高碕達之助 たかさき たつのすけ

行政・司法

掲載時肩書経済企画庁長官
掲載期間1956/12/11〜1956/12/21
出身地大阪府高槻
生年月日1885/02/07
掲載回数11 回
執筆時年齢71 歳
最終学歴
東京海洋大学
学歴その他府立4中
入社東洋水産
配偶者
主な仕事東洋製罐、建設相、通産相、満州工総裁、佐久間ダム 経企庁長官
恩師浜田真名治
人脈ハーバート・フーバー、 鮎川義介、小林一三
備考
高碕 達之助
たかさき たつのすけ
Tatsunosuke Takasaki.jpg
生年月日 1885年[1]2月7日
出生地 大阪府高槻市
没年月日 (1964-02-24) 1964年2月24日(79歳没)[1]
出身校 農商務省水産講習所
前職 電源開発総裁
所属政党 自由民主党
称号 正三位勲一等旭日大綬章
配偶者 高碕いと

内閣 第2次岸内閣
在任期間 1959年1月12日 - 1959年6月18日

内閣 第2次岸内閣
在任期間 1958年6月12日 - 1959年6月18日

内閣 第2次鳩山一郎内閣
第3次鳩山一郎内閣
在任期間 1955年7月20日 - 1956年12月23日

内閣 第1次鳩山一郎内閣
第2次鳩山一郎内閣
在任期間 1954年12月10日 - 1955年7月20日

選挙区 大阪3区
当選回数 4回
在任期間 1955年2月28日 - 1964年2月24日
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高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年[1]2月7日[2] - 1964年2月24日[1])は、日本政治家実業家満州重工業開発株式会社副総裁・第2代総裁電源開発初代総裁、通商産業大臣、初代経済企画庁長官などを歴任した。

大阪府高槻市で生まれる[1]旧制茨木中学を卒業後[1]農商務省水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)に入所[1]。その後、メキシコ万博漁業に入社し、水産技師として勤務[1]。1917年、東洋製罐を創立[1]1938年、東洋製罐専修学校(後の東洋食品工業短期大学)を設立[1]1942年満州重工業開発総裁に就任[1]。1947年公職追放、1951年同解除[1]1952年電源開発総裁に就任[1]佐久間ダム建設などを成功に導いた他、御母衣ダム建設において「荘川桜」移植事業を発案、推進した事でも知られる。

1954年8月に電発総裁を退いた後、12月に鳩山一郎内閣で経済審議庁長官に就任。翌1955年、旧大阪3区から衆議院議員に初当選。以後連続当選4回。同年経済審議庁廃止に伴い、初代経済企画庁長官に就任。1958年岸信介内閣でも通商産業大臣・経済企画庁長官・科学技術庁長官を兼任して入閣。1962年中華人民共和国を訪問。廖承志との間で日中総合貿易(LT貿易)に関する覚え書きに調印した。

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 島津淳子「清廉経営を実践した水産講習所出身の企業家―高碕達之助と中島董一郎―(日本の企業家活動シリーズNo.49) 」2011年 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター
  2. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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