掲載時肩書 | レンゴー社長 |
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掲載期間 | 1998/11/01〜1998/11/30 |
出身地 | 愛知県 |
生年月日 | 1924/04/15 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 74 歳 |
最終学歴 | 学習院大学 |
学歴その他 | 海兵 江田島 |
入社 | レンゴー |
配偶者 | 船場 とうさん(長女) |
主な仕事 | 神戸一中、特攻隊、10数年教師、中国、海外技術提携、欧米視察、アジア合弁事業、日墺協会 |
恩師・恩人 | 石坂泰三 |
人脈 | 井上貞次郎(伯父)、石坂泰三(社外役員)、オットー大公、メーテルニヒ公爵、岩城宏之、井植敏 |
備考 | 特攻隊で九死に一生 |
大正13年(1924)4月15日~平成16年(2004)愛知県生まれ。昭和27年(1952)学習院大卒、聯合紙器(現:レンゴー)入社。同59年(1984)社長。平成7年(1995)会長。レンゴーの創業者・井上貞治郎は父の兄。海軍兵学校への入学、訓練、出撃、救助され治療、その後に米国戦闘報告書、日本の防衛庁の戦闘記録や戦闘行動調書などを詳細に調べて10回に亘り記述してくれている。
1.江田島の海軍兵学校
ここに昭和16年〈1941〉12月1日入校した。1週間後、太平洋戦争に突入したが、開戦の朝、校長の草鹿任一中将は「諸君は冷静に勉学に励み、生徒の本文を果たすように。終わり」。余計なことは言わなかった。
入校しての第一印象は、非常に忙しいの一語に尽きる。起床は冬は6時、夏は5時ごろ。急いでベッドを片付け、顔を洗って手洗いに行って、15分後に運動場に整列、朝礼の後、体操をする。ともかく行動はすべて秒刻み。慣れるまでは落ち着かないこと、このうえない。
朝食後、午前中と午後3時までは普通学。つまり歴史や英語、物理、化学など一般の当時の旧制高校と同じような授業を受け、その後、剣道、柔道、体操、ボート、水泳などの体育がある。夜は自習室で勉強する。2学年からは普通学以外の航海術や戦史、砲術などの専門的な軍事の授業が入り、次第に増えていった。
海兵は明治時代初期に開校以来、礼儀作法や考え方など、すべて英国風だった。当時の日本の社会ではあまり使われなかったと思うが「ジェントルマンシップを守れ」とよく言われた。参考館(海軍歴史保存館)に入ると、正面には東郷元帥の遺髪とともに19世紀初め、トラファルガー海戦を勝ち抜いて英国を救ったネルソン提督の遺髪も置かれていた。英国と戦争に入ってからもそのままだった。
2.伯父・井上貞治郎
昭和35年〈1960〉に企画室長、その後、秘書室長になった。井上貞治郎社長の「私の履歴書」が昭和34年6―7月に掲載され、反響を呼んだ。井上社長は明治時代半ば、神戸に奉公に出てから国内外で仕事を転々と変え、日本初の段ボール事業を始めた。その苦労話の面白さに着目、大阪の朝日放送がドラマにしたいと申し入れてきた。テレビドラマ「流転」は人気を博し、ドラマはその後、舞台化されたり、映画にもなった。社長に原稿執筆や講演依頼、ラジオやテレビの出演依頼が増え、私も窓口の係として大忙しだった。
私の発案で会社のイメージを高めるため、35年秋、日経に6回全面広告を掲載した。まだ商品の広告が主で企業広告は珍しく、評判を呼んだ。
3.段ボール業界は「札付き」の異名
公正取引委員会にとって、段ボール業界は「札付き」だったに違いない。昭和40年(1965)代から50年代にかけて、協調値上げ、つまり価格談合をやめるよう勧告を何度も受けた。特に、石油ショック後の不況に襲われた50年代には、ヤミカルテルの疑いで公取委の立ち入り調査が入ったことが何回かある。
段ボール業界は企業数が300社程度あり、大変に数が多い。板紙を張り合わせる機械(コルゲーター)を持たず、コルゲーターで生産した段ボールシートを買ってきて包装用の箱に加工する製函業者は全国で3千社とも言われる。それだけに競争が激しい。昭和57年〈1982〉には業界86社で合計7億7千万円強の課徴金納付命令を受けたこともある。(製函業者は関係していない)
59年〈1984〉6月、加藤礼次社長から社長を引き継いだ。転機は忘れもしない62年〈1987〉9月、外債発行の仕事でスイス・チューリッヒに滞在していた時だ。本社から電話が入り、「東海地区で公取委の立ち入り調査があった」と連絡を受けた。「こんな恥ずかしいことは体を張ってでもやめよう。レンゴーが、そして私がやらねば改善できるわけがない」と固く誓った。「市場競争原理と自己責任」を前面に押し出した。
社内でも営業部門を中心に「それができれば苦労はない」と冷ややかな空気があった。私はあくまで方針を貫き、「一時期受注が落ちても気にするな」と姿勢を変えなかった。業界を説得するには2,3年かかった。レンゴーのシエアは一時落ちたが、今はブランド力が見直され回復しつつある。