湯川れい子 ゆかわ れいこ

芸術

掲載時肩書音楽評論家・作詞家
掲載期間2017/09/01〜2017/09/30
出身地東京都
生年月日1936/01/22
掲載回数29 回
執筆時年齢81 歳
最終学歴
高等学校
学歴その他鴎友学園
入社女優
配偶者進8歳上、タムラ5下
主な仕事ジャズ、自殺未遂、音楽評論、ラジオDJ、TV、作詞家、
恩師森田和雄&元夫・進
人脈ジャズ・直也1上、寺山修司、プレスリー、ビートルズ、
備考武家・音楽一家
論評

氏は音楽評論家としては、この「履歴書」で初登場である。映画評論家では淀川長治が、作詞家では西城八十、阿久悠が登場している。氏は両親が武家出身のため、その作法で育てられたが、生き方は奔放そのものであった。8歳上の下宿人(進)の許嫁でありながら、音楽に熱狂する同世代(直也)に恋をし、母から許されぬと自殺未遂を起こす。結婚式直前に恋人と逃避行も行う大胆さだった。他にも30歳の時ビートルズとの単独会見、37歳の時プレスリーに再婚証明書のサインをもらうなど世間をあっと驚かせている。それら彼女の奔放さをじっと耐え彼女の成長を見守り続けた進氏は、彼女の恩人でもあった。
それにしても彼女の文章力に惹きつけられた。「右手に持ったカミソリで左手首の静脈を真一文字に切り、二の腕の静脈にも十文字にカミソリを滑らせた。手首から10センチほどの赤い糸が吹き上がり、薄れていく意識の中で自分の悲鳴を聞いた。(中略)。進さんはうつむき加減なので表情はうかがえない。無言のまますれ違った。そのときメガネ越しに進さんの目から涙がこぼれ落ちるのが見えた。進さんが泣いている」。また、再婚から2年後(39歳)、ようやく妊娠した。「空き部屋だった私の子宮に命が宿った。命をはぐくむという、女性にしかできない出来事が私にも訪れてくれた。うれしくてうれしくて、厳粛な気持ちになった」の表現は、うまいなぁと思うばかりであった。この文章は日経の担当記者もそうとう力がある人でないと、料理しきれない文章だと思った。
もう一つ印象深かった箇所は、終戦直後、母親が娘に「辱めを受けるようなら」と自害の作法を教える武家風習だった。「正座して膝を縛り、懐剣を懐紙で清め両手で喉に当てて前に倒れこむ。母がやって見せ、私も同じようにした。(略)。自分で自分の命を奪うやり方を教える母に、何か切迫したものを感じた」と彼女の気概も表現している。

美女と才女
湯川れい子
ゆかわ れいこ
湯川 れい子
生誕 (1936-01-22) 1936年1月22日(85歳)
職業音楽評論家作詞家翻訳家USEN放送番組審議会委員長
受賞1986年日本女性放送者懇談会賞[1]

湯川 れい子(ゆかわ れいこ、本名・湯野川和子(ゆのかわ かずこ)[2]1936年1月22日[3] - )は、日本音楽評論家作詞家翻訳家USEN放送番組審議会委員長。女優吾妻 麗子名義で活動した事もある[4]東京都目黒区出身。山形県米沢育ち、東京都世田谷区在住。

  1. ^ 歴代受賞者”. 日本女性放送者懇談会 SJWRT. 2016年6月21日閲覧。
  2. ^ 『わたしが子どもだったころ』(BS hi)より
  3. ^ 和田靜香『音楽に恋をして』p.23
  4. ^ 和田靜香『音楽に恋をして』p.96
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