掲載時肩書 | バイオリニスト |
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掲載期間 | 1988/04/01〜1988/04/30 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1926/03/16 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 62 歳 |
最終学歴 | 高等学校 |
学歴その他 | 相愛女学園 |
入社 | |
配偶者 | 9歳下 |
主な仕事 | 父:宝塚コン・マスター、家庭教師、曲目箱、ガダニーニ、ストラディバリウス(285歳) |
恩師・恩人 | 山田耕筰、小谷正一 |
人脈 | 絶対音感、9歳・陸(爆・戦・偵)、海(音波、位置・距離)、レオ・シロタ、三浦環、ローゼン・シュトック、甘粕正彦、朝比奈隆、オイストラフ、 |
備考 | 父が教師 |
氏は‘21年7月13日に95歳で亡くなった。この「私の履歴書」に登場は1988年4月の62歳のときでした。氏の「私の履歴書」で、もっとも印象深かったのは、絶対音感の持ち主と評判が立った9歳の時に、陸軍の呼び出しを受け、基地に行ってみると、上空を飛んでいる戦闘機や爆撃機、偵察機などの機種を、爆音によって識別せよと言われた。そして、その型式まで聴き分けろ、とも。しかし、彼女にとっては、爆音の違いはすぐ分かる。これは何、この音はあれ、と機種と型式を覚えこんだら、後は百発百中だった」と書いていた。へぇーと思ったものでした。
氏は、―私のことを”天才少女“と言う人に会うたびに、父は言い返してきた。「生まれながらの天才なんていない。60%の才能があれば後は努力の積み重ね。久子はそれをやっただけや」と。私が現在まで長続きしているのも極めて健康に恵まれたからだ。若くして病死した母・里津が、その余命を私に授けて言ってくれたのだろうと、しみじみ思うことがある。ただ、私が一番恐れているのは、深夜の一人稽古に耐えられなくなり、今の勉強時間が半分になっても弾けるという、怠け心を退けられなくなった時のこと。その時がバイオリンを置く日になるのだろうーと書いていた。
おつかれさまでした。ごゆっくり、お休みください。
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辻 久子 | |
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『アサヒグラフ』 1951年9月19日号表紙 | |
基本情報 | |
生誕 | 1926年3月16日 |
出身地 | ![]() |
死没 | 2021年7月13日(95歳没)![]() |
学歴 | 相愛高等女学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子[1]、1926年3月16日 - 2021年7月13日)は、日本のヴァイオリニストである。大阪芸術大学名誉教授。辻久子弦楽塾塾長。