掲載時肩書 | 歌舞伎俳優 |
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掲載期間 | 1994/08/01〜1994/08/31 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1920/08/20 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 74 歳 |
最終学歴 | 小学校 |
学歴その他 | |
入社 | 6歳舞台 |
配偶者 | 七代目幸四郎娘 |
主な仕事 | 出征6年間、立役→女形(松緑助言)、7代大谷友右衛門襲名、映画30本、雀右衛門の会、 |
恩師・恩人 | 6世藤間 勘十郎、七代目幸四郎 |
人脈 | 中村章景(親友)、7代幸四郎(師・子3兄弟と)、大谷竹次郎 、市川寿海、白井昌夫、 |
備考 | 父:6代目大谷友右衛門 |
1920年(大正9年)8月20日 – 2012年(平成24年)2月23日)は東京生まれ。歌舞伎役者、映画俳優。七代目 大谷 友右衛門(しちだいめ おおたに ともえもん)としても知られる。立女形。女形の大御所的存在として晩年まで若々しい美しさと、格調の高さ、芸格の大きさで人気を博した。妻・晃子は七代目松本幸四郎の娘。そのため、十一代目市川團十郎・初代松本白鸚・二代目尾上松緑の三兄弟とは義兄弟の間柄だった。
1.26歳で女形の決意
6年間の戦地から帰国して、七代目幸四郎おじさんに挨拶に行くと、松緑兄さんが「いま女形が少ないから女形になれよ」といったのです。女形はふつう12歳ごろから女形なりの修業をして、だんだん体を作り、身のこなしを覚えていくものです。ですからトンボを切ったり馬に乗ったりという立役専門の修業しかしてこなかった私が、26歳にもなって転向するとはあまりにも突飛な、冗談のようなお話です。けれども当時は、女形が割合少なかったことと家庭の事情もあり、当の幸四郎おじさんも「女形をやれ」といってくださいました。
同時に「でも、おまえ、今からだと、60にならなければ使い物にならないよ。それでもやるか」との念押しでしたが、私は「やります」と言ってしまったのですから、迷うわけにはいきませんでした。
2.大谷友右衛門から中村雀右衛門の襲名に
昭和39年(1964)9月、44歳のとき、私は四代目中村雀右衛門を襲名しました。父から受け継いだ大谷友右衛門の名は長男に譲りました。雀右衛門の名は、本来は私の10代のころの親友だった中村章景さんが継ぐはずでした。しかし、章景さんは私より2年前に兵隊にとられ外地で戦死しまして、一方の私は幸いにも生き延びて帰ってくることができました。それで章景さんのお母さんである京屋のおばさん(三代目雀右衛門夫人)が「うちの息子みたいだ」と言ってくださり、私が女形に転向する時に「それだったら雀右衛門を引き継いでくれませんか」というお話から、この襲名にいたったのです。
3.女形の心掛け
女形の役者にとって心の持ち方ほど大切なものはありません。まず女であるという心の持ち方、次に相手をさせていただく立役の方に対する心の持ち方、それから仕事に対する心の持ち方と、この3つを怠っては、女形は務まりません。
私が女形になろうというとき、七代目幸四郎の岳父は「おまえ、女形になるんだったら心がけを良くして相手役の人に惚れてもらう、そしてああいい女だなと思ってもらう、かわいいなと思ってもらう、それがなければやっていかれないよ」と言いました。
女形は本当の女をそのままマネするのとは違います。女というものをデフォルメして見せて、しかしそこになにがしかの女の本質的なものをお客様に感じ取っていただくわけです。舞台の上での男女は現実には存在しない男女ですが、でも根本のところはリアリティーがあって真実の心を通わせる。それがうまくいった時に、歌舞伎の舞台は成功するのではないかと思います。
そして女形には色気と格調がなくてはいけません。女形で色気がないと言われたら、それはまず心掛けが悪いということです。色気以上に難しいのは格調です。一生懸命やってもなかなか格調を出すところまでいきません。これは最後に残る難題で、格調が足りない足りないと思いながらに日々努力しているのです。
4.女形の体形維持
女形の場合、体の使い方に偏りがあるので、手入れはしています。ジムに行って、ストレッチ運動で体の各部を丹念に伸ばします。それから筋肉を維持するための運動もします。しかし、首や腕が太くなったりしては女形として見栄えが悪くなりますから、外から見えない範囲の筋肉を選んで鍛えています。
四代目 | |
七代目大谷友右衛門時代。1954年撮影 | |
屋号 | 京屋 |
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定紋 | 京屋結び |
生年月日 | 1920年8月20日 |
没年月日 | 2012年2月23日(91歳没) |
本名 | |
襲名歴 | 1. 初代大谷廣太郎 2. 七代目大谷友右衛門 3. 四代目中村雀右衛門 |
俳名 | 梅斗 |
別名 | 藤間亀三郎(舞踊名) |
出身地 | 日本・東京府東京市日本橋区 |
父 | 六代目大谷友右衛門 三代目中村雀右衛門(位牌養子) |
妻 | 晃子(七代目松本幸四郎の娘) |
子 | 八代目大谷友右衛門 五代目中村雀右衛門 |
公式サイト | 中村 雀右衛門 (4代目) |
当たり役 | |
歌舞伎: 『源平布引滝』の小万 『祇園祭礼信仰記』(金閣寺)の雪姫 『本朝廿四孝』の八重垣姫 「豊後道成寺」 「傾城道成寺」 「毛谷村」のお園 映画: | |
四代目 中村 雀右衛門(よだいめ なかむら じゃくえもん、1920年(大正9年)8月20日 - 2012年(平成24年)2月23日)は、歌舞伎役者、映画俳優。位階は従三位。七代目 大谷 友右衛門(しちだいめ おおたに ともえもん)としても知られる。立女形。
「中村雀右衛門」としての屋号は京屋。定紋は京屋結び、替紋は向い雀。「大谷友右衛門」としての屋号は明石屋。定紋は丸十、替紋は水仙丸。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。
本名は青木 清治(あおき きよはる)。女形の大御所的存在として晩年まで若々しい美しさと、格調の高さ、芸格の大きさで人気を博した。