掲載時肩書 | セブン&アイホールディング会長 |
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掲載期間 | 2007/04/01〜2007/04/30 |
出身地 | 長野県 |
生年月日 | 1932/12/01 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 75 歳 |
最終学歴 | 中央大学 |
学歴その他 | |
入社 | トーハン |
配偶者 | 見合2歳下 |
主な仕事 | 出版科学研(調査・心理)、イトーヨーカ、 7-11、小口配送、ドミナント、共同配送、POS、単品管理、IY銀、セブンアイH |
恩師・恩人 | 伊藤雅俊 |
人脈 | 有名作家・女優(トーハン)、井出一太郎、 中川一郎、関本忠弘、孫正義 |
備考 | 心理学と統計学を勉強 |
1932年(昭和7年)12月1日 – )は長野県生まれ。会社経営者で実業家である。株式会社セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長、経済団体連合会副会長、日本フランチャイズチェーン協会会長、日本チェーンストア協会会長、学校法人中央大学理事長などを歴任。グループの国内店舗約2万店、売り上げ10兆円強の国内屈指の小売企業に育て上げ、カリスマ経営者として「小売の神様」とまで呼ばれた。
1.統計と心理学を猛勉強
1956年4月に東京出版販売(現トーハン)入社したが、6か月後、出版科学研究所への辞令が下りた。東販が出版業界の近代化を図るために設立したばかりの調査研究機関だ。当時の出版業界には統計がほとんどなかった。どの分野の出版物がどのくらい出ていて、どんな読者がどう受け止め、どのような出版物を求めているか、データを収集分析する。ゼロから始める仕事だ。
第一歩を踏み出した私は、ここで経営における二つの重要な視点を体得することになる。統計学と心理学だった。昼間は経営者にインタビューし、結果を統計処理してリポートにまとめる。夜は慶応大や立教大の先生を招き、統計学と心理学の講義を受ける。
データの納得性を高めるには科学的に調査する必要があり、統計学を懸命に習得した。客観的なインタビューを行うには、誘導により回答者が心理的な影響を受けないよう質問の仕方が重要で、心理学の知識も不可欠だった。統計学と心理学は仕事で使いこなせるようになるまで、本当に猛勉強の毎日だった。
データをつくる側を経験したことで、世間に出回るデータを見ても必ず鵜呑みにしない目が鍛えられ、チョッとしたデータの変化にも突っ込んで考える習性を身に着けた。後に私の経営は「データ主義」と評されるが、その基礎はこの時代に培われた。
2.セブンーイレブンと提携
1971年(昭和46)に39歳で取締役に就任したが、1960年代後半から、スーパーは新規出店のたびに地元商店街から強い拒否反応を示されるようになっていた。「大型店と中小小売店は共存共栄できる」考えで、店舗開発を考えていたが、その一つがセブンイレブンとの提携だった。
1972年6月に使節団が来日したが、提示されたのは受け入れがたい条件ばかりだった。事業は合弁。出店地域は東日本のみ。8年間で2千店出店すること。ロイヤルティーは売上高の1%厳守。相手は世界最大のコンビニチエーン、こちらは日本の小売業界で15位の中堅。格が違うがこれでは手かせ足かせだ。最終交渉で私はすべてに「ノー」を叩きつけた。
粘りに粘りの交渉で、合弁はヨーカ堂の独自子会社へ、出店地域は日本全域へ、出店数は8年間で1200店へと何とかこちらの案を認めてもらった。だが最後までもめたのがロイヤルティ-の率だ。サウスランド社側は米国内と同一の1%を譲らない。私は日米ではビジネス環境、インフラコストなどが異なるため、0・5%を主張し、大きな隔たりがあった。しかし結局、相手側が大幅に譲歩し、0・6%で妥結した。
3.銀行業に参入
1999年(平成11)11月、ソフトバンクの孫正義社長から、「日債銀の買収に参加しませんか」の提案があった。当時私はセブンーイレブン店舗へATM(現金自動預け払い機)を設置するATM共同運営会社構想を進めるか、既存銀行を買収するか、決断を迫られていた。87年にセブンーイレブンが始めた公共料金などの収納代行サービスは、利便性の良さから取扱額がどんどん伸びていた。店舗にATMがあれば利便性は格段に高まる。いろいろ検討した結果、最終的には独自に銀行免許を取得することにした。
新設する銀行のトップに、元日本銀行理事で一時国有化された旧日本長期信用銀行(現新生銀行)の頭取を務めた安斎隆さんにお願いし、2001年4月、アイワイバンク銀行(現セブン銀行)を設立、5月7日、開業にこぎつける。最初はやや伸び悩んだが、ATMの設置台数が一定レベルに達したころから利用件数が急速に増え、採算ラインを突破。ネット銀行など新設4銀行の中で唯一、金融庁が課した「3年以内の黒字化」を達成した。
すずき としふみ 鈴木 敏文 | |
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生誕 | 1932年12月1日(92歳) 日本 長野県埴科郡坂城町 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 中央大学経済学部 |
職業 | 実業家 |
子供 | 鈴木康弘(二男) |
受賞 | 勲一等瑞宝章 藍綬褒章 紺綬褒章 中央大学名誉博士 食料産業特別貢献大賞[1] |
鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の実業家。勲等は勲一等瑞宝章。セブン&アイ・ホールディングス会長兼最高経営責任者(名誉顧問)、イトーヨーカ堂会長、経済団体連合会副会長、日本フランチャイズチェーン協会会長、日本チェーンストア協会会長、学校法人中央大学理事長、中央大学評議員会副議長などを歴任。「コンビニの父」と称される。
元セブン&アイ・ホールディングス最高情報責任者(CIO)の鈴木康弘は二男。