髙田明 たかた あきら

商業

掲載時肩書ジャパネットたかた創業者
掲載期間2018/04/01〜2018/04/30
出身地長崎県
生年月日1948/11/03
掲載回数29 回
執筆時年齢69 歳
最終学歴
大阪経済大学
学歴その他猶興館
入社阪村機械
配偶者5歳下見染
主な仕事欧州赴任、カメラ販売、ラジオで販売、メディア戦略、長崎>岡山>中四国>東北・北海道>ラジオ日本>テレビ(全国)、ファーレン長崎J1昇格(全国)
恩師・恩人久米田眞志
人脈平松聖悟、恒見コウヘイ、中倉玄喜、山口功、
備考家業:写真舘、メディア販売の先駆者
論評

1948年11月3日 – )は長崎県生まれ。日本の実業家。ジャパネットたかたの創業者で、同社が制作するテレビ・ラジオショッピング番組のMCとして知られた。2015年1月16日まではジャパネットたかた初代代表取締役社長、2017年4月25日から2020年1月1日までは、V・ファーレン長崎代表取締役社長を務めた。氏によって、ラジオやテレビを通じて物品を販売するメディア戦略の凄さを思い知らされた。大手の百貨店、スーパー、コンビニなどの小売業は250年~40年以上の歴史を持ち、信用と実績を重ねてきて今日がある。ところが、氏はラジオ・テレビのメディアに目を付け、商品販売で九州の佐世保から1990年にラジオから始めて、わずか16年後の2006年には売上1000億円の大台を突破させている。そして10年には1759億円、17年には2000億円になっているようだから、この成長スピードとイメージの伝播力の凄さに目を見張る思いがした。

1.通販の原点
私が独立した翌年1987(昭和62)年からラジオを店の宣伝に使い始めた。「スキッピー」というお買い得情報を伝えるNBC長崎放送の巡回ラジオカーが佐世保の店までよく来た。「こんにちは!スキッピーです。今日は佐世保市三川内のカメラ店たかたに来ています」。女性リポーターの言葉で生放送が始まる。テレビ局の60万円と違って10万~15万円程度の出店料で5分間喋らせてくれた。
 私が通信販売に出会ったのは1990(平成2)年、41歳の時だった。長崎県内の時計、カメラ、かばんなど10社が協賛し、1社5~6分の時間枠をくれる。この番組に出演した私は、出たばかりの10万円のワードプロセッサーを紹介したが、3台しか売れなかった。粗利が2割としても儲けは6万円にしかならない。テレビ局に払う出店料が60万円だから完全な赤字だが、年2回程度の出店だったので、「店の宣伝費と思えば安いものだ」と割り切っていた。

2.通販で1万円の壁を破る
店頭で買えるものを、しかも実物が見えないラジオで、消費者が買うはずがない。「通販では1万円以上の商品は売れない」と言う当時の常識を私は覆したのだった。それは、NBC長崎放送のラジオショッピング番組で富士フィルムのカメラ「カルディア」をズーム機能、使いやすさなどを説明し19800円というお買い得感のある値段をアピールした。すると放送が終わると立て続けに電話がかかり、1年分に相当する50台(約100万円)の注文がとれた。この時に「ラジオの力はすごかね」と感心し、この取り組みに自信を深めた。そして長崎から岡山、中国・四国、東北・北海道、そして東京のラジオ日本に進出して全国ネット構築に成功した。

3.テレビショッピングに進出
このラジオの全国ネットが一段落した後、テレビショッピングに進出する。テレビ長崎を皮切りにラジオと同じルートのテレビ局にお願いし、初年度の94年に42局、95年に85局に増えたが全国区のキー局は難しかった。しかし、95年末にテレビ東京が午前10時台の通常番組で2分の短い番組を流してくれるようになった。そしてついに97年3月、30分の深夜枠が取れ、流したところ、終了後わずか30分で5000万円の売上になった。宣伝したのはパソコンやテレビ、マッサージチエアなどだったが、やっぱり全国区キー局のパワーは違うと実感。そして「まだまだやれる」と確信した。そして時代の変化が激しくなるにつれ、新しくニーズのある商品紹介の番組制作をスピードあげて作る必要を感じ、自前のスタジオ建設(佐世保&東京・六本木)を行なったのだった。
 それにしても、氏のネット通販の目の付け所、実行力、突進力、バイタリティには今までの登場人物にはない魅力を感じた。

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