福井謙一 ふくい けんいち

学術

掲載時肩書京都工芸繊維大学学長
掲載期間1983/03/01〜1983/03/29
出身地奈良県
生年月日1918/10/04
掲載回数29 回
執筆時年齢65 歳
最終学歴
京都大学
学歴その他大阪高
入社助手
配偶者京大後輩
主な仕事採集(昆虫、切手、鉱物)、陸軍短現、量 子力学ー電子化学(フロンティア軌道理論)
恩師喜多源逸 教授
人脈海外留学無、児玉信次郎教授、郭沫若・和夫、新宮春男、堀尾正雄、ホフマン 教授(ノーベル一緒)
備考代々庄屋
論評

1918年10月4日 – 1998年1月9日)は奈良県生まれ。化学者。ローマ教皇庁科学アカデミー会員、全米科学アカデミー外国人客員会員。工学博士。アジアで初のノーベル化学賞 (1981) を受賞した。1952年、フロンティア軌道理論 (frontier orbital theory) を発表。これはフロンティア軌道と呼ばれる軌道の密度や位相によって分子の反応性が支配されていることを初めて明らかにしたもので、世界の化学界に衝撃を与えた。この業績により、1981年にノーベル化学賞を受賞。

1.「フロンティア電子」の理論発見
化学反応というのは、私たちの身の回りで普通に見られる、身近な現象である。と同時に、実験室や工場の反応装置の中でも起こり、われわれに有用な材料や薬などを提供する。したがってその仕組みを明らかにすることは、大変意味のあることなのである。
 化学反応とは、結局は化学結合の組み替えである。それでは化学結合は、原子核と原子との間に電子がたまってできるものである。その結合にあずかる電子は、原子が持つたくさんの電子のうち「原子価電子」という、大きいエネルギーを有して外側を回っている電子であることは、すでに誰でもが知っていた。
 私は分子と分子の間に起こる化学反応でも、原理はほぼ似たようなものだと考えた。ナフタレンのように、分子の形が規則的なものは、計算がしやすい。それで、幾つかのこのような炭化水素という分子について、高等学校で習った数学の方程式を解き、概算したところ、一番エネルギーの高い軌道にある電子の広がりの大きいところに反応が起こるらしいと見当がついた。いうまでもなく大変うれしかった。
 われわれが取り上げたモデルが、対象として適当であったかどうかを確認するには、有機化学の側から慎重に判断してもらう必要があった。その作業には新宮春男教授の協力を仰いだが、理論と実験は満足すべき一致をみたのである。
 さてこの特別の電子に、何か名前をつけなくてはならない。議論の末、新宮教授提案になる「フロンティア電子」を採用することにした。

2.理論より実験を
私は研究室に入ってきた学生に「理論をやりたい者は、まず実験をせよ」と言い続けてきた。なぜそんなことを言ったかというと、自然に直接働きかけるには、実験しかないからである。理論は自然認識の論理的側面を受け持つだけであり、自然の法則性を見つける過程の中では、しばしば論理に寄らない選択を迫られる。その能力を養うには、直接自然に触れることになじむ以外にないと信じている。したがって私の研究室では、ずっと実験部門が絶えたことがない。

3.ひらめき・・・すぐにメモ(習慣)
昔も今も、私は夜中や未明に何かを思いつくことが多い。そのために寝室には必ずメモ用紙を用意しておく。暗闇の中で走り書きする技術も手慣れたものだ。また習慣になっている明け方の散歩の折も、手帳を提行するのが常である。
 私の経験からすると、だいたい、メモをしないで覚えているような思いつきには、めぼしいものはない。
メモをしないと直ぐに忘れてしまうようなアイデアこそ、貴重なものである。顧みれば私の研究には4つの節目ともいうべきものがあったように思われる。これらの節目の研究を進めるアイデアも、未明にふと思いついて、ということが多かった。

福井 謙一
Kenichi Fukui.jpg
触媒学会『触媒』第8巻第3号 (1966) より
生誕 (1918-10-04) 1918年10月4日
日本の旗 日本奈良県生駒郡平城村大字押熊[1]
死没 (1998-01-09) 1998年1月9日(79歳没)
日本の旗 日本京都市
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 化学
理論化学
工学
研究機関 京都大学
京都工芸繊維大学
出身校 京都帝国大学工学部
博士課程
指導学生
諸熊奎治
主な業績 フロンティア軌道理論
影響を
与えた人物
ロアルド・ホフマン
主な受賞歴 日本学士院賞(1962年)
ノーベル化学賞(1981年)
勲一等旭日大綬章(1988年)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:化学反応過程の理論的研究

福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 1998年1月9日)は、日本化学者京都大学京都工芸繊維大学名誉教授日本学士院会員、ローマ教皇庁科学アカデミー会員、全米科学アカデミー外国人客員会員。工学博士

奈良県生駒郡平城村(現:奈良市)出生(大和郡山市出生の説もある[2])。大阪市西成区出身。

アジアで初のノーベル化学賞 (1981) を受賞した。勲等は勲一等旭日大綬章文化勲章受章。

  1. ^ 福井謙一博士略年譜
  2. ^ 大和郡山ゆかりの人々
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