秋山庄太郎 あきやま しょうたろう

芸術

掲載時肩書写真家
掲載期間1993/06/01〜1993/06/30
出身地東京都
生年月日1920/06/08
掲載回数29 回
執筆時年齢73 歳
最終学歴
早稲田大学
学歴その他
入社東京田辺製薬
配偶者見合い
主な仕事自費出版「翳り」、近代映画社、バック黒、美女・作家、俳優シリーズ、花の会
恩師林忠彦、小絲源太郎
人脈原節子番、高峰秀子、福原信三、藤田泰子、吉田正、ジプシー・ローズ、滝沢修、仲代達矢、藤山寛美、好敵手・土門拳、
備考被写体1万人以上
論評

1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍くらい綺麗に撮って“少し満足”、ウソみたいに綺麗に撮るとやっと“ニッコリ”、なかなか感謝してもらえませんよ。」と話していたという。45歳以降は風景、人物や花を撮影することが多くなり、特に花の写真はライフワークとなった。

1.私のカメラ目線
どんなタイプにせよ、自然に撮れた顔は美しい。これだけは、流行に関係ない。それが見つかるのは、相手がカメラを意識しない時になる。化粧している時などよく撮影してきたが、化粧の光景を撮ろうとしているのではない。目的は顔にある。本人は鏡を見ているから、カメラの方を忘れる瞬間がある。その間に、自然な顔を写しているのである。 たいていの女優やモデルなどプロは、どこまで笑えば皺が出るかを熟知していて、カメラを向けると、皺が出る寸前に、それ以上の笑いを止めてしまうのである。

2.原節子と高峰秀子
私は大正9年(1920)6月8日生まれ、節ちゃんより9日だけ兄貴、同世代でもあり「映画界嫌い」で共鳴して、話しやすかった。私は「原節子番」のカメラマンとして認められるようになる。節ちゃんはなかなか酒好きだった。それももっぱらビールであった。ロケ先で二人は二日酔いしたが、彼女は撮影時には微塵もなし。
 彼女は被写体として、あれほど撮りにくい女優もいなかったと言っていい。まず第一に、ポーズが取れない。すぐ動いてしまう。大型のカメラでは撮れないので、彼女のときだけは、小型に替えていた。理由は、本人は大変な照れ屋だったのである。しかしそこが、原節子の原節子だったゆえんだろう。
 全く対照的な女優がいて、一方が天性の「撮られ下手」とするなら、こちらは生まれついての「撮られ上手」といえる。それは、デコちゃんこと高峰秀子さんだった。ポーズはピタリと決めるし、全く申し分なかった。

3.女優の可能性を読む
長いこと見てくると、その女優やモデルの可能性を予測するのも楽しみの一つであり、発見の喜びになる。
(1) 吉永小百合さんが15歳の頃、「これは大スターになる顔だから、大事に育てなさいよ」と母親に言った覚えがある。後年、「夢千代日記」などの映画で、彼女のその持ち味が存分に発揮されたと思う。
(2) 岩下志麻さんは、「駆けずのお志麻」と言われたほど、どんなに急ぐ時でも駈け出さないので、この名前がついた。近年の姉御役には、当時から見られた悠揚迫らぬ大物キャラクターが浮き出ている。
(3) 藤純子さんは、セーラー服から撮っている。堂々とした態度で、この人は山本富士子まで行くと感じた。
(4) 山口百恵さんが来たとき、「あ、この子は、早く結婚するよ」と、何気なく言ってしまったが、当たった。
(5) 浅丘ルリ子さんは、「私、今、アンネですから、化粧乗りが悪いんです。ダメだったら、すみませんが、撮り直してください」。こんな話をさっぱりいえる女優さんは初めてだった。自分の顔の見られ方をよく知っている人で、その時の顔も、抜群にいい顔であった。

4.思い出の女優
(1)太池喜和子さんは、一升瓶を下げてきてコップ酒、いい飲み友達だった。よく酒を飲んだのは、気遣いが細かい分だけ、疲れるためだったのだろう。
(2)越路吹雪さんもよくスタジオに飲みに来た。飲むと朗らかで闊達。空が明るくなる頃に帰る。彼女にも実に繊細な部分があって、それは舞台の雰囲気からくるイメージとは、まるで違うものだった。
(3)古手川祐子さんが初めてスタジオに来た時、これは吉永小百合さん以来の女優になるかなと直感した。

5.苦労人の俳優顔
(1)滝沢修さんの「炎の人、ゴッホ」の時、演技とはかくなるものか、と感心させられた。すす、すうーと、役に入って行く。顔がゴッホのそれになるのだった。プロだからこそ、生まれる顔だった。
(2)仲代達矢さんに会ったのは、まだ俳優座の養成所だったろうか。あの独特の目に、これは凄いと思い、そして何より、真面目な態度に感じ入った。シエークスピアの「リチャード三世」公演時の顔も良かった。
(3)藤山寛美さんは、額に汗して、「何の因果か、役者してても、撮られることが気になる。照れくさい」という。「虚心坦懐になれまへんのや」と。いい感じの人だった。その時の顔は舞台上や演技では出てこない。
(4)三波伸介さんの撮影では、仕事の朗らかさとは打って変わって、孤独を嚙み締めているような表情を見せた。苦労人の顔といえばいいか、これはこれで実にいい顔なのである。
(5)益田喜頓さんは飄々としていて、洒脱な味があり、そしてどこかに、哀愁がにじんでいた。この深みがあってこその、喜劇人なのだということを教えられた。こうして私は、人間の顔にこだわり続けたのでした。

1960年

秋山 庄太郎(あきやま しょうたろう、1920年大正9年[1]6月8日 - 2003年平成15年〉1月16日)は、日本写真家

  1. ^ 『現代カメラ新書No.16、私のカメラ初体験』p.7-11「ローライコードで写真開眼」。
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