立石一真 たていし かずま

電機

掲載時肩書立石電機社長
掲載期間1974/05/24〜1974/06/21
出身地熊本県京都
生年月日1900/09/20
掲載回数29 回
執筆時年齢74 歳
最終学歴
熊本大学
学歴その他
入社兵庫県 土木課
配偶者娘の姑 と再婚
主な仕事井上電機・彩光社->ズボンプレッサー発明>立石医療電機製作所->立石電機、偽札発券機、オムロン太陽電機(身障者)、日本総合研究所
恩師西 勝造
人脈松前重義(熊工後輩)西式健康法、香具師の親分、上野陽一(能率)、茅誠司
備考箸の使い方
論評

氏は74歳で「私の履歴書」に登場したが、冒頭でつぎのように語り始めている。
「最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる」-これが70年余年に及ぶ人生を振り返って得た結論であり、同時に私の信条・信念である。
 私の人生で、貧困は少年時代から始まった。従って生い立ちを話すと「ずいぶん苦労されましたね」とよく言われる。しかし、その貧しい境遇が今日の幸せをもたらしたと言える。また、よそ目には非常に苦労しているとうつっても自分自身にとっては初めての経験ばかり。「人生とはこんなものだろう」と他人が思うほど深刻な気持ちはなかった。サラリーマン生活に見切りをつけて商売の道に踏み出したとき、糟糠の妻を亡くしたときなど、数多くの逆境をくぐり抜けた末に冒頭の結論を得たのである、と。
そして幾多の苦労の後、戦後オートメーションに注目し、マイクロスイッチなどを自社開発して事業が軌道に乗り始める。昭和30年(1955)初期には重電用機能部品で国内市場をほぼ独占することができた。同40年(1965)代以降、自動販売機や自動改札機など無人機械化を成功させ、大企業に発展させたのである。

 氏は5男2女の子供を立派に育てられたが、西式健康法を基にして育成法の持論を持っていた。その5条件は、
1.ビタミンCを豊富にとる(生野菜を多く摂る、柿の葉茶の飲用)
2.食べ過ぎない(朝食抜き、腹八分、食べ残さない)
3.厚着しない(温冷浴の励行)
4.正しく背骨を伸ばす(五臓六腑を正しい位置で働かせる)
5.よく遊び、よく学ぶ(活動に集中と転換を励行)
で「条件整備論」と名付けていた。この5条件を整備しておけば企業も自然に伸びるとして、適用したと書いている。(  )内は吉田(私)の解釈ですが、企業に適用する場合はどのように解釈すればよいのでしょうか。

 氏が、ユニークだったのは娘の嫁ぎ先の義母(姑)と再婚されたエピソードでした。最初の奥様が亡くなり長女が嫁いで10年経ったころ、再婚話が持ち上がった。この長女の義母(未亡人)は縁結びで有名な「高砂屋」だったそうで、同時期に持ち上がった長男孝雄さんの結婚話もまとめてくれた。この縁もあり長男が兄弟姉妹を説得して、長女の義母「おばちゃん」に立石氏の後妻になってもらう承諾を取り付けてくれた。氏も子供たちが「おばちゃん、おばちゃん」となついているので、最適候補として受け入れたとある。そして54歳の花嫁と還暦の氏が再婚式を挙げた。そして2週間後の長男結婚式に、新婚の親夫妻で二人の結婚を祝福することができたと書いている。温かく微笑ましい光景が浮かび上がってきます。

立石 一真(たていし かずま、明治33年(1900年9月20日 - 平成3年(1991年1月12日)は、日本実業家オムロンの創業者。立石孝雄は長男、立石信雄は次男、立石義雄は三男。

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