藤沢桓夫 ふじさわ つねお

文芸

掲載時肩書作家
掲載期間1981/06/28〜1981/07/23
出身地大阪府
生年月日1904/07/12
掲載回数26 回
執筆時年齢77 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他大阪高校
入社文筆寄稿
配偶者50過ぎて妻
主な仕事学生時代から「猟人」「龍舫」「辻馬車」投稿、将棋、作品200冊、
恩師横光利一、菊池寛
人脈小林勇、上道直夫、武田麟太郎、秋田実(今宮中)、長沖一(阪急)、川端康成、片岡鉄平、堀辰雄、今日出海、升田幸三
備考曾祖父高松藩儒、父:関大国語教授
論評

1904年7月12日 – 1989年6月12日)は大阪生まれ。小説家。旧制大阪高校在学中に武田麟太郎(三高)・長沖一・林広次・神崎清らとともに同人誌『辻馬車』を発刊、1925年同誌に発表した「首」でデビューし新感覚派として目された。1927年大阪高校を卒業し東京帝国大学に入学、在学中は新人会で活動しプロレタリア文学に転向、1930年『傷だらけの歌』を書く。1931年文学部国文科を卒業したのち肺病で大阪に帰り、1936年『花粉』、1941年 – 1942年の『新雪』で新聞小説家として復帰。その後、大衆・流行作家として数多くの小説を書き、晩年まで関西文壇の長老として活動を続けた。

1.変わった字「桓夫」
私の名前は祖父の漢学者藤沢南岳の命名と聞いている。滅多に使われない字だが、勇ましいの意味らしい。この変わった字の名前は、自他を区別する上で悪くないし、私は自分の名前を嫌いではない。が、子供の時から、「たけお」と正しく読まずに「ツネオ」と呼ぶ人が少なくないのには閉口した。現在でも手紙やハガキに私の宛名を平気で「恒夫」と誤って書いてくる人も時々あり、こういう無神経な相手は嫌になる。
 大阪の郵便局員出身の流行歌手、藤島桓夫君が登場して「こいさん物」などを歌い出した時には、名前が私と似すぎているのでいささか驚いたが、ご当人が雑誌か何かで大阪出身の先輩の名前からこの芸名を選んだと語っているのを見てからは、むしろ応援したい気持ちを覚えたりした。

2.ユーモリスト・秋田実
つい先年亡くなったユーモリストの秋田実は、私の生涯の友となった一人だが、彼と巡り合ったのも今宮中学だった。彼が不帰の人となった時、各新聞は「笑いの家元」とか「漫才の父」などの言葉で彼を惜しんだ。
 彼は大阪の市井で育った少年らしく、時々家の人にミナミの法善寺の「紅梅亭」や「花月亭」などの寄席へ連れて行ってもらったことがあるらしい。秋田は、落語や洒落が好きであった。これは私たちがともに大阪高校にはいってからのことだが、私たち共通の友人の部屋で、たまたま私が、「おい、広公、落語を一席やれ」と一年後輩の彼に言うと、「よっしゃ」と、それまで胡坐をかいていた紺羅紗の制服の膝をきちんと座り直して、高座の姿勢になり、「エー、それでは、相も変わりませぬお笑いを一席」などと、蓄音機で覚えたらしい大阪落語をペラペラと喋りだし、その場にいる私たちを笑わせたりするのであった。
 後年、ある夜、私は彼と法善寺の花月亭の寄席に行った。高座の芸人がおかしい事を言うと他の客たちはゲラゲラ笑い、私もずいぶん笑った。そのうちに、私はふっとあることに気づいた。秋田は絶対に笑わないばかりか、鼻の穴を少し膨らませ、怖い顔をして口座を睨みつけているのだった。
 私ははっと心打たれた。彼は笑いそうになるのを懸命に辛抱しているのだ。笑いをつくることが自分の仕事になった以上、この程度の笑いに負けてなるものか。あくまで冷静に、芸人たちが次々に投げつけてくる笑いの小銃弾を受け流し、その笑いの内容の良否を分析し、値踏みをしてやるのだ。持ち前の負けず嫌いを発揮して、秋田は笑いと勝負しているのだ。きっとそうに違いない、と私は思った。

3.人情脚本家・長沖一
秋田実とも兄弟同様に仲の良かった長沖一は、秋田と前後して30過ぎから東京から大阪に戻った。そして、暫く吉本興業の文芸部で秋田の仕事を手伝ったりした後、手塚山学院の初代院長で、児童文学者の庄野英二、芥川賞作家の庄野潤三両君の父君の庄野貞一先生にその人柄を見込まれ、帝塚山で教鞭をとることになり、その傍らNHKラジオの長寿番組のレコードを作った花菱アチャコ・浪花千栄子主演の「アチャコ青春手帳」「お父さんはお人好し」などの作者としてその文学的才能の一端を披歴したのは多くの人の知る通りである。教育者としての長沖一は帝塚山学院短大学長としてこの世を去った。私は彼に次の弔事句を献じた。・・・・「そこにゐる友を隔つや雲の峰」・・・

藤沢 桓夫
Takeo Fujisawa.jpg
読売新聞社『家庭よみうり』383号(1954年)より
誕生 (1904-07-12) 1904年7月12日
大阪市
死没 (1989-06-12) 1989年6月12日(84歳没)
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京帝国大学
活動期間 1930年 - 1989年
ジャンル 大衆小説
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藤沢 桓夫(ふじさわ たけお、1904年7月12日 - 1989年6月12日)は、日本小説家。「藤沢恒夫」と表記される場合もあるが、これは誤記である。

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