鈴木幸一 すずきこういち

情報・通信

掲載時肩書IIJ会長
掲載期間2019/10/01〜2019/10/31
出身地神奈川県
生年月日1946/09/03
掲載回数30 回
執筆時年齢73 歳
最終学歴
早稲田大学
学歴その他
入社日本能率協会
配偶者
主な仕事10年後コンサル、IIJ設立、ネット証券、ナスダックIPO,CWC発足、5年後破綻、財務事務次官勝を招聘
恩師
人脈入交昭廣、村井純、深瀬弘恭、松本大、出井伸之、勝栄二郎、小澤征爾
備考国際音楽祭
論評

氏はインターネット企業を日本で立ち上げた最初の人物であった。「最初の」と書いたのは、NTT、KDDI、ソフトバンクも電話関連企業として出発しているからだ。氏は1992年、46歳の時に「日本初の商用インターネット接続会社(IIJ)」を創業した。創業時の困難さは、資金不足とインターネットに対する世間の無理解だった。監督官庁の郵政省や文部省、NTT,KDDI、そして大企業の情報部門が「いかがわしい技術」とみなし、視線が冷ややかだった。特に郵政省はネット接続企業(特別第2種電気通信事業者)の登録条件として、「通信は公益事業で、倒産は許されない。当初の計画通り設備投資をし、その上3年間1件も契約が取れないと仮定しても、会社が潰れないという財務基盤を示せ」と厳しいものだった。この条件ではベンチャー企業は進出をストップされているのと同じだ。度重なる交渉の結果、「最低3億円の銀行保証の形でも良い」に合意をこぎつけ、住友、富士、三和の3銀行から各1億円の融資保証を貰い、やっと1994年に本格的スタートとなった。しかし、この1年数か月を浪費した間に、米国や世界は一段とIT技術は進み、日本は離されていた。

その技術は、今では人類にとって一番重要なメディアともいえる「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」の登場だった。これを一般に普及させるカギとなった閲覧ソフト(ブラウザー)や米ヤフーの検索エンジンなど、ネットを巡る戦略的な技術が次々と登場し、その中からデファクト・スタンダード(事実上の標準)が生まれた時期であったから。ここで開いた差は、簡単には取り戻せなかった。IIJがこの大切な次期に傍観者として過ごさざるを得なかったのは、日本にとっても大きな損失だったと悔やんでいる。しかし、本格的接続サービスを始めることで、伊藤忠商事、住友商事、大企業からも予想以上の注文が取れるようになり資金面でも楽になったという。

それにしてもインターネット接続サービスがいちばん世に広まったのは、翌年の1995年だった。この年1月17日に阪神大震災が、3月20日に地下鉄サリン事件の2つの発生だった。拡がり理由は、震災・災害のような非常時につきものなのが、電話の輻輳だ。交通でいえば道路の容量よりはるかに多くの車が押し寄せる大渋滞のようなもので、被災地宛ての電話が殺到し、通信の容量を超えてしまう。しかし、インターネットは情報が途切れることがなく交信ができたからだ。そこで、被災者の安否などを自由に書き込めるサイトをネット上に開設し、報道機関などにも「時々刻々の被災情報をこのサイトで共有してほしい」と呼びかけた。最初に朝日放送と毎日放送が、次いでNHKの協力も得て、情報を発信し続けることができた。現地の人から寄せられた生々しい写真やメッセージもリアルタイムで載せた。「個人が世界に情報を発信できる新しいメディア」としてインターネットの可能性を多くの人が実感したからだったと述懐していた。

鈴木 幸一(すずき こういち、1946年9月3日 - )は、日本の実業家IIJ代表取締役会長。日本における商用インターネットサービスの先駆者。毎春、東京・上野で開催されるクラシック音楽祭「東京・春・音楽祭」の実行委員長を長年務めている。

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