掲載時肩書 | 太平住宅社長 |
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掲載期間 | 1966/11/17〜1966/12/02 |
出身地 | 岡山県庭瀬 |
生年月日 | 1900/12/05 |
掲載回数 | 16 回 |
執筆時年齢 | 66 歳 |
最終学歴 | 関西大学 |
学歴その他 | 高等小学校 |
入社 | 炭屋奉公 |
配偶者 | 丙午娘 |
主な仕事 | 神戸商船校、関西電話建物㈱設立、日本電話建物、日華貿易産業、学徒更生協会、太平住宅、太平火災、ミノルフォン |
恩師・恩人 | 賀川豊彦 |
人脈 | 佐藤武夫教授、板橋菊松、遠藤実(ミノルフォン)、中山正男、山岡荘八、大宅壮一 |
備考 | 市場ニーズ発見は生活の必需品から、才覚すぐれ |
1900年12月5日 – 1968年10月27日)は岡山生まれ。実業家・教育者。戦後、1950年(昭和25年)、太平住宅を創業、社長に就任する。同社は、3割の頭金のみで家を建てる方式を確立し、日本電建、殖産住宅相互と並ぶ「割賦三社」と呼ばれた。1953年(昭和28年)、太平火災を創業、社長に就任する。1960年(昭和35年)10月1日、太平ビルサービスを創業、社長に就任する。1962年(昭和37年)以降、太平観光(1963年創業)、太平音響(のちのミノルフォン、現在の徳間ジャパンコミュニケーションズ、1965年創業)、太平出版社(1965年創業)、タイヘイフィルム(1965年創業)等の10数社にもおよぶ関連会社を創業し、「太平グループ」を築いた。なかでも太平音響は作曲家の遠藤実を専務取締役に迎え、「ミノルフォン」のレーベル名で知られた。
1.52歳で経済学博士論文を決意
論文提出を決意したのは、52歳のときであった。その動機は先輩や学者に私が考え出した火災保険の理論を話したところ「ユニークな内容であり、学位を請求する価値がある」と言われたことに始まる。もし幸にも学位が取れたら、「太平火災」の事業の裏付けにもなるし、会社にもプラスになる、そう思った私は、50の手習い、改めて外国文献、学術書に取り組んだ。
内容は、保険の加入者は他の加入者の拠金によって守られていると同時に、その加入者は、自らの拠金によって他の加入者を守り、しかも、自らの拠出した株金は、株主として有効に行使できる権利を持つ。しかも、株主募集、契約、集金業務は、これを「太平住宅」の各支店に委託しているわけだから、従来の保険会社の諸経費の7割以下で抑えられる妙味を持っているのだ。
一番困ったことは、論文の書き方だ。賀川豊彦先生をはじめ板橋菊松博士その他多くの先輩や学者を訪問して、いろいろとご教授願ったものである。こうして昭和30年(1955)、約5年がかりで1200頁という膨大な論文「近代火災保険事業の基礎的構造に関する理論的並びに実際的研究」を完成、関西大学に提出することができた。しかし、この4年後(1959)には、博士号を取るには「ドクターコースを出て、2か国語の単位をとる」という条件が加えられたから、とても博士論文には手がでなかったであろう。
2.遠藤実氏と企業戦略
彼とは、荻窪あたりの流しをしているころからの付合いである。私がいつも通っていた小料理屋で顔を合わせていた。私は歌謡曲が好きで、彼が顔を出すと、必ず一曲所望していたが、そのたびに、私は彼に流しにしては珍しいまじめさと才能を感じていた。聞けば、私と違った世界の苦労だが、昔の私と同じように貧乏生活に負けず、作曲の勉強をしているという。私はその努力に大いに胸を打たれた。その後は、会社の慰労会、催しものがあるたびに彼を呼び、多少の応援をしていたものである。
それから3年ほどたったか、私は彼がコロンビアと契約したことを聞いて喜んでいると、ある日彼が来て、「社長さん、博士号、おめでとうございます」。私も、彼がこれまでになったお祝いを述べ、喜び合った。こうした男の付合いが、「ミノルフォン」の設立ともなって現れたのである。もちろん経営者である私がレコード会社を設立したのは、その将来性を買ってであるが、また一方では「太平グループ」の企業宣伝の媒体として見込んだからである。言わば、経営戦略の一環を担ってもらおうという意図である。
昭和40年(1965)12月5日、かねてから、新宿の西口、都浄水場の隣接地に建設中であった「太平ビル」(地下2階、地上16階)が完成、落成式が行われた。この日はちょうど、私の65回目の誕生日であったが、参加者二千人から、それぞれ、お祝いの言葉をいただいた私は、つくづく幸せ者であることを感じた。
中山 幸市 Koichi Nakayama | |
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生誕 | 1900年12月5日 日本 岡山県 |
死没 | 1968年10月27日 (満67歳没) 日本 |
出身校 | 1924年 関西大学専門部商科 1959年 関西大学経済学博士 |
職業 | 関西電話建物 創業社長 日華貿易 社長 太平住宅 創業社長 太平火災 創業社長 太平ビルサービス 創業社長 太平音響 創業社長 太平出版社 創業社長 タイヘイフィルム 創業社長 大阪商業大学教授 |
画像外部リンク | |
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公式写真 | |
person_1_77.jpg - 関西大学公式サイト |
中山 幸市(なかやま こういち、1900年12月5日 - 1968年10月27日)は、日本の実業家・教育者。太平住宅株式会社創業社長で、太平音響株式会社(のちのミノルフォン、現在の徳間ジャパンコミュニケーションズ)ほか10数社の「太平グループ」代表として知られる。