石川達三 いしかわ たつぞう

文芸

掲載時肩書作家
掲載期間1978/03/01〜1978/03/31
出身地秋田県
生年月日1905/07/02
掲載回数31 回
執筆時年齢73 歳
最終学歴
早稲田大学
学歴その他早大高等
入社国民時論社
配偶者
主な仕事海軍従軍期間(マニラ、シンガポール、 ペナン、サイゴン、バンドン)、金環蝕、48歳の抵抗
恩師
人脈陸軍報道官・三宅壮一、井伏鱒二、山岡荘八、
備考
石川 達三
(いしかわ たつぞう)
Ishikawa Tatsuzo.JPG
1954年
誕生 1905年7月2日
日本の旗 日本秋田県平鹿郡横手町
(現・横手市
死没 (1985-01-31) 1985年1月31日(79歳没)
日本の旗 日本東京都目黒区中目黒 東京共済病院
墓地 神奈川県平塚市那由侘の里
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 早稲田大学英文科中退
活動期間 1931年 - 1985年
ジャンル 小説
代表作蒼氓』(1935年)
『日蔭の村』(1937年)
生きてゐる兵隊』(1938年)
風にそよぐ葦』(1950-51年)
四十八歳の抵抗』(1956年)
人間の壁』(1959年)
金環蝕』(1966年)
青春の蹉跌』(1968年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1935年)
文藝春秋読者賞(1964年)
菊池寛賞(1969年)
デビュー作 『最近南米往来記』(1931年)
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石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年明治38年)7月2日 - 1985年昭和60年)1月31日)は、日本小説家。社会性の濃い風俗小説の先駆者で、『蒼氓』により第1回芥川賞受賞。華中従軍から得た『生きてゐる兵隊』は発禁処分を受けた。戦後は、新聞小説や社会における個人の生活、愛、結婚をテーマにした作品でベストセラーを連発。書名の幾つかは流行語にもなった。記録的手法に拠る問題意識の明確な作風が特徴[1]。社会的・文壇的活動も活発で、日本ペンクラブ会長、日本文芸家協会理事長、日本文芸著作権保護同盟会長、アジア・アフリカ作家会議東京大会会長などを務めた。日本芸術院会員。

  1. ^ 山田博光「石川達三」『国民百科事典〔1〕』385頁(平凡社、1976)、勝山功「石川達三」『万有百科大事典1 文学〔2版〕』48頁(小学館、1973)。
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