西尾末広 にしお すえひろ

政治

掲載時肩書社会党顧問
掲載期間1956/06/29〜1956/07/10
出身地香川県
生年月日1891/03/24
掲載回数12 回
執筆時年齢65 歳
最終学歴
小学校
学歴その他
入社旋盤見習工
配偶者19歳で16歳と結婚
主な仕事島田鉄工所、砲兵工廠、住友金属、友愛会→労働党同盟、スト代表、ストの歴史、社民党、片山内閣、芦田内閣入閣
恩師・恩人尾崎行雄(私の除名反対)
人脈賀川豊彦、荒畑寒村、河上丈太郎、砂田重政、中野正剛、安部磯雄、松本治一郎
備考代々庄屋:父51、母48の末子
論評

1891年(明治24年)3月28日 – 1981年(昭和56年)10月3日)は香川県生まれ。労働運動家政治家1965年(昭和40年)の日韓国会では、自民党と共に基本条約を強行採決するという荒業を見せた。1966年(昭和41年)、社会党に「民社党は第2保守党だ」と批判されると、西村栄一書記長に「社会党は第2共産党だ」と反論させた。1967年(昭和42年)、西尾は委員長を退任し常任顧問に就任し、西村書記長を後任に指名した(翌々年1969年<昭和42>11月民社党に名称変更)。西村、春日一幸佐々木良作ら各委員長の下で常任顧問として健在した。副総理内閣官房長官第2代)、衆議院議員(通算14期)、(民社党の前身)民主社会党委員長(初代)などを歴任した。

1.国会議員になるとタライに乗せられた

昭和3年(1928)、普通選挙法による最初の衆院選挙があったが、この時、無産党から8名の当選者を出した。社民党から安部磯雄、鈴木文治、亀井喜一郎と私の4人、労農党から水谷長三郎と山本寛治、日労党から河上丈太郎、九州民憲党から浅原健三である。私は大阪三区から立候補し、当選したのだが、応援した労組員は非常に喜んで、天下のご意見番だと私をタライに乗せて大阪市中を練り歩いた。

2.アカだと除名される(尾崎行雄氏が弁護してくれたが)

昭和7年(1932)には社会民主党と全国大衆党が合同して社会大衆党が結成せられ、林銑十郎内閣の食い逃げ選挙には社大党は全国で37名を当選させ、最高点19名を出した。近衛内閣が発足した際、私が近衛首相に「共産主義の政治をやれと強要した」との言いがかりをつけられて、私は小山議長の宣言で懲罰委員会に付され、ついで本会議にかけられた。

私は弁明を許されて演壇に立ち、「私は共産主義反対を身をもって実践してきたのである。共産主義が日本で最初に魔の手を伸ばしてきたのは総同盟であり、私はその赤化工作と血みどろの闘争をやってきた。私は功労者である。しかも労働階級の裏切り者、ダラ幹と叩かれながら、戦い抜いてきたのである」といって議場を出た。その後、尾崎行雄氏が立って私の除名に反対し「かかる不当な除名は議員自ら言論を抑制し、立憲政治を破壊するものである」と叫び、「西尾を除名するならまず尾崎を除名せよ」と絶叫されたそうである。結局、尾崎氏の反対発言は聞き流しされて本会議は私の除名を決定した。

3.党除名から落選へ

昭和22年(1947)に片山内閣が退陣すると、私はいろいろ辞退したが入閣することになった。私の役割は、芦田総理を助けて閣内をまとめることと、苫米地官房長官を助けて、官公労の労働攻勢の矢面に立つことだった。片山内閣時代にしろ、芦田内閣時代にしろ、労働攻勢に消極的だった。勢い、私は矢面に立たせられ強い態度をとらざるを得なくなった。

このようにまたまた損な役ばかりをやっているとき、まず降りかかってきた災難は政令違反事件である。衆院選の不当財産取引委員会から呼び出されて、土建業者から50万円の政治献金を受け取りながら何故届け出ないのだと追及され、政令違反で起訴された。証言に立った私は「党に献金したものなら当然届け出るが、書記長である西尾個人の資格で貰ったから届けなかったのだ」と言って”書記長個人“の話題をまいた。これは一審、二審、高裁でも無罪となったが私は国務大臣を辞職し、野に下った。

すると間もなく22年10月の朝、昭電事件に関係ありとして検挙された。私の第二の災難である。この昭電事件が原因で私は社会党から除名され、総同盟からも除名されてしまった。24年の総選挙にはこれらのことがたたって落選した。これらの3つの災難に遭ったが、私は俯仰(ふぎょう)天地に恥じることがないので意気軒昂として生活動を続けてきたのである。

西尾 末広
にしお すえひろ
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生年月日 1891年3月28日
出生地 日本の旗 日本香川県香川郡雌雄島村女木島(現高松市
没年月日 (1981-10-03) 1981年10月3日(90歳没)
死没地 日本の旗 日本神奈川県川崎市中原区
出身校 柴山高等小学校卒業
前職 衆議院議員
所属政党社会民衆党→)
社会大衆党→)
(無所属→)
翼賛政治会→)
(無所属→)
日本社会党→)
社会党右派→)
(日本社会党→)
民主社会党→)
民社党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
勲一等瑞宝章
配偶者 西尾 フサノ

内閣 芦田内閣
在任期間 1948年3月10日 - 1948年7月6日

内閣 片山内閣
在任期間 1947年6月1日 - 1948年3月10日

日本の旗 衆議院議員(7-14期)
選挙区 大阪府第2区
当選回数 8回
在任期間 1952年10月2日 - 1972年11月13日

日本の旗 衆議院議員(5-6期)
選挙区大阪府第1区→)
大阪府第2区
当選回数 2回
在任期間 1946年4月11日 - 1948年12月23日

日本の旗 衆議院議員(4期)
選挙区 大阪府第4区
当選回数 1回
在任期間 1939年6月13日 - 1945年12月18日

その他の職歴
日本の旗 衆議院議員(3期)
1937年5月1日 - 1938年3月23日
日本の旗 衆議院議員(1-2期)
1928年2月21日 - 1932年1月21日
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西尾末広

西尾 末広(にしお すえひろ、1891年明治24年)3月28日 - 1981年昭和56年)10月3日)は、日本労働運動家政治家

副総理内閣官房長官第2代)、衆議院議員(通算14期)、民主社会党(民社党の前身)委員長(初代)などを歴任した。

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