掲載時肩書 | オービック会長兼社長 |
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掲載期間 | 2010/06/01〜2010/06/30 |
出身地 | 奈良県 |
生年月日 | 1938/08/24 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 71 歳 |
最終学歴 | 関西大学 |
学歴その他 | |
入社 | 近鉄百貨店 |
配偶者 | 職場結 婚4歳上 |
主な仕事 | 東京オフィスマシン、独立(会計機レンタル)、三菱電機特約店、問題解決型営業、リース制、OBIC,米国支店、アメフト |
恩師・恩人 | 陣内英夫、船岡興三郎 |
人脈 | 堀内忠雄、木村博、進藤貞和、神山陽子、相浦明、青木功 |
備考 | 夫婦二人三脚経営 |
1938年- )は奈良県生まれ。実業家。1968年、妻とともに大阪ビジネスカンパニー(のちのオービック)を設立。。オービック代表取締役会長。2022年のフォーブス長者番付で世界851位、日本10位。日本中央競馬会 (JRA) の馬主でもある。2002年より個人名義の競走馬の所有権を、自身の資産管理会社である株式会社ダノックスへ移し、以降は会社名義で活動。
1.念願の初受注
東京オフィスマシン大阪営業所の陣内英夫所長は、新入社員の私と松尾君に言った。「当社の会計機は高いと思われるかもしれないが、導入すれば従業員が2,3人浮く。短期間で事務合理化の効果が出る。それだけを何遍でも言ってくれ」と。それ以後、朝からオフィス街を回って飛び込み営業をする。
だがどこでも返事は決まっていた。「うちは、そんな会計機なんちゅう機械を入れるような会社やないで。手作業で間に合うてる」。押し売りを断わるような表情だ。1日30社回っても話を聞いてくれるのは1社か2社。当時の大阪の中小零細企業はタイプライターや手回し計算機さえないところがほとんどで、すべて帳簿で済んでいた時代だった。毎日毎日、判で押したような空振りの繰り返しで月日は過ぎた。
翌年2月になると大阪港近くの展示場で「大阪ビジネスショー」が開かれ、高知県宿毛市会計課の男性が「この機械は徴税業務に使えますか」と聞いてきた。「徴税関係専用のプログラムもあります。機械を持って伺います」で訪問することになった。ところが四国山脈に分け入り、デコボコの山道を小さなライトバンで走り続けて宿毛市に到着すると、機械が正常に動かない。やがて約束の時間が来た。
「今は機械が不調でプログラム通りではありませんが、正常に動けば間違いなく徴税業務の合理化と誤記の解消に繋がります」と汗だくで説明した。これを熱心に聞いていた当時の黒石義治市長は「新しい機械を会計課に注文するよう指示しておきましょう」と言ってくれ、私は市長の温情ある言葉に目頭を熱くした。
2.会計機レンタルでひらめき
昭和42年(1967)、29歳で独立してとりあえず始めたのが会計機用の帳簿、伝票類の納入。会計機は機種とプログラムによって印刷用紙の仕様が異なっている。会計機ごとに伝票用紙を設計し、印刷業者に刷らせて納入するのは会計機販売会社のサービスだった。しかし利益にならないのに手間ばかりかかるから販売会社にとっては、出来ればやりたくない仕事だ。そこでこの分野を業務にしたら成り立つのではないかと思った。いろいろ考えているうちに「これや」と思うひらめきがあった。
いままで自分たちが大手企業に売り込んだ会計機の多くが新型機種への買い替えやオフコンの導入で不要になり、倉庫で眠っている。それを安く引き取って来て整備し、中小企業に低料金で貸し出すのはどうだろう。大手企業にとっては処理に困っていたものがお金をもらって片付き、資金がない中小企業は安い料金で会計機が安い料金で使える。会計機も生き返るから「三方一両得」になる。この商売なら失敗はしないだろう。そう考えただけで、ブルブルッと体が震えた。
3.会計機を売る5つのポイント
会計機を売る場合は「事務の合理化」、つまり人員削減効果がうたい文句だった。これを明確化すると、
(1) コンピュータは在庫管理、粗利計算、商品回転率、与信管理と経営に直結する事項まで処理できる。つまり「経営の合理化」にいかにコンピュータが役立つかを理解してもらうことが重要になる。
(2) 顧客の「買っても使いこなせるのか」という不安を解消すること。「我が社からコンピュータを購入していただければ、専門知識を持った社員を派遣し納得いくまで指導いたします」と言って安心してもらう。
(3) 納入後の故障や不具合に対する保証も欠かせない。保守・点検・修理をしっかりやることで顧客が満足してくれることを会計機ビジネスで学んだ。
(4) 先方の業種や業態、業務の内容がわかっていないと、営業が的外れになる。①経営者にはコンピュータが描ける解決法を例示し、②現場には「コンピュータで経営の合理化が進むと現場はこんなに変化します」と目に見える形でイメージを説明する必要がある。
(5) 最後は「実感」してもらうことだ。事務所に実機を据え、いつでも見られるようにする。既にコンピュータを導入した企業にお願いして見学会を開き、ユーザーの本音を直接聞いてもらおう。
4.コンピュータのハード販売からソフト開発へ
ひとくちに会計といっても、積み上がってくる数字は人間が稼ぎ、支払い、借り、貸したものだ。企業活動も人の営みである以上、切れば血が出る性質を持っている。
それを足したり引いたりして利益がいくら、損失がいくらとはじくのはもちろん重要だが、本当の会計システムは、在庫状況、支払い状況などを含め、経営判断の材料を幾重にも提供するものでなくてはならない。今でいう「管理会計」の理念が私の中で芽生え、形になっていった。
友人の財務実態把握の未熟による自殺事件を機に、ハードの販売からソフトの開発へと会社の舵を大きく切った。手始めに1955年8月、自社ブランドのオフコン「OFFICE80」を開発した。これは業種別の会計ソフトを搭載した専用機だった。同年12月、オービックビジネスコンサルタント設立、56年9月、オービックビジネスソリューション設立。57年8月オービックシステムエンジニアリング設立。3年続けてソフト分野に子会社をつくっていった。
今日、我が社が開発して売っているビジネスソフトは、どんな業種向けであろうとも、必ず中心に会計ソフトが組み込まれている。
のだ まさひろ 野田 順弘 | |
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第91回東京優駿(日本ダービー)表彰式 (2024年5月26日) | |
生誕 | 1938年8月24日(86歳)[1] 日本 奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)[2][3] |
出身校 | 奈良県立榛原高等学校 関西大学経済学部 [3] |
職業 | |
純資産 | 35億ドル(2022年4月) |
肩書き |
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配偶者 | 野田 みづき |
野田 順弘(のだ まさひろ、1938年8月24日[1] - )は日本の実業家、馬主。
オービック代表取締役会長[4]。2022年のフォーブス長者番付で世界851位、日本10位。保有資産額は2022年4月時点で、35億米ドル(約4,520億円)[5][6]。妻は[7][8]、オービック取締役相談役の[4]野田みづき。
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