石坂公成 いしざか きみしげ

医療

掲載時肩書免疫学者
掲載期間2005/03/01〜2005/03/31
出身地東京都
生年月日1925/12/03
掲載回数
執筆時年齢79 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他成蹊高
入社国立予防研
配偶者女子医 top
主な仕事免疫学、CA工科大、ジョンスホプキン大、IgE発見、妻教授(パーキンソン)、
恩師中村敬三教授
人脈石坂泰三(叔父)、三浦朱門(中)、岸本忠三、
備考妻と共同研究
追悼

氏は’18年7月6日に92歳で亡くなった。この「履歴書」に登場したのは2005年3月で79歳のときでした。叔父の石坂泰三(元経団連会長)は父親(長男:陸軍大佐)の三男に当たる。
氏は、1948年東京大医学部を卒業後、カリフォルニア工科大学へ留学。66年花粉症やぜんそくなどのアレルギーを引き起こすたんぱく質IgE抗体を発見し、治療法開発に道を開いた。この共同研究者だった照子夫人ともに、72年にパサノ賞、73年にガードナー国際賞を受賞し、ノーベル賞候補と言われた。氏はこの「履歴書」には「我々は」という言葉で、共同研究者だった妻・照子夫人の貢献を書いている。彼女は東京女子医大をトップ卒業し、同じアレルギー研究をしていた石坂氏と結婚する。彼女は夫との共同研究成果を評価され、ジョンスホプキンス大学二人目の女性教授にもなった才媛だった。 しかし、95年には彼女が難病にかかり病状も悪化したため、96年に帰国し、彼女の故郷・山形で療養生活をおくっているが、氏は毎日彼女の病室を見まい、研究生活と教育指導も続けられていた。
印象に残った言葉は、最近の生命科学では何事も「人生は遺伝子で決まる」ように語られることが多い。「しかし、私はそうは思わない。はっきりしていることは、人間がどこへ行って何をするかということは遺伝子ではなく偶然によって決められるということである。「我々が」歩んできた道はまさしくその通りなのである」。そして研究者になることも、人との出会いも、IgE抗体も、「いくつかの偶然の積み重ねがそれを可能にした。人生は不思議なものである」と。

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