益谷秀次 ますたに しゅうじ

政治

掲載時肩書副総理
掲載期間1960/02/10〜1960/03/08
出身地石川県
生年月日1888/01/17
掲載回数27 回
執筆時年齢72 歳
最終学歴
京都大学
学歴その他東京外語大
入社裁判所
配偶者能登出身娘見合い
主な仕事鹿児島、浦和、議員、2.26事件、日本自由党・鳩山派、野党連合で衆院議長
恩師・恩人実兄
人脈福永一臣・石田博英(外大)、永井柳太郎、清瀬一郎、桜内幸雄、大野伴睦、林銑十郎、林譲治
備考家:酒屋など、政党・派閥抗争を詳述
論評

1888年1月17日 – 1973年8月18日)は石川県生まれ。政治家。第2次吉田内閣の建設大臣、自由党総務会長、第3次吉田内閣の建設大臣(副総理格)を歴任し、大野伴睦・林譲治とともに「党人御三家」と称された。吉田退陣後は、池田派に所属した。1955年に、全野党から推される形で与党候補の三木武吉を退けて衆議院議長に就任する。最初の自民党総裁選では2票獲得。その後も、第2次岸内閣の副総理、池田内閣で自民党幹事長の要職を歴任する。1964年、内閣総理大臣の池田勇人が病気退陣を表明した際には、後継総裁に佐藤栄作を据えるため両者の仲介役としての労を取った。「私の履歴書」では政党や派閥抗争の歴史を詳述された。

1.初・立候補風景
大正9年(1920)2月に解散されると、立候補した。選挙は政友会からで小選挙区制度、個別訪問であった。私の選挙区は能登半島の一番端の二つの郡を合わせた石川県第五区だった。田舎の選挙区のことで選挙運動は大変だった。フロックコートにわらじ履きという、異様ないでたちで、山の上や畑の中に点在する家を一軒一軒戸別訪問したのだが、その後ろは村の有志などが紋付き、袴で従っているという選挙風景だった。何しろ戸別訪問が最も効果的な運動なので必死だったが、中にはそれを昼間嫌う人も居たので、夜になると投票をお願いするなどした。
 また一方では他の候補者の”夜打ち“個別訪問を撃退するために、懐中電灯を使うといった調子で、夜など運動に歩くと向こうの方から懐中電灯の明滅が見えることが多かった。

2.落選時は弁護士活動
2度目の落選をしていた昭和20年(1945)7月の終わりごろ、富山市が空襲され戸外に出てみると富山に当たる空が真っ赤に見え、もうもうたる煙まで望見された。食糧難時代だったが、私の私生活に関する限り比較的安気だったといえる。本職の弁護士の方は刑事専門で、時間の長くかかる民事は手掛けなかった。 
 したがって依頼される事件は時節柄、統制違反や賭博、それに軍人の留守家族に対する住居不法侵入事件などが多かった。仕事は福井、金沢、名古屋にまで出かけるほどの繁盛ぶりだった。しかしほとんど無報酬の弁護だった。当時500円ぐらいの金をもらったとてどうにもならなかったからだが、そのかわり酒や米や炭、魚など生活必需品を届けてくれた。この無料弁護はその後、票にもつながってきたし、いま帰郷しても魚を届けてくれる人があったりで、非常に得をしている。

3.衆議院議長に
昭和30年(1955)1月24日解散、2月27日に総選挙が行われた。3月18日首班指名選挙が行われ、第二次鳩山一郎内閣が発足した。しかしこの首班指名選挙に先立って行われた衆院議長選挙では野党の私が選ばれた。与党の候補は三木武吉さんだったが、大野伴睦君や佐藤栄作君、水田三喜男君らの骨折りで、社会党と話をつけ、野党連合で三木さんを負かしたのである。話を聴いても私は「まさか」という気持ちだったが、その日の午後3時過ぎころになると佐藤君が顔を見せて「もうモーニングを取寄せておかないと間に合いませんよ」と言って笑った顔が、いまさらのように目に浮かぶ。
 私の議長は”3度目の正直“といったところだった。それにしても、私の議長になるまで、いずれも野党連合に政府、与党が負けるという経過をたどったのは、まったく偶然とはいえ不思議な気がする。

益谷 秀次
ますたに しゅうじ
益谷秀次
生年月日 (1888-01-17) 1888年1月17日
出生地 日本の旗 日本 石川県鳳至郡宇出津町(現・鳳珠郡能登町
没年月日 (1973-08-18) 1973年8月18日(85歳没)
出身校 京都帝国大学法科大学卒業
前職 浦和地方裁判所判事
弁護士
所属政党立憲政友会→)
政友本党→)
(立憲政友会→)
(無所属→)
日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章従二位

日本の旗 第46代 衆議院議長
在任期間 1955年3月18日 - 1958年4月25日
元首 昭和天皇

内閣 第2次岸改造内閣
在任期間 1959年6月18日 - 1960年7月19日

日本の旗 第2-3代 建設大臣
内閣 第2次吉田内閣
第3次吉田内閣
在任期間 1948年10月19日 - 1950年5月6日

選挙区石川県第5区→)
(石川県第2区→)
石川県全県区→)
石川県第2区
当選回数 14回
在任期間 1920年5月10日 - 1924年1月31日
1932年2月20日 - 1937年3月21日
1946年4月10日 - 1972年11月13日

その他の職歴
第7代 自由民主党幹事長
(総裁: 池田勇人
1960年7月 - 1961年7月
第5代 自由民主党総務会長
(総裁:岸信介
1959年 - 1959年
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益谷秀次先生顕彰碑(石川県珠洲市道の駅すずなり
第2次岸改造内閣に入閣時の益谷

益谷 秀次(ますたに しゅうじ、1888年1月17日 - 1973年8月18日)は、日本政治家

衆議院議員(14期)、衆議院議長(第46代)、副総理建設大臣行政管理庁長官などを歴任した。

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