藤沢秀行 ふじさわ ひでゆき

囲碁将棋

掲載時肩書囲碁王座
掲載期間1993/02/01〜1993/02/28
出身地神奈川県
生年月日1925/06/19
掲載回数27 回
執筆時年齢68 歳
最終学歴
小学校
学歴その他
入社6歳で日本棋院
配偶者見合い
主な仕事6歳・瀬越憲作九段、12歳・皇軍慰問団に、参禅、囲碁教室、解説書印税で家、名人戦創設、博才(競輪:借金王)、がん2度、書個展、秀行塾、
恩師福田正義
人脈藤沢朋斎(甥)、頭山満翁、正力松太郎、稲葉修、河野一郎、江田三郎、柳田泰雲
備考父:事業 家・棋士
論評

とにかく破天荒な人物だなぁとの第一印象でした。「囲碁は芸」と初日の書き出しから少し変わっていた。「囲碁や将棋のプロは、よく「勝負師」と呼ばれる。そう表現することによって、勝負の世界に生きる厳しさを強調したいのかもしれない。私は50年以上も囲碁で飯を食ってきたが、「勝負師」と呼ばれるのは好きではない。私は、碁は芸である、と考える。芸を磨くことがプロの務めである、と思っている。勝ち負けは結果に過ぎない。芸が未熟なら負ける。相手より芸が勝っていれば勝つ。ただ、それだけの話である」と先制パンチを受けた。

博才の持ち主(借金王となる)
小さい時からギャンブルが好きでビー玉やメンコなど一人勝ちしていたが、小学生から日本棋院の院生になっても「受け将棋」のギャンブルでも先輩たちからたいてい一人勝ちして小遣い稼ぎをしていたと書く。そして12歳で「皇軍慰問団」の一員に選ばれた時も、初めてのポーカー、ブラックジャックでも一人勝ちして200円以上せしめた。当時の高給取りが月給200円で、慰問団の小遣いは一人5円と限られていたから、ほとんど人は巻き上げられたことになる。この博才が競輪に移り、ドカンと一点買いのスリルに味を占める。当たればもうかった分を、次のレースにつぎ込む。最終レースには、あり金全部を投入する。あるとき9レースに20万円投じると、60万円に増えた。最終レースはその全額を一点買いに投じた。これがピタリときて420万円となった(当時はこの金額で家が買えた)。しかし、一瞬にしてありったけの金をパーにする方が多くなり、借金地獄に陥る。陰では「日本棋院の借金王」と噂されながら名人戦に臨んだとある。

藤沢学校
昭和30年(1955)の中頃から、阿佐ヶ谷の自宅に大竹英雄君、林海鋒君、工藤紀夫君など上がり坂の若手棋士を呼んで、月一回、研究会を開いた。自分の打った碁を並べさせ、私が講評するのだった。第三次藤沢学校は研究会というより、ぶつかり稽古の場と言った方が当たっている。私は白を持って片っ端から相手をした。私はウイスキーを飲みながら碁を打った。長時間の対局は無理でも、ぶつかり稽古の早碁なら、いくら酔っても碁の感覚は鈍らないと豪語している。しかし、棋聖戦などの対局の前は、調整期間を入れ5月以上前から断酒していた。対局が終わると、いくら飲んでも飲み足らない。寝る以外は盛大に飲み続けた結果、吐血しガンに罹った。

棋士生活
2度のがん治療を克服すると体力はめっきり落ちた。一時は50キロそこそこまで減った体重が、やっと2,3キロ増えたが、それを維持するのに苦労している。騎士によっては個人差はあるが、私は1局打つと2キロから2.5キロ減る。次の手合いまでに、これを元に戻さねばならない。棋士生活ではほぼ週に1局は打っていた。2局という週もあった。こんな週は体力維持に負担がかかる。だから午後には散歩を欠かさない。だいたい手合いは木曜日と決まっているので、金曜、土曜は気分転換を兼ねて競馬や競輪に行くことが多いと書いている。とにかく棋士として型破りの人でした。

 藤沢秀行  名誉棋聖
名前 藤沢秀行
生年月日 (1925-06-14) 1925年6月14日
没年月日 (2009-05-08) 2009年5月8日(83歳没)
プロ入り年 1940年
出身地 神奈川県横浜市
所属 日本棋院東京本院
師匠 福田正義
名誉称号 名誉棋聖
概要
タイトル獲得合計 23
通算成績 852勝649敗8持碁
七大タイトル
棋聖 6期 (1977-82)
名人 2期 (1962・70)
王座 5期 (1967-69・91-92)
天元 1期 (1975)
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藤沢 秀行(ふじさわ ひでゆき、ふじさわ しゅうこう、1925年6月14日 - 2009年5月8日)は、日本の囲碁棋士。本名:「藤沢 (たもつ)」[1]。棋聖戦6連覇、史上最年長タイトル保持者などに輝いた、昭和を代表する棋士の1人。

甥(秀行の方が年下)に藤沢朋斎九段、子(五男)に藤沢一就八段、孫に藤沢里菜五段。

正しい名前の読み方は「ひでゆき」だが、生涯を通じて「しゅうこう」と呼ばれ続けた。

  1. ^ 「秀行」という名前は、少年時代から心酔していた本因坊秀甫に由来するという。『野垂れ死に』 (新潮新書)より
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