければいけない。でも、芝居もやりたい、映画もやりたいという欲望があって、それで、どこの映画会社の専属にならない選択をした。これにより、年間の半分を映画、半分を芝居ができ、すばらしき監督や女優、作品に恵まれることができたのでした。
1.黒澤明監督の 「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」などの思い出
黒澤さんは、時代劇映画に不満がありました。人を斬るのに奇麗に舞うようにでは、斬れないと。当時の時代劇の所作をもっと生々しいものにしたのは黒澤さんでした。人を斬ったら血は出るんだ。(「椿三十郎」のラストで三船に仲代が斬られ、心臓の血が噴き出すシーン)
2.萬屋錦之助、三船敏郎、勝新太郎の殺陣の見どころ
華麗に舞うようにチャンバラがうまかったのは萬屋さん。三船さんは実際、バツン、バツン、バツンと斬っていて、そのスピード感(10秒で10人)がすごかった。勝さんは座頭市で真骨頂を見せましたけど、斬った後の余韻がうまかったですね。彼の場合、斬った後、それをスッと鞘に納めるまでが立ち回りなのです。だから、その余韻が残るんです。
3.女優の性格
「女優」は「女」とは違う。例えば、衣装合わせをする場合、監督が「この役だからこの衣装だ」というと、「私その柄が気に入らない。私の好み、こっち」というのが女優。人の迷惑を考えずに自己主張をしていく。いい意味でわがまま放題です。だから、いくら女優として魅力的であっても、女性としては魅力的ではなくなってしまう。こういうのを見ていると女優さんは、やはり別の生き物のような気がします。
そして彼は、今はプロダクションの時代だと言います。今の芸能界は、吉本、ジャニーズ、ホリプロ、これが芝居まで進出してきている。昔は俳優座、民藝、それから文学座が占めていました。しかし、今はもうチョッとテレビで売れたのをホリプロさんなんかはかき集めてきて、芝居の主役に使ってしまう。「でも、声が通らないから、舞台でもマイクを付けて上がってね」と。発声の訓練、時代劇や現代劇の立ち振る舞いなどの初歩的な所作をじっくり勉強する時間がないので即席となってしまう。これでは立派な舞台俳優や映画俳優は育たないという。へぇー、こういう時代になっているのだと驚くことばかりでした。
仲代 達矢(なかだい たつや[6]、英︰Tatsuya Nakadai、男性、1932年〈昭和7年〉12月13日 - )は、日本の俳優・演出家・歌手・ナレーター・声優。劇団俳優座出身。無名塾主宰。愛称︰モヤ[7][8][注釈 1]。仕事所属。本名︰仲代 元久(なかだい もとひさ、Motohisa Nakadai)[7]。
東京都目黒区出身。身長178cm、体重75kg、血液型はB型、星座はいて座[9]。
<ref>
タグです。「asahi
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
引用エラー: 「注釈」という名前のグループの <ref>
タグがありますが、対応する <references group="注釈"/>
タグが見つかりません